遺跡に降りてくると、いつも悪寒を感じます。
 
 何かが、ずっとこちらを見ている――そんな感じの視線。しかも視線には、巧妙な罠に仕掛けて弱まったところを狙うような、知能の高さがあるのです。気色悪いったらありません。
 
 初めてここに降りた人も、口を揃えてそう言います。
 
 しかしそんな中、姉様はフォトンクローを振りかざすと、私とフミヤさんに気軽に言いました。
 
「さあ、いい場所をとりましょう」
 
「花見の場所取りじゃないんだから……」 
 
 ――姉様、すごいです。真似できません。
 
  *
 
 「負け犬の遺伝子(後編)」
 
  *
 
「はい。リバーサー」
 
 地面に転がっていたアッシュさんにリバーサーを使うと、彼は呻き声を上げながら起き上がりました。
 
「どうもありがとう」
 
「お気にならさずに」
 
「しかし……」
 
 彼はぐるりと首を巡らせて、最後に姉様に言いました。
 
「あなた方って、いつもこんなところで戦っているんですか? 俺なんかじゃ全然かなわないわけだ」
 
 周囲の地面には、敵が残した血の跡が無数にありました。さきほどまで戦っていたんですよ。ちなみにめぼしいアイテムは、無属性ヴァリスタだけでした。
 
「そうよ。でもね……」
 
「なんでクロー一匹に負けるかなぁ?」
 
 姉様とフミヤさんが首を傾げました。私もそう思いますね。
 
 考えてくださいな?
 
 ダブルセイバーにインビジブルガードを装備したレベル20のハンターが、クロー一匹に負けますか、普通?
 
 ちょっと口を尖らせて、アッシュさんが反論してきます。
 
「あれはちょっと運が悪かったんですよ。まさか足が滑るなんて……」
 
「滑って転んだ先に偶然、ベルラのロケットパンチが飛んでいて、んでもってそれを喰らった先に、釣り鐘のあのトラップ」
 
 呆れ顔のフミヤさんの台詞の後を、目を閉じた姉様が思い出すように続けます。
 
「それでフラフラになって起きたところを、カオスソーサラーのラバータで凍らされた挙げ句、デルセイバーに攻撃されて、最後にクローの一撃でダウン――すごい運の悪さね。もう奇跡って言っていいわ」
 
「あうう……」
 
「駄目ですよ、二人とも」
 
 泣き崩れるアッシュさんに背中を向けて、私は立ち上がりました。そして肩越しに笑みを送ると、彼は救いの女神を見たような表情でこちらを見返します。
 
 ――大丈夫ですよ、アッシュさん。すぐに言われなき暴言を撤回させてみせますわ。
 
 私はすぅっと息を吸い込むと、二人に向かって少し強めな口調で告げました。
 
「『運がない』というのは、もともと運を持っている人にだけ使える言葉なんですよ。初めからそのような概念がないアッシュさんに使っては、天運尽きて力も尽きた方に申し訳ありませんわ! そういう方々に謝ってくださいな」
 
