It was feared system 第2話「information」


        【パイオニア2船内 ナイトクラブ「ノーチェ」裏口前】


        夜の地下街道…昼夜を問わず、人工光が常日頃届かない区画…その一角に、彼女は居た…。
        街灯の手前にある鉄製のドアに寄りかかり、時が立つのをただひたすら待っていた。
        彼女の髪は全ての者を魅了する様に長く鮮やかな銀色をし、その左眼には威圧感を感じさせる黒い眼帯が付けられていた…。
        彼女の名はアーク、クラブ「ノーチェ」のママを営む者である。

        「………来たわね……」
        彼女はふと、街灯の光が届かない真っ暗な闇を睨み、そう言った。
        しばらくすると先程まで闇の中に潜んでいた影が揺らめき、街灯の光に照らせる位置へとその姿を現した。

        「おいおい、これでも急いだつもりなんだぜ。そんな恐い顔すんなよ。折角の顔が台無しだぜ?」
        男はそう言いながらアークに愛想笑いを浮かべた。

        「誰も怒ってなんかいないわ。そんな事より、そこにいつまで突っ立っているつもりかしら?シャドー」
        アークは既に先程までもたれ掛かっていた扉を開け、建物の中へ数歩足を踏み入れていた。
        そして彼に向かいそう言うと、その姿は奥の闇へと消えていった…。

        「そう急かすなって。」
        シャドーと呼ばれた男はそう言うと、建物の中へと向かった。




        「それで……調べは着いたのかしら?」
        アークはソファーに座り、そう言った。その表情は、どことなく険しい物であった。

        「ま、ひととおりはな。」
        シャドーはそう言いながら、アークと向かい合う形で座り、煙草を取り出して火をつけ始めた。

        「えっと…資料によるとだな…」
        煙草を口にくわえたままそう言うと、シャドーは手提げカバンから携帯用の端末を取り出し操作を開始した。

        「研究者、軍部関係者、合計401名中、負傷者35名、アンドロイドの方は50機中負傷機は0だ。まぁ総勢451名、その施設に配備されてたって事だ。」
        シャドーは携帯用端末の画面を眺めながら最初から知っていた様な素振りで言い、携帯用端末からチップを取り出すとそれをアークに手渡した。

        「大きな施設だったみたいね……彼については?……」
        アークはチップをその左手に装着されている通信端末に入れた。
        チップの情報を読み取った端末は空中にその情報を映し出し、アークはそれに視線を向けながらそう言った。

        「ラグオル上に存在する何百って言う研究所の大半はP,F,M(パイオニアワン軍)が設置した物だが、これはP,S,M(パイオニアツー軍)がラグオルに設置したデカイ研究施設さ…残念ながら回りくどい資料しか見つからなかった。あぁ、後…」
        シャドーはそこまで言うとその視線を少し横に逸らし、アークの方を見ないようにした。

        「どうしたの?」
        空中に映し出される文字列を見ていたアークは、突然黙ったシャドーにそう質問を飛ばした。

        「あ……あぁ……いや、その〜何だ。言っていいのかちょっとな……」

        「構わないわよ。言って頂戴。」

        「そう言うんでしょうね、アンタは……」
        シャドーはそう言いながら、俯いたと同時に大きなため息をついた。

        「施設の事だが……負傷者以外は全員死亡……大勢ソコで死んだって事だよ。えげつないって言うか何て言うか……」

        「………そう……」
        アークは未だ映し出されている文字列を見ながらそう言った。

        「そう……って、ノーリアクションっすか!もうちょっと驚くか何かするかと思……」
        アークの答えた内容に驚き、シャドーがそこまで自分の本音を言った時、

        「既にそのデータは拝見済みよ?シャドー。」
        アークが割って入り、そう言った。

        「あ、そう……っすか……」
        シャドーは呆気に取られた様に目をパチクリさせ、口が半開きの状態でしばらく膠着していた。

        「あ……そ……そこまで見てるならついでだ……研究者の中で唯一無傷で生還した奴等がいる……詳細は不明だが……全員で8名程いたはずだ……よっぽど運が良かったんだろうな……そいつ等は。」
        膠着状態だったシャドーは気を取り直しそう言った。そして視線をアーク、煙草の順に向け、

        「所で……」

        「ん??」
        煙草を吸っていたシャドーは、突如アークに話掛けられた事に一瞬戸惑った。
        そんな中、アークは言葉を続けた。

        「やったのは……一体何?……このデータの中には無いみたいだけど……」
        アークは視線を空中に映し出された文字の列から、シャドーへと変えそう言った。
        そして先程まで空中に表示されていた無数の文字列を消し、端末からチップを取り出してそれをテーブルの上へと置いた。

        「そこなんだよ……」
        シャドーはそれを聞くと、先程までくわえていた煙草を片手に持ち、目の前にある灰皿の中に入れもみ消した。

        「やったのは……データが正しけりゃ『たった1機のアンドロイド』だ……『あるシステム』を積んだ、な。」

        「ある……システム?……」
        アークはそう言うと軽く横に首を傾けた。

        「俺が気になるのは2つ。」
        シャドーはアークの目の前に2本の指を立て、そう言った。

        「1つは……そのシステムの実体と情報だ。総督府の表ベース、軍部のデータベースには無かった。多分抹消された……か……本当に実在しないのどっちか、だろうな。もう1つは……アーク、『フォースロイド』と言うのを聞いた事があるか?」
        そう言った直後、シャドーは目の前に出していた左手を下ろし、その目に左手の代わりにアークを映し出した。

        「えぇ……多少の事ならね……。」
        シャドーの目に映るアークは口を開き、そう言った。

        「まっ……そうですわな……実際1人いるんだし……」
        シャドーはそう言うと、目に映す物をアークから店内の奥へと移した。
        店内は照明をつけていない為薄暗い闇が広がり、その奥にある物はハッキリとは見えなかった。
        だが、彼はその先にあるであろう壁に掛けられている従業員の写真を見ているつもりであった。
        しばらくするとその動作もやめ、アークの方へとその視線を向け話を続けた。

        「それや…その他にも新しい新型アンドロイドの開発、違法改造されたシステムの研究とそれを積んだアンドロイド研究、新兵器の開発も行っていたらしい。…だが、妙に臭い…」
        シャドーがそこまでいうと、彼は最後に呟く様にそう言った。
        新しい煙草を取り出すと、それを2本の指に挟んだまままた話し出した。