「……確かにそうね。万策尽きて運にも見放された方に悪いわ」
 
「そうですね、オーナーの言うとおりでした。すみません」
 
 二人とも眼を閉じ、胸に手を当てて黙祷を捧げます。
 
「さあ、アッシュさん。気分は良くなって?」
 
「トドメを刺しにきたんかっ、あんたはっ!」
 
 私がひょいっと横に跳ぶと、一瞬遅れてダブルセイバーが通り過ぎていきました。なんて危ないんでしょう。
 
「あの、アッシュさん? 私って何か気に障ることを言いましたか?」
 
「大人しそうな顔しやがって、アンタが一番タチ悪いんじゃねえかっ!?」
 
「そんな!」
 
 言葉を失って、私はよろめきました。袂で顔を隠しながら、ぼそぼそと言います。
 
「だって、ウミガメ以下の学習能力しかないものですから、わざと失敗して私や姉様の言葉責めを待ち望んでいるのかとばかり――」
 
「うおっ、こいつってそんなにマニアックな奴?」
 
 驚いたようにフミヤさんが身を引きます。さすがの彼も、そういった趣味の相手はイヤなようです。
 
「そう言えば、かなり変態チックな格好してたしな」
 
「違うっ! ありゃ俺の意志じゃない」
 
「そうですよ。あれは」
 
「オーナー、あんたは口を挟むなっ」
 
「もう一人の自分の意志なのね…」
 
「ママ、今度はあんたかっ!?」
 
「そんな事よりもっ」
 
 言葉の終わりと同時に、姉様は跳躍しました。そして空中でバランスを取ると、驚きと恐怖の混じった表情を浮かべるアッシュさんの顔に――
 
 ゴキンっ!
 
 膝蹴りを放ちました。あれは骨が折れた音ですね。
 
 悶絶するアッシュさんの横に舞い降りると、姉様は左手で髪をかきあげながら告げました。
 
「馬鹿な事やってないで、さっさと場所を決めて帰るわよ。菖蒲やウルドに店を任せっぱなしなんだから」
 
「ういーす」
 
 フミヤさんが気の返事をしながら、アッシュさんに肩を貸します。
 
「いい場所見つかるといいな」
 
「……ヴン」
 
 うん、と言ったらしいですが、アッシュさんは鼻血のお陰で上手く喋られないようです。
 
   *
 
 さてここで状況の整理をしますね。
 
 私と姉様とフミヤさんと、そしてアッシュさん。
 
 この四名は今、Nocheの営業時間中であるのにも関わらず、遺跡にいます。
 
 理由はアッシュさんの最後のお手伝いです。
 
 武器や防具は渡したので、あとは彼が100%の力で戦えるところ――もとい、彼の足を引っ張る要素が無いところを探して、こんなところまで降りてきたわけです。
 
 では何故、遺跡なんでしょう? 
 
 姉様は簡潔に答えてくれました。
 
「森だと動物のタコ殴り。洞窟だと多分、ナルツリーの麻痺攻撃を受けた挙げ句、溶岩の海へダイブってオチね。坑道は――ジョウさんの話だと、電子頭脳の影響かキリークって坑道にこないらしいからボツ。じゃあ残るのは遺跡でしょ?」
 
 だそうです。
 
 しかし姉様。麻痺攻撃を受けて、溶岩の海へダイブとは――容易に想像出来るあたりが、怖いですよ。ちなみに情報提供者のジョウさんは、Nocheの開店当時からの常連さんです。またいらして下さいねー。待ってまーす。
 
 フミヤさんが同行しているのは、単に彼が控え室で暴れていたアッシュさんを叩きのめしたからで、他意はありません。フミヤさん以外のホストにも頑張って欲しいと考えたわけではないので、他のホストの皆さん、フミヤさんを追い抜いてナンバー1になるなら今がチャンスですよ。
 
   *
 
 前に立つだけで、ドアが開いていきます。今では慣れてしまいましたが、こういった技術がラグオルに現存していたのは、驚きというしかありません。
 
 誰が作ったのか? そして作った人はどこへ行ったのか?
 
 しかし今一番の私の疑問は、アッシュさんの不運の原因です。なんかもう、「運がない」というレベルを遙かに常軌しているんですよね。
 
 非科学的ですが、「呪い」とか「因縁」などの単語が、ちらりと脳裏をかすめちゃったりします。……まさか、ねえ……。
 
 ドアが開ききり、姉様が部屋の様子を見ているうちに、私はアッシュさんに尋ねました。
 
「あの、アッシュさん」
 
「なんですか?」
 
 ダメージがすっかり抜けたらしく、彼は一人で立ってダブルセイバーを構えています
 
「アッシュさんのご両親って、どのような方ですか? 出来れば、その前の祖父とか祖母さんの事なども教えて下さいな」
 
「親父にお袋?」
 
 その一言でアッシュさんは呆然としました。瞳だけを動かして、私の方を見つめています。なんだか……品定めをされているようなイヤな視線ですね。
 
 やがて彼は、なぜかポッと頬を上気させ、ボソボソと言ってきます。。
 
「そうですか……レイヴンさん、あなたの今までの言動に納得がいきましたよ」
 
「は?」
 
 
「あの厳しい言葉の数々は、そうか、俺の為に……いや、ひょっとしたらママさんも?」
 
 言葉に含まれた、なんとも言えないような雰囲気――例えるなら、愛の告白を間近にした人特有の雰囲気――に気が付いて、姉様がこちらを振り返りました。そして彼を指差して、『ついにこの男、イっちゃったの!?』と目で尋ねてきますが、私には答えようがありません。
 
 その間にも、彼は独白を続けています。目頭を押さえながら、
 
「もう俺の親父やお袋の事が気になるんですか……」
 
「別の意味で気になるけどな」
 
 ボソっとフミヤさん。気持ちが分かりますから、今、それを尋ねようとしているんです。
 
「でもまだ早いと思うんですよ。だって俺達、知り合ってまだ二日目でしょう」
 
 潤んだ瞳で、彼が見つめてきます。全身にイヤな寒気が走りました。
 
「それにママさんだって、あなたと同じ目的で俺にああしていたかも知れないのに……ママとオーナーでケンカはマズイでしょう? まず二人で話し合って下さいよ」
 
「何を話し合いするのよ?」
 
 姉様も私と同じ寒気を感じているのでしょう、半分顔を引きつらせながら尋ねました。
 
 彼はそれには答えず、人差し指同士をくっつけながらボソボソと、しかし明らかに私たちに聞こえる声で、
 
「いきなり『両親を紹介してくれ』だなんて、大胆過ぎますよ」
 
「ラフォイエっっっ!」
 
「めぎょおっっ!」
 
 姉様の放ったラフォイエが、アッシュの身体を吹き飛ばしました。その勢いは凄まじく、部屋の中まで吹き飛ばされていきます。そこへ私は畳みかけるように、
 
「グランツっっっ!」
 
「ぐっはあぁっっ!」
 
 光の矢が全身に突き刺さり、彼の身体がボロ雑巾のようになります。それでも飽きたらずに、姉様は跳躍しました。私も『獲物』をアイテムパックから取り出し、構えます。
 
「はああああっ」
 
 空中で三回転捻りした姉様の膝が、深々と彼のボディーに突き刺さります。そこに駆け寄って姉様にもう一つの『獲物』を手渡すと、私も持っていた『獲物』――釘バットを大きく振りかざしました。
 