        「そもそもただそれだけの事をするのにしては人員の配置が異常な程多い。ラグオルに設置したと言う事は研究内容はどうでもいいとして設置地点等の情報だけでも総督府や軍によって記録される。もししなくても裏の方に何らかの情報が入り、俺でももっと簡単にこの情報はつかめたはずだ。それが出来なかった……つまりは軍や政府以外にも、裏に位置する組織がこの施設に大いに関係しているって思うんすけどね…。まぁ、適当な俺の推測でしかないっすよ、これ。」
        そこまで言うと、彼はアークが質問の類いを言わないのを確認し、また口を開いた。

        「ただ〜情報の記載ミスってのも良くある事ではありますし…古いデータだから、サーバーの奥にあって検索に時間が掛かったって事もありますしねぇ…視野も広〜く見たら、軍や政府に顔が効く闇組織か民間の大企業って事も考えられるますし……。裏もあれば表もある、明るい考え方もあれば〜暗い考え方もある!何てね。」
        シャドーはそう言うと、馬鹿笑いに等しい笑い声を上げた。
        アークはしばらくそれを見、小さく溜息をついた。シャドーもその溜息を聞き、自分が滑った事に感づいた。
        すると、先程までの大きな笑い声は徐々に小さくなり、終いには無言へと変わって行った。
        しばらく沈黙が続くと、その沈黙はシャドーが口を開く形で破った。

        「あ〜…な…何で俺が色々そんな事を言ったかって言うとだな…」
        シャドーはそう言うと、又手提げカバンから何かを捜しだした。
        そして中から目当ての物を見つけると、「コイツだよ。」と言って1つのメッセージカプセルをアークに向け、フリスビーの如く投げた。
        メッセージカプセルはアークの手前…机の上へと着地し、起動した。
        先程アークが使用していた通信端末と同様にそれは空中に表示され、内容は先程とは違い文字と一緒に顔写真やミニチュア化した写真の人物が全
        長10cmぐらいの3Dで表示され、それは一定の間隔で別の人物へと内容を変更していった。
        表示される人物…それはほとんどは軍服で身を包んだ者であり、時折タキシード等他にも様々な姿をした者達が表示される事もあった。

        「資料を探している時に見つけた物っすよ。普段はこんな事、無いんすけどね…」

        「仮に…その資料全てが架空の物だとしてみろ…一緒に出てきた…今表示されている政府や軍部高官達、それに闇組織の幹部クラス…それも大物ばかりの資料…どれも実在する政治家や軍人、有名な裏社会に存在する闇組織ばかりだ……本当に実在しないとしたら、これらの餌は出来すぎている。巧妙で、驚く程に、な。」
        シャドーは先程から起動しているメッセージカプセルを指差しながら、そう言っていた。
        そしてアークの言葉を待つより先にシャドーは更に話を続けた。

        「アーク、はっきり言わせて貰うが……今回のネタは相当ヤバイ代物だぜ。まぁいつもの事だがな……何を知って、何を調べたいのか……お前が提供してくれた情報で探索した時に見つかったその大量の資料……内側からハッキングでも掛けなかったらまず見つからなかっただろうな……。これが何を意味するのか……解っているのか?アーク……」
        シャドーはそう言うと、アークを睨みつけた。

        「えぇ、アタシがアナタに依頼をする時は、いつもそう言うネタなのは、アナタもよく知っているでしょ?」
        それは平然とした口調であり、彼が聞き飽きた台詞に類する物でもあった。

        「それはそうだが……今回のはいつもの様な物とは違う…もし実在する物だったら今でもこの件について軍部や政府はおろか、これに関係している全ての闇組織が血眼になって動いているネタだ……これを調べるって事が……」
        シャドーがそう話を続ける中、遮るようにアークが1つの疑問を飛ばした。

        「ねぇ、この文字……何て読むのかしら?」
        アークがそう言いながら指差したのは、起動しているメッセージカプセルが表示する1つの言葉であった。
        空中には白衣を纏った者達が映し出され、その人物達を紹介する説明欄には『C-MADDOG』と古代語の言葉が表示されている。
        アークから発せられた疑問にシャドーは一瞬困惑したが、質問を無視して話を続ける訳にもいかず手提げカバンを探り始めた。

        「あ……あ〜えっと、それは古代語で書かれた物で……現代語に読みを直すとCMADDOG(シーエムエーディーディーオージー)だな」
        シャドーはカバンをあさりながらそう言った。

        「そうじゃなくて、意味よ、意味。」
        アークは肩を落としながら、いまだカバンの中をあさるシャドーへと言った。
        するとシャドーは「あったあった」と声を出しながら、カバンの中から印刷したと思われる紙の束を取り出した。

        「え〜と……何かの作戦……いや、コード……かな??……すんませんアーク……これ〜まだ調査中の奴だったんですわ。」
        シャドーはそう言いながら、頭を掻きながら苦笑する。
        しばらくするとシャドーは突如「あっ」と言い、その続きを口にした。

        「でもCは多分コードネームか何かの頭文字だと思うがな……いまいちわからん……この件は引き続き調査させて貰いますわ。勿論今回は俺の失態だから追加料金は無料で……」
        シャドーはそう言うと、紙の束をカバンの中へと収めた。

        「そう……この『MADDOG』っていう意味もわからないんでしょうね……」
        アークはそう呟くと、シャドーの方へ視線を向けた。
        それを聞いたシャドーは、紙束をしまいながら苦笑するしかなかった。

        「アナタでもわからないんじゃ、こればかりはお手上げかも知れないわね……」
        アークがそう言った時、メッセージカプセルは自動的に自らの役目を終え、起動スイッチを再び押されるまでの眠りに入った。

        「は……ははは……そ、そんな事も〜ありますわ〜」
        シャドーはいまだ苦笑したままそう言った。
        そこまでいうと、彼はふと自分が何かを忘れていると言う事を思い出した。

        「ところで……さっきの話の続きだが……アーク、本当に解っているのか?実在するかどうかも未だ解らないネタだ。もし本当だったら命だって狙われかねない。もし実在しない物を求めてみろ、空気を掴もうとして「掴めませんでした」で終わり。たんなる無駄足だ。もしかしたらそのまま政府の監視がつくかもしれない……。悪い事は言わない、お前もこれ以上得体の知れない物への干渉はやめておけ……下手をしたら、命を狙われかねない物だぞ……」
        シャドーはアークを睨みつけるような表情でそう言った。
        だが、アークの表情はシャドーの予想通りのものだった。