「うわあっ?」
 
 ガッ! 残念ながら、床が砕けただけでした。外しましたね。首だけ動かして躱すとは生意気な……。次こそは、と思いつつバットを振り上げます。
 
 真っ青になって、彼がこちらを見上げました。
 
「ちょっと、ねえ、本気っすかオーナーさん?」
 
「残念ね、彼女もアタシも本気なの」
 
 姉様が手に装着したメリケンサックを輝かせ、底冷えする瞳で答えました。
 
「死んで。ね?」
 
 最後の「ね?」の時は、それは良い笑顔でしたが、逆にアッシュさんは怖かったようです。両足をバタバタさせて抵抗します。
 
「ちょと待って、冗談だったんです、ホント出来心だったんですっ」
 
「オーナー、このコ暴れるからやりづらいわ、足を押さえて頂戴」
 
「はいな。押さえるどころか、このバットで足を叩き折ってあげますわ」
 
「思いっきりやってあげて。中途半端な怪我じゃ保険は下りないらしいから」
 
「言われなくてもそうしますぅ」
 
 にこやかに私がバットを、そして姉様が拳を振り上げたところで、(何故か)こちらを遠巻きに見ていたフミヤさんが声を上げました。
 
「二人ともっ、敵だ」
 
 その声から一秒もしないうちに――
 
 敵が空間転移してきました。
 
「仕方ありませんね」
 
 私は敵さんの方に身体の向きをかえました。
 
 デルセイバー3体にカオスブリンガー1体、そしてカオスソーサラー1体。
 
「姉様。お仕置きは少しの間、延期ですね」
 
「ええ」
 
「今、『ちっ』て言ったよぉ。絶対舌打ちしたよぉ」
 
『何か言った?』
 
 私と姉様の視線が突き刺さり、アッシュさん沈黙。フミヤさんがおずおずと、彼の隣りまでやって来て、怯えた表情で尋ねてきます。
 
「あの〜お二人さん、準備いいっすか?」
 
「いいけど、ちょっと待って――アッシュ」
 
 姉様が一瞥すると、アッシュさんは一瞬で立ち上がり、直立不動の姿勢をとりました。
 
「はい! 女王様っ!」
 
「誰が女王様よっ! いい? あいつら一人で倒してごらん」
 
「一人で、ですか?」
 
 ガコーン! と顎が外れたようにアッシュさんの口が大きく開きます。その状態で手振り身振りを交え、必死に訴えかけてきます。
 
「無理っすよ。駄目っすよ」
 
「あら。無理ならいいんですよ」
 
 私はにこやかに告げました。釘バットを振り上げつつ、
 
「私たちに倒されるか、敵さんに倒されるか――選ぶ権利はありますよ?」
 
「うおおおっっっっっ!!」
 
 アッシュさん号泣。
 
 一方、フミヤさんは一人で敵の攻勢を防いだ格好になって、デルセイバー数体と牽制しあってます。
 
「ねえ、オーナー? ママ? 援護は無し?」
 
「ちょっとその姿勢で頑張ってて」
 
「無茶な」
 
 まあ無茶と言えばそうですが、仮にも最強ハンターの一人。もう少し頑張って下さいな。
 
 私たちは再び、アッシュさんに視線を送りました。
 
 彼は頭を抱え、苦悩の真中にあるようです。
 
「ねえアッシュさん……」
  
「……」
  
 私は両膝をつくと、彼の肩に優しく手を置きました。そして、周囲の喧噪など忘れたような、静かな声で言います。
 
「あなたは今まで、楽をしてきたんだと思います。自分よりも弱いモノだけを倒して、レベルを上げて……。でもそれって、本当の強さでしょうか? 自分よりも強いモノ、大きいモノに立ち向かってこそ、本当の強さやレベルが身に付くのはありませんか? 今がそのチャンスなんです。キリークさんを超えるためのね」
 
「オーナーさん……」
 
 彼の驚いたように大きく見開かれていた瞳が、静かに閉じられました。きつく、堅く瞳を閉じます。奥歯を噛みしめているのか、口も一文字になっています。
 
 しかしそれも少しの間だけ。
 
 次の瞬間、力強く開かれた瞳には、気合いが満ちあふれていました。浮かべている満面の笑みには、戦う男だけが到達出来る自信が現れています。
 
「俺、やります。今ここで逃げたら、例えキリークに勝てたとしても、俺自身に負けたことになる!」
 
 すっくと立ち上がり、彼はダブルセイバーを構えました。
 
「さあ行くぞ、モンスターども! 昨日の俺とはかなり違う、『帰ってきたアッシュスペシャル』の前に、華麗な血牡丹を咲かせるがいいっ!」
  
 よく分からない前口上を叫びながら、弾丸の様にアッシュさんは特攻していきました。
 
 そして――
 
 ドコスカバキゴツメキョ……
 
「ぐすん、ぐすんっ……。やっぱり駄目でした……」
 
 悪ガキに泣かされた子供のように、目に涙をため、鼻をすすりながらアッシュさんが戻ってきました。
 
「………………」
 
 なんというか、もう、かける言葉もありません。
 
 戦闘開始からわずか30秒。ある意味、壮絶な勝負でした。
 
 特攻したものの、あまりの勢いに止まる事が出来ずに、そのままカオスブリンガー(以下、馬)と正面衝突。あまりの激痛にフラフラしているところを、デルセイバー(以下、骨)3体からの同時攻撃。それで倒れたら倒れたで、カオスソーサラーのテクニックを跳んで回避したフミヤさんに思いっきり踏まれてしまうし。
 