        「アナタがいつもそんな事を言って、アタシが考えを変えた事なんて一度でもあったかしら?」
        アークはそう言った。
        その顔には普段のノーチェのママとしての表情があり、動揺も、強がりじみた物も、苦悩等に満ちた物は何一つ感じとれなかった。

        「少なくとも、最初の1回だけはあったと思うんすけどね……」
        シャドーは呆れた感じでそう言った。

        「とは言え……アンタがそう言うのはいつもの事だしな……普通やらねぇっすよ。たった1機のアンドロイドの情報に命掛けるなんて……。とりあえず〜情報が取り出しやすい奴に目星を付けておいた。これがそうだ。」
        シャドーはそう言うと、手提げカバンから最初にアークに渡したチップとは色違いの物を取り出し手渡した。
        アークは先程同様それを左手の通信端末に入れ、データを空中へと呼び出した。
        データが空中に映し出されるのと、シャドーが新たに口を開くのはほぼ同時であった。

        「罠とかを考えてこいつにしてみたが……名前は「クラース=アルゴス」現在は仮名だが、研究所での重要参考人の1人だ。他の研究者とかは護衛等をつけてもらっているが……この男と他の生存者8名だけは違う。まぁ護衛と言っても監視役もかねての護衛だ…護衛がついていないとは言っても、この男にもつねに監視の「目」が配備されている。とは言え〜……接触して話が聞きやすいのは〜こいつを除いて〜他には〜無い!」

        「いつもながら手際がいいわね。」
        アークは通信端末を眺めるのをやめ、シャドーに向かいそう言うと軽く微笑んだ。

        「ま、これが仕事なんでね……速さと正確性、そんでもって用意周到なのが俺の特許でもあるからな。」
        シャドーはそこまで言うと、頭の後ろに両手を組みソファーに身を沈めた。

        「いつも世話になるわ。」
        アークはそう言いながら、通信端末を閉じた。

        「あと……この事……他言無用でお願いしたいの。勿論オーナーにもね。……いいかしら?」

        「……オーナーさんにもか……オーケー、解ったよ。秘密厳守が俺の特許でもありますから……。」
        シャドーはそうアークの問いに二つ返事で応答しながらその眼を瞑った。

        「有難う、いつも世話になるわね。」

        「それはお互い様っすから。ちなみに、クラースに接触するなら明日……つぅか〜今日っがいいっすよ。それを見逃すと簡単に接触するなんて事は無理に近いと思います……。」
        シャドーはそう言うと、瞑っていた眼を開け組んでいた両手を解いた。

        「今日?……解ったわ、色々と有難う。」
        そうアークは言い、その場を後にした……。


        【同船内 都内映画館:ホール】


        そこでは静かに、今でも珍しい白黒の映画が上映されていた。
        点々と客席に人が座る中、その最後列の丁度真中の席、彼はそこに居た。
        見た目はどこにでもいそうな白髪が生えた中年風の男。
        男は両足を組んで椅子にもたれ掛り、寛ぐ形でじっと映画を見ていた。
        時折入室して来る人物を確認する為にその目線を向けるが、それは既に後姿でまたすぐに映画に向けられた。
        ……映画館のホールにまた11人、人が入室してきた。
        男はその客の後姿を確認しようとして、視線を通路へと向けた。
        しかし、その視線が客の姿を確認するより早く、聞こえてきたハイヒールの音が徐々に自らに近づいていることに気づいた。
        男はそれが、自分への距離を縮めている事と解釈した。
        客は男の隣の席へと腰を降ろした。
        その時、映画の光によって輝く銀色の髪の毛らしき物を男は確認した。
        客は男に一つの質問を投げかけた。

        「クラース=アルゴス元研究員ですね?」

        「!……アンタ……何故その名を……」
        クラースと呼ばれた男はその客の方へ視線を向ける程度にし、愚問を飛ばした。
        そして、男…クラースが見た客…それはなびく銀髪を持ち、種族独特の長い耳をした女性であった。
        左側にいる彼を見る為か、彼女は顔をそちらへ向けていた。
        その為、彼は横目で彼女の顔全体を見る事が出来た。
        彼が見た顔、それは、一言で言えば美人と呼べる顔立ちに、驚くべき独特の威圧感を感じさせる黒い眼帯を左眼につけている容姿であった。
        女性は彼の問いに答える代わり、自らの自己紹介と用件を口にした。

        「初めまして。アタシはカムナ=アークと申します。実はアナタが勤めていらっしゃった、P,S,M所有の研究所で起きた事件について詳しく知りたいの。宜しいかしら?」
        アークと名乗った女性はゆっくりと、そう言った。

        「……知らんな……そんな話は……」
        クラースはそう言うと、視線をアークから映画へと背けた。

        「どうしても知りたいの。協力して頂けませんか……?」

        「悪いな……俺はただの一般人だ。軍も、それの所有する研究所も知らん。」
        クラースはまた視線をアークの方へと移し、疑いの色を混ぜた視線で言った。

        「……そう……じゃあ、他を当たるしか無いようね」
        アークはそう言うと、その視線をクラースから映画へと移し立ち上がろうとした。
        …だが、それを静止させるかの様に1つの言葉がクラースの口から発せられた。

        「何故、その事を知りたがる。」
        そう聞いたアークは視線と顔をクラースへと向けた。
        彼はじっと視線を映画へと向けたまま、アークの反応を見ようともしなかった。
        ただその先の答えを聞くだけしか用が無いかの様に…

        「……知り合いが……そこでの出来事に関わっていたかも知れないの。そして今その知り合いは何も言わずに姿を消した。知りたいのよ。今彼が置かれている境遇を……彼に隠された秘密を……」

        「追われる身に、なってもか?」

        「そうね……その時はその時。それなりのコネを使ってどうにかしようかしら。」
        アークはそう冗談混じりに言うと、映画の方に視線を向けるクラースに対して微笑を浮かべた。

        「……………」
        クラースはそんなアークの顔を見ようともせず、相変わらず映画にその視線を向けていた。
        これまでか、とアークが立ち上がり、背を向けた時、クラースは声を出した。

        「……アンタ……ハンターズに最初に支給される『マグ』の中枢核とも言える物が何か知ってるかい?……」
        クラースがそう言ったのを聞いたアークは、後ろへと振り返り彼を見た。
        彼は、今まで同様にただ映画だけにその視線を向け、アークに質問を飛ばした様であった。
        アークは再びクラースの方へ向き直り、彼のその質問に答えた。

        「いいえ、詳しくは知らないわ。」

        「……遺跡と言う所がラグオルで見つかっただろ?そこに出てくるエネミーどもが何で構成されているかは?」
        アークが質問に答えると、クラースは続けざまに質問を飛ばした。

        「D細胞……だったかしら?……」
        話が長引くと判断したアークは席に座りながらその問いに答えた。

        「あぁ……ある因子によって生体細胞を侵食されたのがそれだ。……『特殊なフォトンエネルギー』それが『因子の元』だ。異常フォトンとも言うべき物でもあり、有機物から無機物に至るまで侵食から融合、分裂して行き、情報を伝達しながら他の物へと干渉する。『意思を持った物』と言う奴もいる……それが……」
        クラースはたんたんと映画を見ながらそう言った。
        そして、クラースがその続きを声にしようとした時、アークが話を引き継いだ。

        「D因子に、D細胞……」
        アークがそう言うと、クラースはしばらく黙り込んだ。
        その表情はアークに割り込まれて不機嫌と言う物とは違い、何かを考えていると言った風であった。
        その視線を映画に向けていたクラースは一旦目を瞑り、そして次に開いた時は目と同時に唇も動かしていた。

        「……そうだ、マグみたいなただの機械が様々な形に変形する事を不思議に思った事は無いか?あれはマグの中にD細胞を積んでるからだ。もっとも…開発当初はその危険性は十分開発部も考慮していた……だったら、何故搭載されたと思う?」

        「今でもマグが支給されているのはハンターズだけだ。実験の為の、研究の為の丁度いいテスト対象が、ハンターズ。……こっちの業界用語で言えば早い話がモルモットさ。死んでも俺たちは当然、軍や政府にとってもどうでもいい事、そう言うことだ。D細胞は未知な故に無限の可能性を見出せる。だからデータが欲しかった……そう言う事だろう。ハンターズとは常に融通が聞く実験体、材料としか見られてないのさ、俺たちの世界では……。」

        「……本題に入ろうか……研究所で研究が行われていたのは、このD細胞をマグみたいに搭載したアンドロイドの起動実験・データ収集等だ。試験的だった為名称等は存在しない上、こいつの暴走事件が一番多かった。……『D-roid(ディーロイド)』……それが研究所内での噂に対する名称だったよ。」

        「もう1つは軍の技術を加えたテクニックジェネレーターをアンドロイドに搭載し、アンドロイドでもテクニック等が使える様にする物だ。こっちの方は過去に何度も民間企業が実現を目論んだらしい……が、成功例は聞いた事が無い……これの方は有名だったよ。暴走も無いし、言ってみれば一番機械的だったからな。名称は『FOrceroid(フォースロイド)』それがソレの名さ……その他にも様々なシステム、機械、兵器、アンドロイドが研究され、開発されていた。その中の1つに……俺の最悪な事件リストのトップであり、もっとも忌々しい事件が起きたことがある…あれが無ければ、俺ももう少し旨い飯が食えたかもしれんな……いや……食えるわけは無いか……あれが無かったとしても……」

        「コードM A D D O G(エムエーディーディーオージー)。通称『MAD-DOG(マッドドッグ)システム』別名『狂犬』さ……研究所でも研究がされたばかりで噂は少なかったが、あそこでろくな噂なんて存在しない……中には噂にもならないぐらいひでぇ研究あったらしい……そのシステムも、その産物だって話があったが……所詮噂は噂だ。全てが根も葉もない話さ……何を信じ、何を疑うかはアンタ次第さ……」
        クラースはゆっくりそう言うと、次は何を話そうかと迷っていた。すると、今度はアークの方から話を始めた。

        「ちょっと……宜しいかしら?」
        クラースがその言葉を耳にし、アークの方へと視線を向けた時、彼女はいつの間に出したのか通信端末の入力装置を空中へ呼び出しそれを打ち込んでいた。
        目的の物が見つかったのか、今度はそれを呼び出しそれをクラースへ見せた。

        「この文字に……見覚えはないかしら」
        アークがそう言い、クラースへ見せた文字。
        それは、今朝方シャドーが見せたメッセージカプセルの中にあった『C-MADDOG』と言う文字列を現代語に直した物だった。
        クラースはそれを見て、初めてアークの方へと顔を向けた。
        そして、その文字が示す意味を理解し、ゆっくりと口を開いた。

        「なるほどな……アンタが知りたいのはこれと言う事か……」
        クラースはそう呟くと、映画の方へと顔を向けた。
        その表情には、若干微笑が浮かべられているのにアークは気がついた。
        それを見ていると、「とっくに察してるんじゃないのか?俺の説明で。」そうポツリと呟くクラースの声が聞こえた。

        「アンタが言っているのは確かにMADDOGの事を意味する言葉だろう。目標を確実に殺害、又は破壊する為に作られた戦闘システム。それが狂犬であり、その頃あそこに居た軍部の連中が求めていた物の1つ。軍部は当時、確実に、そして忠実に命令をこなす完全自立命令受諾型アンドロイドを必要としていた。従来のアンドロイドはその9割近くがマシンソウル搭載型だ。人が善悪を判別するように、アンドロイドもその任務に対する罪悪、命令の拒否や命令の優先度に逆らう事なんかを感じたり考えたりする。そして、任務の完遂に影響するその根源がマシンソウルにあると軍部は同時に考えた。この移民船に乗って来た軍部の連中が欲していた物は従順な兵士だ。それと同時に、従来のアンドロイドでは想像も出来ない様な攻撃力、スピード、情報解析の3つを兼ね備えた究極のアンドロイド…兵士を求めた…欲張りな話さ。そんな夢や幻の様な物。……だが、それを実現したのがこの狂犬……。アンタは、どんな物がそうさせたと思う?……」

        「軍部の……最先端の技術かしら?……」

        「そう、アンタの察している事は間違いじゃない。だが、このシステムはそれだけじゃない。軍人、本来軍にすらその存在が公にならない政府直轄の部隊や組織、そしてハンターズ等、みな主に英雄視された奴を中心にその戦闘技術を解析し、登録した物だ。『リコ=タイレル』『ヒースクリフ=フロウウェン』『ドノフ=バズ』『ゾーク=ミヤマ』が良い例であり、皆これの対象とされた人物だ。」