 さらに次からが非道かった。
 
 起きあがろうと片膝ついたところで、馬に跳ね飛ばされて武器を失ってしまい、素手になって狼狽したところを、さらに骨に囲まれて脱出不能。フミヤさんが助けに行こうとしましたが、新種のトラップでしょうか――頭上から金ダライが落ちてきて直撃。「駄目だこりゃ」とダウン。同時、吹き飛んだはずのダブルセイバーが、なんの偶然か持ち主のアッシュさんの頭上に落下、大ダメージ。
 
 それからが、自称『アッシュスペシャル』の見せ場でした。
 
 命からがら逃げ出したところに待ち受けていたのは、カオスソーサラー。慌てて逃げようとして、また転倒。その先にあった凶悪に尖った石に突き刺さり、顔面に血の牡丹が咲きました。自分で言ったことを自分で実行しなくてもいいでしょうに――さすが『昨日とはかなり違う男』、容赦がありません。
 
 しかし彼のあまりに凄すぎる不運さに、種族を超えた友情が生まれました。
 
 今まで彼を追いかけ回していた骨が、アッシュさんの手を取ると、なんと立ち上がるのを手伝ったのです! それから優しく彼の肩を叩いて励ますと、近くによってきたカオスソーサラーがレスタをかけ、全回復。それでもアッシュさんが泣きやまないので、馬が背負うと、保護者と判断したのか私たちのところまで送ってきました。
 
 ――以上!
 
「ママぁ〜、どうしよう」
 
 アッシュさんが言うと、母としての「ママ」にしか聞こえません。
 
 姉様は呆然と、どこを見るわけではなく、宙に視線を漂わせています――まあ、あんなものを見せつけられては仕方ないでしょう。
 
 私は金ダライで気絶したフミヤさんのところまでいき、片膝をついて彼の頬を叩きました。近くで見たので分かりましたが、金ダライの底には一枚の紙があり、『こんな罠、あったらイヤだよね(笑)by:リコ』と書いてありました。
 
「フミヤさん、フミヤさん、そろそろ終わりそうですよ」
 
「ういっす、敵は?」
 
「友情が芽生えたようで、帰っていきました」
 
「なんですか、そりゃ」
 
 私は黙って、ドアの方からこちらに――というか、アッシュさんに手を振っているモンスターさん達を指差しました。
 
 フミヤさんは一瞬だけそれを見て、すぐさま私の方に向き直りました。
 
「……俺が今みたのって、幻ですよね?」
 
「言わせたいですか?」
 
「いや、いいです――それよりも、ママどうしましょうか?」
 
「んー。しばらくそっとしてあげましょう」
 
 ちらりと視線を送ると、姉様は目を点にしたまま、女の子座りをしたまま動こうとはしません。よほど先ほど目にした光景のショックが大きかったのでしょうね。
 
 私とフミヤさんは、これからどうしようかと頭を悩ませました。
 
 ぐすん、ぐすん、と泣きじゃくるアッシュさんの声が響いてきます。
 
 あうう、泣きたいのはこっちの方です……って、そうだ!
 