        「……それらを登録した結果、VRシミレーションでは研究所で同時開発されていた兵器も同時投入した場合、一個師団並、又はそれ以上の性能を発揮するという結果が出た。軍の呼称で例えても解らんか……様はたった1機で戦争や内戦は勿論、何百、何千万もの人やアンドロイドを大量虐殺出来るって話しだよ。アレは。」

        「アンタ……『黒い猟犬』と呼ばれているアンドロイドの事……聞いた事があるかい?……」
        不意に、クラースはそんな事を呟いた。
        知らないならそれで良い。その問いはそんな程度の物らしかった。
        話しを続ける訳でも無く、ただアークの答えを待つだけの構えを取っていた。
        それを見たアークは、しばらく考え答えを出した。自らが嫌う者に関する答えを…。

        「黒い猟犬……えぇ、良く……知っているわ……」

        「そうか……その黒い猟犬……そいつに搭載されているシステムは、この『MAD-DOGシステム』を元に作られたシステムだと聞いている。システム自体の能力は極限まで低下させ暴走等による危険性等も未だ無い……。能力を低下させた……それでも、その戦闘能力は計り知れ無い物とされている……それだけ、危険で、かつ戦闘力は高いと言う事だ……」

        「……それは……ラグオルで開発される前から、黒い猟犬に搭載されているシステムの原型は完成していたって言うの?……」
        それを聞いたクラースは、驚くでも無く、感心を持つ風でも無かった。ただ平然と、先程の表情を保っていた。

        「そう、ラグオルで開発される前からそれは本星にて研究が進められていた。だが……成功はしていない……全て試作段階にも乏しい時点で失敗したと聞いている……噂だがな……。戦闘のプログラムは前々から出来ていたらしく、それを効率の良い実用化にした所そうなったんだろうな。俺の勝手な推測だがな……これは。」

        「……俺が知っている事と言えばこんな物だ……大抵は噂話ばかりだがな……。研究員と言う物は、それの背景を良く語りがたる。アンタには退屈過ぎる話だったんじゃ無いのか?」
        クラースはそう言うと、アークの方へと向き苦笑した。

        「1つ……聞いていいかしら?……」

        「何だ?……」

        「そのアンドロイドは……戦いと言う物を楽しむのかしら?……」

        「……どうだかな……さっきも言った通り、軍部はマシンソウル搭載型で無いアンドロイドを求めていた。マシンソウルとはアンドロイドで言えば心であり、言語や行動に対する知識が詰った様な物だ。マシンソウルが無いアンドロイドはただの鉄の塊でしか無い。このシステムがある場合は、全くの血も涙も無い殺戮マシンだろうな。そもそも感情と言う物をアンドロイドの奴等は知らない。ある状況下で何かを勘違いしてそう思う事がある。人でもそれは同じ事であり、恋がそのいい例だ。ある時驚く様な事が自らの身に起きた時、その心拍数が上昇し、何とも思わない赤の他人を恋してい
        る等と誤認する事が良くあるパターンだ。アンドロイドもそれと同じで、誤認による錯覚だと俺は思うがな……ただ、MADDOG搭載型はマシンソウルの搭載を考慮していない。もしつけられたとしても、それはとても高度な技術と設備が必要なはずだ。それぐらいは噂でなくても話を聞けば俺でも分かる事だ。結果がどうなるかまでは、知らないがな。」

        「そう……じゃあ……技術と設備さえあれば、マシンソウルは備えられると言う事よね?」

        「揃っていれば、そう言う事だ……。だが、そんな物そう簡単にあるとは思えないがな……。」
        クラースはそう言った。
        ふと気づくと、映画はラストシーンへと移り変わりつつあり、アークがそちらに目を奪われていると、ふとクラースが「それで終わりかい?」と言った。
        クラースの方へ振り向くと、彼はアークの方に顔を向け、彼の出した問いの答えを待っていた。

        「そうね、ありがとう。アナタのお陰で色々と詳しい事が解ったわ。」
        そう言うと、アークは何かを思い出したかの様に通信機器…アイテムパックをいじり出した。

        「あと、気が向いたらココにでも来て下さいな。」
        そう言うと、アークは目当ての物を取り出し、クラースに手渡した。
        クラースはそれを受け取ると、まじまじとそれを眺めた。

        「名刺……か?」
        アークから手渡された物、それは1枚の名刺であった。
        クラースはそう言うと、名刺に書かれた内容を目に映し、その内容が示す意味を頭の中の辞書を開きながら解読した。
        そして、クラースはその内容に一瞬戸惑いを覚えた。

        「……NightClub……Noche?……まさか、あの?」
        クラースはそう言いながら、アークが手渡した名刺とアークを交互に凝視した。

        「あら、ご存知で?」

        「知っているも何も…クラブに興味の無い奴なんて居ないと思うがな。何より、「お触り」が出来ない事で有名だよ。」
        クラースはそう言うと、片手にもったアークの名刺をチラつかせた。

        「ふふ、気晴らしにでもいらして下さいな。今日のお礼といっては何だけど、いらしたら直々にお相手して差し上げるわ。」
        アークは微笑を浮かべながらそう言うと、振り返り、帰路への道を歩みだした。
        その時、「まった。ママさんよ。」とクラースがアークのその背に声を掛け、呼び止めた。
        アークが振り返り、クラースの方へ向き直ると、クラースは口を開き、話し出した。

        「システムについて……俺よりもっと詳しく知っている奴がいる……」

        「……誰?」
        クラースの言葉を聞いたアークは、当然の言葉を質問として述べた。

        「誰かは言えん。だが、最もアレの近くに居た奴だ。まぁ、詳しい事はそいつに聞いてくれ。」
        クラースはそう言うと、その表情に軽く笑みを浮かべた。
        そして、アークが言葉を発するより先にクラースが口を開いた。

        「俺が連絡をつけといてやろう。待ち合わせ場所は……そうだな……この、ノーチェとやらはどうだ?早くて今週。長くて1ヵ月以内には店に行くだろう。連絡が付いても、こっちからは連絡はしないからそのつもりで居てくれよ。大丈夫だ。ちゃんとモラルのある奴だ。触ったりなんて事はしないだろう。そもそも気が弱い方だからな……」
        彼の口にした言葉はそう言った物だった。
        最後に口にされた一言は、彼の呟きとして映画の音量に掻き消され、アークの耳には届かなかった。

        「そう……ありがとう。感謝しますわ。では、良いお返事をお待ちしております。」
        アークはそう言うと、クラースに対して軽く頭を下げホールの出入り口へと向かって行った。



        「行ったか……」
        クラースがそう呟くのと、映画のENDの文字が表示されたのはほぼ同時であった。
        クラースは席を立ち、座列の端にある通路へと向かった。
        一歩ずつ通路へと歩を進める中、1人の女の子らしき子供がポップコーンの箱を片手にホールの出入り口から現れた。
        何かを探しているのか、入った直後に辺りを見回し始めた。
        そして、その視線はクラースの方へ向けられ、止った。
        彼はその事に疑問を持ちながらも、ある1つの言葉を頭の中で思い浮かべていた。
        彼はたんたんと通路への歩を進め、同時に先にいる小さな女の子が話し掛けて来るのを待っていた。

        「あの……」
        クラースが女の子の目の前まで来ると、女の子は上目遣いにクラースを見ながら不安そうに言った。

        「ん?」
        クラースは疑問符をつけた言葉で女の子に答えた。

        「……これ!」
        女の子がそう言ったのと同時に、ポップコーンの箱を抱えた手とは反対の手に持った一枚の紙をクラースへ差し出した。
        クラースは黙ったままそれを受け取り、折られていた紙を広げた。
        そこには簡単な地図と、地図の一ヶ所に矢印で指された所があり、そこには「Restaurant」と「Come over here」と言う2つの言葉が書かれていた。
        クラースはその意味を理解したのか、紙を元の通りに折り、ポケットの中へと閉まった。
        そして、女の子の方を見、言葉を発した。

        「ありがとうな。お嬢ちゃん。何か…礼をしないとな…」
        そう言うとクラースはポケットから財布を出そうとした。だが、財布を出す前に女の子が声を出した。

        「うんん。いいの!もう貰ったから。」
        女の子はそう笑顔で言いながら、片手に抱えていたポップコーンの箱を両手で持ちクラースへと見せた。
        それを見たクラースは微笑を浮かべた。

        「そうか。ありがとうなお嬢ちゃん。」

        「うん♪」
        女の子は満面の笑顔でそう言うと、座る席を探す為通路を走りだした。
        クラースはその後姿を微笑を浮かべたまま見ていた。
        だがホールを出た瞬間、彼のその微笑は消え目つきはとても鋭い物となっていた。


        【同船内 都内レストラン】


        奥の隅の席に先程からずっと新聞を広げたままでいる男が居た。
        何を頼む風でも無く、ただ延々と新聞を広げている人物の顔は、新聞のせいもあるが、その人が見につけているトレンチコートの裾と深く被った帽子とで全く見る事が出来なかった。
        しばらくすると、新たな来店者が訪れた。
        新たな来店者は、どこにでもいそうな中年風の男。
        髪の毛には白髪が所々生え、見た目には相当歳を重ねているであろうと思わせる姿をしていた…。
        それは、クラースであった。
        クラースは店内に入ると、迷うことなく先程からずっと新聞を広げたままの客の方へと向かった。
        彼は席に近づくと、新聞を広げた客の向かいに座った。
        すると、新聞を広げた人物は目の前に誰が座ったのかも確認せず言葉を発しだした。

        「おはよう御座います。いえ……こんにちはですかね?犯罪者さん。」
        そう言うと、開いていた新聞を折りたたみ出した。
        それまで、この場では隠されていた人物の顔がその時初めて現されたのだった。
        彼は女性とも間違われそうな白い肌に、金色に光沢を出した艶やかなちょっと短めのショートヘアー、澄んだ蒼い瞳をし、そしてその口元には微笑を浮かべていた。
        クラースには彼のその瞳の奥に何かを企む物を見た気がし、寒気を覚えた。
        その寒気も直に消え、クラースは彼が出した皮肉混じりの挨拶に答えた。

        「俺とアンタが会うのは初めてだと思うがな…初対面の挨拶にしては随分と失礼じゃないのか?」
        クラースはそう言うと、男は驚いたかの様に目を見開きパチクリさせていた。
        そして、彼は、笑顔を浮かべながら訂正の声を述べた。

        「あぁ……これは失礼しました……共犯者さん……」
        彼はそう言った。
        だが、クラースもこれ以上どうこう言うつもりもなかった。
        それを確認したのか、それともどうとも思っていないのか、彼は近づいて来たウエイトレスに人差し指を立てながらコーヒーを二つ頼んでいた。
        そして、口を開いた。

        「さて、本題に入りましょうか。」
        彼のその口元には僅かに微笑が浮かんでいた。
        それを見たからでは無かったが、クラースは自然と彼を睨む形を取っていた。

        「貴方は……彼女に何を喋りましたか?」
        睨みつけて来るクラースを気にするでも無く、彼はただそう言った。
        クラースの目がとても澄んだ蒼い瞳と向かい合う。
        その瞳の奥に、クラースには冷やかな冷笑を隠している気がした。

        「知りたいか?」
        クラースは睨んだままそう言い、彼の答えを待っていた。

        「えぇ。私の計画に関わる問題ですから。」
        彼はそう言うと、満面の笑顔を浮かべた。
        それが、クラースの眉間に自然としわを寄せさせていた。

        「……全てだよ……俺の知る、全てをな。回りくどい事しか言って無いが、直にあそこにも行くだろう……。アイツは察しもいいからな。あそこでの最も悲惨な事も、何もかも全て……全て知る事になる。」

        「全てを知る、ですか。ですが、それは彼女にとって重荷ではありませんか?貴方が指図を出さなければ、知る必要も無かったかも知れませんよ?」

        「どうだかな……俺の所に来なかったとしても、アイツが求め続ける情報はいずれにしろ真実へと繋がる事だ……俺が喋らなかったとしても、それは知るのが遅くなるだけだ。結果は一緒さ。」

        「アイツはきっと止めてくれるだろう……これで、終わりだよ。お前の……お前たち、『賢者達』の計画全て……」
        クラースはそうゆっくりと、自らが喋るべき台詞の全てを言い、目の前の彼の表情を伺った。

        「……そうですか……それは……困った……」
        彼はそう言うと、考える様な仕草を取った。
        クラースは自分では気づかなかったが僅かにその口元に笑みを浮かべていた。
        全ては計画通り。
        クラースはそう思った。
        だが、その僅かな笑みに気づいた目の前の彼は、それを見るとクスッと言う声を漏らした。
        そして、その続きに発した言葉はクラースが考えもしなかったものだった。