 私は名案を思いついて、ぱんと手を合わせました。
 
「なんスか、オーナー?」
 
「ふふ」
 
 それには答えず、私はリューカーを使って簡易テレポータを作成しました。それからフミヤさんの方に向き直り、
 
「フミヤさん。姉様をお願いしますね」
 
「これで帰るんですね。了解です」
 
「はいな。でもちょっと待ってて下さいな」
 
 言うが早いか、私は未だに泣いているアッシュさんのところへ駆け寄りました。
 
「アッシュさん」
 
「……あい」
 
 こちらを見上げた彼の顔は、涙と鼻水でグチャグチャです。あまり見たくないですね。
 
 しかし私はぐっと堪えると、アイテムパックに手を入れながら、にこやかに告げました。
 
「最後の手段がありますけど……使いますか?」
 
「あい……もう、手段は選ばずにお願いします」
 
「それは良かった。立ち上がって背中を見せてください」
 
 無言のまま、アッシュさんは立ち上がってこちらに背を見せました。
 
 私は振り返って、フミヤさんにテレポータの中に入るようにと、手で指示します。
 
 そして姉様を抱きかかえたフミヤさんが、テレポータの中に入ったところで、私はアイテムパックからそれを取り出しました。
 
 その気配を感じて、アッシュさん。
 
「アレ……なんだかいい匂いがする。石鹸かな?」
 
「はいな。痩せる石鹸の薫りですわ」
 
「! それって『デ・ロル』……!」
 
「えい」
 
 ぷす。
 
 振り返ろうとした彼の首筋に、デロルの針が深々と突き刺さりました。
 
「くぉぉおおおおううううう……」
 
 めきめきと音を立てて筋肉が盛り上がり、食いしばった歯の間から上気が漏れ、背後には妙な色のオーラが立ち上がります。
 
 くわっと見開いた瞳から放たれる眼光には、近所の子供が思わず秘密基地に逃げ込みそうな迫力がありました。
 
「むほぅ……」
 
 髪の毛までも逆立てて、アッシュさんが仁王立ちしました。盛り上がった筋肉を見せつけるようにポーズを決めながら、
 
「そうか、そうか。見た目なぞに誤魔化されなければ、すぐにでもこの力が手に入っていたのか……口惜しいのぅ」
 
 なんかもう、しゃべり方どころか声まで違いますよ、この人。
 
「この力さえあれば、たった一人でパイオニア2をも制することが出来るであろうな」
 
「その通りです――とりあえず、これをどうぞ」
 
 私は彼に釘バットを差し出しました。
 
「パイオニア2制覇の準備運動として、ここにいるモンスター達を全滅させてはどうでしょうか?」
 
 もはや別人となったアッシュさんは、私の提案に鷹揚に頷きました。
 
「それもよかろうな。どれ、女。お前は邪魔になるから、もう帰ってもよいぞ」
 
「はーい。そうしますね」
 
 言われなくともそうしますわ。
 
 怒濤の勢いで走り始めたアッシュさんの背中が、完全に私の視界から消えていきます。そしてすぐに、奥の部屋から彼の怒号が響き渡りました。戦闘が始まったようですね。
 
 私は振り返ると、テレポータの光の中でこちらのやり取りを見ていたフミヤさんに声をかけました。
 
「さあ、帰りましょうか」
 
「あの、オーナー? アッシュが奥へ行っちゃったんですけど」
 
「ええ。彼は自らの意志で行きました。悲しいことですが、引き留めるのも酷な話です」
 
「つーか、オーナーが焚きつけたんじゃ」
 
「……帰りますよ」
 
「はい」
 
 素直でよろしい。
 
 そうして私たちは、Nocheへと帰還を果たしました。
 
 もちろん、パイオニア2に帰ると同時にテレポータは消滅させましたので、事後処理も完璧です――アッシュさん、頑張ってくださいね。
 
  *
 
「はい、オーナー。頼まれていたものです」
 
「ありがとうね」
 
「いいえ。それよりも、そのファイルに書いてある男性に用事があるんですか? まさか気になる人だとか……っていけない、出過ぎましたね。ごめんなさい」
 
「ふふ。気になるのは確かですから、謝らなくてもいいですよ」
 
 私はスカディさんから受け取ったファイルに目を落としながら、カフェオレが入っているマグカップに口を付けました。
 
 あの事件から数日……
 
 リューカーで戻ってきてからすぐに、アッシュさんとは別れました。姉様が意識を取り戻したら、彼の命はなかったでしょう――というより、あれ以上一緒にいたら、私も冷静でいられる自信はありませんでしたからね。
 
 その姉様は、すっかりショック状態から抜け出せたようですが、未だに夢でうなされているようだと、姉様の妹のクロウちゃんやビットちゃんから聞かされました――笑顔で手を振るモンスターを見た日には、人生観が変わりますわ。
 
 そして今は普通にNocheを営業している日々ですが、私は気になることがあって、広告担当のスカディさんにとある資料を取り寄せてもらいました。
 
 その資料とは?
 