        「な〜んて、言うと思いました?」
        彼はそう言うと、先程の仕草をやめ、両手を左右に開くポーズを取った。
        もっと別な場所であれば、それは「この胸に飛び込んで来い」と言う様な場面に似合いそうなポーズであった。
        勿論彼はそんなつもりは全く無く、その表情には満面の笑みが浮かべられ、その表情の先にはクラースの困惑する顔が存在した。
        僅かに浮かべられていた笑みは消え、理解不能と言わんばかりの表情をし、困惑する顔色が代わりに浮かべられていた。
        そして、クラースは訳がわからないと言った状態で彼の言葉の続きを待った。

        「いや〜実はですね〜……言って無かったらどうし様かと思っていたんですよね〜……本当、良かった良かった。」
        彼はそう言うと、笑顔を浮かべた。だが、その顔を気にするでも無く、クラースは自然と抗議の言葉を発した。

        「どう言う事だ……!?お前、何を考えて……」
        クラースがそこまで言った所で、彼はそれに答える様に割って入った。

        「そのままの意味ですよ。彼女には、知って貰いたいんです……全てを……」
        彼がそう言ったのに、クラースがまた何かを言おうとした。
        だが、それは彼の出した手の制止の合図によって遮られた。

        「これ以上の詮索は、得策とは思いませんね……貴方の生死がどうでも良いと言うのであれば、別ですがね。ここで死ねば、他の人にこの事を喋る事すら出来なくなりますよ?と言っても、彼女に喋ったとしたらその時は彼女達の命を貰うだけですけどね……」
        彼はそう、静かに言った。
        それを聞いたクラースは、口にしたいのを何とか押さえ、最終的には黙りこむ形となった。

        「良い判断だと私は思いますよ。」
        それを見た彼は笑顔でそう言った。

        「貴方にはもう、立つ舞台は存在しません……殺されなかっただけ、感謝して欲しいですけどね。」
        彼はそう言いながら苦笑していた。
        そして席を立ち、丁度コーヒーを持ってきたウエイトレスが持つトレイの上に代金を置いた。
        ウエイトレスとクラースを背に、彼はクラースに対して言葉を発した。

        「1つ……貴方には台詞の間違いがあります。舞台の始まりは、人が生を受けし時だと言っている人も居ます。ですが、それはどうなのでしょうか。人には人が、それぞれ始まりの場所があると私は思います。そしてそれは、常に始まり、常に終演のピリオドを打つ……」
        クラースは最初、彼が何を言っているのか訳がわからなかった。
        言葉を発しようとしたが、それは彼のだす殺気によって自然とその考えは消え失せ、ただ呆然と、彼の背中を見つめることだけがクラースにできる事であった。

        「先程、貴方はこう言った。「これで、終わりだ」と…確かに、貴方からしてみれば、この舞台はあそこに居た頃から始まったのかも知れません……そして、それは今日を機に終演へと向かっているのかも知れません…。ですが、私が出演すべき舞台では無い……私の舞台は、これが全ての始まりです……いや……」
        彼がたんたんと喋ると、途中彼が言ったのであろうクスッと言う笑い声と彼の肩が上下に動いたのはほぼ同時であった。
        そして、彼はゆっくりと続きの言葉を口にした…。

        「始まってすらいない……私の出演するオペラは、まだ序章を演じているに過ぎませんよ。」
        彼はクラースに対して全て尻目でそう言っていた。
        クラースはその姿をずっと見、話が最後の所まで移り変わると一瞬だけ彼のその顔の半面を見る事が出来た。
        吊り上げた様に高く上がった唇の端、その上下に分かれた口の間からは、白い歯が見え、不気味な笑みを浮かべていた。
        クラースがそれを見る中、彼は人差し指を肩まで上げ、又口を開いた。

        「そうそう、それともう1つ。計画を知っている様な素振りでしたが、知りもしない癖に知ったか振りをされると虫唾が走るんですよね……あ、後コーヒーはオゴリです。一杯ぐらいは飲んで帰って下さいよ?では」
        彼は、最後に言葉を発した時、軽くクラースの方へと顔を向けていた。
        その表情は、満遍な笑みで飾られていた。それを見たクラースは、背筋が凍る様な寒気を感じ、その光景を眺めた彼は笑顔を浮かべたままレストランの出口へと向かって行った。
        訳がわけがわからずで立ち竦んでいたウエイトレスを、クラースは顔を見る訳でも無く席を立ち、出口へと向かって行った。

        店を出ると、クラースはいつのまに浮かんだのか分からない額の汗を拭った。
        そして、呟く様に喋った。

        「俺は……踊らされていたのか……?」
        彼はそう言うと、足元に転がっていた缶ジュースの空き缶をその右足で蹴り飛ばした。

        「クソッ……!」
        空き缶がテンポ良く跳ねる中、クラースはそう呟き、先の見えない道を歩みだした。


        【同船内 都内クラブ店内:大広間】


        『いらっしゃいませ。ナイトクラブ「ノーチェ」へようこそ!』
        店内には来店した客を迎える従業員の声が響いた。
        ここはナイトクラブ「ノーチェ」である。
        アークがクラースと接触してから3週間…その事は誰も知れず、いつもと変わらないこの時が存在していた。

        「いよぉ、諸君!」
        一番乗りで来店した人物は、少し景気が良さそうな男であった。
        男は店内に居る全ての従業員に対してか、店内全体に聞こえる程の大声で呼びかけ、店内にはクスクスと笑い声が所々聞こえた。
        男はそれに満足し、店内の奥へと入って行った。

        「いらっしゃいませ。ネセラさん」
        男が入り口から少し歩いた時、直ぐ横からその声はした。そして男は、そのまま声がした方へと振り向いた。

        「今日はどう言ったご用件ですか?」
        そこには、ネセラと呼ばれたこの男も良く知る者の姿があった。
        そして、彼女は解りきったかのような表情と満面の営業スマイルで男にそう問い掛けていた。

        彼女の名前はレイヴン。
        黒服、黒髪、黒眼、左目下にある黒いホクロ等、基本的にはその姿の殆どが黒で包まれた白い肌を持つクラブ「ノーチェ」のオーナー。

        「お、お久しぶりですね。オーナー。色々とカタが付いたんっすか?」
        ネセラはそのまま笑いながらレイヴンに向かってそう言った。

        「そんな「誰かと戦った」みたいな言い方は止めて下さいな。変な誤解を招きますよ。この間だって、ネセラさんがそう言ったのを聞いてAA(ダブルエー)ランクの方が勝負を挑んで来たりで大変だったんですから。」
        レイヴンもネセラの問いかけに笑顔を崩さずそう答えた。