 アッシュ・カナンとその一族について、調べられたものでした。
 
 曰く、彼の家はそこそこの名門だったそうです。ヒューマンの先祖がまだ、『地球』という水のあふるる惑星にいた頃から連綿と続く一族だとか。
 
 しかし、ヒューマンが地球の重力から解き放たれ、星の海へとその生態系を拡大した頃から、彼の一族にはケチがつきはじめました。
 
 大枚はたいて購入した資源小惑星が、実は何もない石ころ惑星だったり、新しく開発した技術と同種のものが、ほぼ同時期に異星人から安価で提供されたり――こういう話は、宇宙開拓時代には山の様にあったそうですが、読めば読むほど、彼の不幸さは遺伝だったとしか思えません。
 
 結論から言えば、彼のご先祖のその大半は、大望を抱きながらも夢途中に破れたようです。もし生き残っていたら、シフォン家のような宇宙有数の名家になっていたでしょうけどね。
 
 では残りの半分は――
 
「オーナー、オーナー!」
 
 私がそこまで読んだところで、フィーバスちゃんが店に飛び込んできました。開店30分前ですから、まあ遅刻ではないでしょう。
 
 彼女はドタドタと狭い店内を駆け寄ってきて、私の耳に囁きました。
 
「……あのね、アッシュさんなんだけど」
 
「彼が、何か?」
 
 ちらりと、開店準備している姉様の姿を確かめました。お酒の在庫の確認にいっているのか、幸いにしてこの場には居ませんでした。今の姉様にこの話題は厳禁なんですよ。
 
「それで、どうしました」
 
「んとね〜、キリークさんと勝負したんだって」
 
「それでアッシュさんの怪我の具合はどうなんですか?」
 
「ああ〜! オーナーったら、アッシュさんが負けたと思ってるんだ――まあその通りだけどさ」
 
「おそらく、戦う前に自爆でもしたんじゃないですか? テレポータの不調で変なところに飛ばされたとか、石ころでつまずいて大けがしたとか、事前に食べたもので食あたりしたとか」
 
 半分冗談で言ったのですが、フィーバスちゃんは手を叩き、目を丸くしました。
 
「すっごい、オーナー。その場にいたんですかぁ〜? 全部当たってますよ。詳しく聞きますか〜?」
 
 ………………。
 
 私は思わず、こめかみを指で押さえました。
 
 彼って一体、何?
 
「でね、続きがあるのよ〜」
 
「はいな」
 
「アッシュさんを助けた人っていうのがいてね〜、その人って実は彼の憧れの人だっていうの〜。なんか運命的だよね〜」
 
「はあ……」 
 
「そして二人は結ばれて〜」
 
 歌いながら、フィーバスちゃんは控え室へと行きました。
 
 私はため息を吐きながら、資料の残りの部分に目を通して――そして納得しました。
 
 アッシュさんの一族の半分は、夢半ばにして倒れた者達。
 
 宇宙開拓時代には、彼らのような存在が多数あったと言われています。しかし、現在残っている名家はシフォン家ぐらいで、それ以外のほとんどは死滅しました。
 
 ではもう半分は?
 
 それは資料と、何よりアッシュさんの存在自体が語っています。
 
 夢を追うことを諦めた一部の人たちは、例え同族から「負け犬」とか「裏切り者」と罵られても、手に入れたい物と、守りたい物があったのです。
 
 手に入れたかったのは、地に足のついた幸せ。
 
 そして守りたかったのは、新しい時代と共に生まれてくる子供達。
 
 そのために、あらゆる屈辱を甘んじて受け入れた覚悟は、一体どれほどのものでしょう?――私に想像も出来ないほど強かったのでしょうね。
 
「ふぅ」
 
 私はファイルを握りつぶしてゴミ箱に入れると、フォイエで燃やし尽くしました。間一髪、姉様がワインを両手に抱えるようにして持ってきたところです。
 
「あらオーナー、店内でテクニックは多用しないでね」
 
「はいな。それよりも、どれか持ちましょうか? それなんか今にも落ちそう――って、危ないっ」
 
「っとと、ありがと。それは、そっちの棚にお願い」
 
「あれ? うちの倉庫に、こんなお酒ありました?」
 
 私に言われて、姉様が肩を竦めました。
 
「オーナーも覚えてないの? 聞こうと思ってたんだけど」
 
「……記憶にないですね」
 
 私はまじまじと、そのワインに貼ったラベルを眺めました。
 
 ワインのラベル――その絵柄には製造年月日だけではなく、産地やその土地の当主の名前に、当主の一族が使用していた紋章など、一目で全てが分かるように描かれています。見る者が見れば、一目で何のワインか判別出来るでしょう。
 
 ちなみにそのラベルには、大宇宙の下で眠る犬の絵が描かれていました。犬は母親なのか、お腹の辺りで沢山の仔犬が心地よさそうに眠っています。
 
 そして。
 
 サインを読んで、私は姉様に声をかけました。
 
「あの、このワインを自費で買ってもいいですか?」
 
「いいけど……そんな得体の知れないワインを飲んで、お腹壊さないでよ」
 
「ふふ。大丈夫ですよ。きっと」
 
 私は笑みを浮かべると、受け取ったワインをカウンターの下、完全にさび付いた釘バットの隣りに置きました。
 
 そしてもう一度サインを読んで、にんまりと笑います。
 
 サインにはこう書いてありました。品名、産地と続いて、当主名『ザッシュ・カナン』。
 
 このワインの製造年月から考えるに、おそらくアッシュさんの父親でしょう。そしてこのザッシュ・カナンという名前、実は古いハンター名簿にも載っているんです。
 
 もっとも彼は、任務を失敗し続けている最中に一人の女性と出会い、彼女を幸せにするために家業を継いだそうですが。
 
 なにはともあれ、今日は仕事が終わったら、そのワインで乾杯でもしましょうか。
 
 ――誇り高き負け犬の血統と、新しい負け犬の誕生に。
 
 
 
 
 
 「負け犬の遺伝子(後編)・完」 
 
 
 
 
 追記1 まさかとは思いましたが、ワインを飲んだ次の日に体調を壊しました。やはり飲んだのは間違いでした。
 
 追記2 アッシュさんの憧れの人って、『男性』だと聞きました。誰かアッシュさんに引導を渡して下さい。ええ、本気ですとも。ギルドでは正式な依頼として受理してくれそうにありませんから。
 
 
 
 
 
 
 
 次回予告?:
 
 ついに終わりましたわ。終わらせましたわっ
 
「あなた、まだワインが効いてるの?」
 
 いえいえ姉様、これは小説を書く人間特有の、開放感に満ちた喜びの踊りですわ! 知っている人は止めないで下さいな。
 
「そ、そうなの……。それにしてもあなた、次回予告なんて書いてもいいの? 次の事なんて、ちぃっとも考えてない癖に」
 
 痛いところですね。しかし今は開放感でいっぱいなので、どんな大風呂敷でも広げちゃいまーす。みなさーん! 物書きにモノを頼むときは、作品を書き終わった直後にしましょうねっ! かなり無茶なものでも、勢いだけで引き受けてくれますよ〜。
 
「……本格的に大丈夫?」
 
 大丈夫ですわ。ちょっとオチが強引すぎたかな〜と、正気ではない頭でふらっと冷静になって、いきなり滅入っただけですから。
 
「それってメチャクチャ駄目じゃない」
 
 気にしちゃいけませーん! ストーリーはボロボロでも、書いてるだけで文章は上手くなっているはずですから、結果オッケーですのよ。
 
「前向きのようで、限りなく後ろ向きな意見ね……。しかもそれって、考えて書いてる時だけのことなのに」
 
 (無視して)さあ! キビキビと行きましょう。
 
 現在、頭の中にある案としては、「消えた花嫁」か「パイオニア2の新聞」の続編がありま〜す。みなさんの読者投稿で内容が決定するので(嘘)、感想やご意見などあったら、どんどん掲示板やゲーム中に言って下さいな。体力と気力とマグの機嫌が良いうちには、まとも対応すると思いますので。
 
 ではまた、次の機会にお会いしましょう!
 
「ふふ。また、ね」
 
            

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