        「それを簡単に返り討ちにしましたけどね…」
        ネセラは、レイヴンには聞こえない様に呟いた…。

        「何か言いました?」
        レイヴンは、そのままの表情で少し首を横に傾けながらそう言った。

        「い……いえ、何でも。」
        ネセラは少し焦りながらもそう答えた。レイヴンはしばらく「ハテナ」を浮かべたままではあったがその仕草もすぐ止めた。

        「あ、それはそうとネセラさんにお伝えする事があったの忘れてました。ちょっと待ってて下さいね」
        レイヴンはそう言うと、カウンターの辺りを何やら探しだした。

        「あったあった、これです。」
        そう言うと、レイヴンは先程探し出したと思われる紙を持ってきた。そしてネセラの顔の前にそれをズイッっと差し出した。

        「こ……これは?……」
        ネセラはおそるおそる紙を指差しながら言った。

        「ふふふ、勿論……」
        レイヴンはその問いかけにも笑顔で答えようとした。

        「ネセラさんが今までに貯めるに貯めた「ツケ」の1つ1つの詳細に合計金額を記した物です。いくらに見えますか?」
        レイヴンは、敵意が無い様に見せる為に満面の笑顔をネセラに見せた。

        「えっと……1メセタ」

        パーンッ

        ネセラがそう言った瞬間、店内にはハリセンの音が鳴り響いた…。
        レイヴンの手には、いつの間に出したのだろうか、巨大なハリセンこと「芸の道」が握られていた。

        「「1メセタ」じゃなくて3729800メセタでしょ!」
        レイヴンのその怒声が店内に響き渡っていった…。
        丁度店内には、ネセラ以外客と言う客はおらず、その為レイヴン自身のイメージダウンにはならないと思ったのであろう。
        大声の次にはネセラにクドクドと説教を始めたのであった。
        ネセラがレイヴンが放つ言葉一つ一つを聞く事にどんどん小さくなっていく様に回りの従業員達には見えた。

        「どうしたの、オーナー。あんな大声店内で出して。」
        その時、店の奥に控えていたアークが先程の大声を聞いて様子を見に来たのあった。

        「あ、姉様。今ネセラさんにツケの事についてちょっと「アドバイス」してたんです。」
        レイヴンは、アークの方へと振り向くとそう言った。

        「……アドバイスにしては……オーナー……ごめんなさい。とてもアドバイスだけでこうなったとは思えないわ…どちらかと言うと説教とかそんな……」
        アークは、レイヴンの真横で正座をしながら物凄く落ち込んだかのような感じのネセラに視線をやりながらそう言った。
        だが、全てを言い切るより先に、レイヴンが間に入った。

        「姉様!そもそもネセラさんは嘘をついてんですよ!「嘘は泥棒の始まり。」って言うじゃないですか!で・す・か・ら!私がこうやって直々にアドバイスをしているんです!ネセラさんがこうなったのも私の言葉を聞けて……いえ!聞いてこうやって反省してくれた証拠です!」
        レイヴンがそう言う中、回りにいる皆は途中「じゃなかった……」と言う小声がレイヴンの口から漏れた事を聞き逃さなかった。
        彼女のやり取りを横を通り過ぎながら目にした従業員達は『上手く逃げたな……』とおのおの考えていた。

        「……そう……それじゃあ何も無いみたいだから……アタシは奥に戻るわね。」
        そうアークは言うと、店の奥へと歩み出した。

        「はいな、解りました姉様。……さて……続けますよネセラさん。そもそも貴方はですね…………」
        レイヴンの説教は数十分とかかった…。
        開店時間から数分しか立ってないのが運良くも、はたまた珍しくもその日はその数十分の間にノーチェに客が来店する事は無かった…。



        「っで…最終手段として2つ程返す手段を考えておきました。」

        「……………」

        「1つはノーチェにて働いて返す事!」

        「……………」

        「2つ目は2日以内にツケを全額返済する。これは今度新しく「ツケを作ったら」ですがね。まぁこんな所でしょ、ゆっくり考えて下さいね、いいお返事をお待ちしております。」
        レイヴンはそこまで言うと、既に見るも無残な泣き顔になっているネセラを見下ろしながらそう言った。

        「さて……新しいお客様が来るまでに後始末をしないと行けませんね……」
        そうレイヴンが言うと、付近にいた従業員等スタッフに様々な指示を出した。


        「ふぅ……これでよしっと。」
        レイヴンは満足気にそう言った。
        レイヴンが従業員等に用意させたのは数本の空の酒瓶、コップ1個、まだ開けてもいない酒瓶1本であった。
        そしてすでに泣きながらベソをかいているネセラをソファーに座らせ机に俯かせた。
        そこに空きの酒瓶を数本設置、中が一杯の酒瓶を開けその中をコップに注ぎネセラの右手に持たせた。
        そしてその酒瓶もネセラの近くへと置いたのであった。

        「これでどこからどうみても「酔って泣いている人」か「何か心に傷が付く様な事があってその為に自棄酒とかで泣いてる人」の完成です。」
        レイヴンがそう言っている中、ネセラは勢いを知らない程の号泣をしだした。

        「オーナー……ネセラさんになんて言ったのでスか?……」
        そうレイヴンに聞いたのは、先程レイヴンに空きの酒瓶等を用意させられた従業員の1人であった。

        彼の名はレイネスト。ノーチェではローウェンの次に入った新人ホストである。
        彼のその姿は主に黒で統一され、レイキャストタイプでは珍しく胴等が細いボディーを有すハンターズ在籍従業員ではたった1人のレイキャストである。

        「ちょっとしたアドバイスを言っただけですけど?」
        レイヴンは又もや、「ハテナ」を浮かべ首を横に傾げた。

        『アドバイスで普通こうなるのだろうか……』
        彼等の意思がシンクロしたのであろうか、レイヴンの回りに居た従業員等は皆そう思った。

        「あ、レイネストさん「芸の道」有難う御座いました。お陰でちゃんとネセラさんに説教……じゃない、アドバイスをする事が出来ました。」
        レイヴンはそう言うと、未だに右手で構えていた芸の道をレイネストへと渡した。その時……

        『いらっしゃいませ。ナイトクラブ「ノーチェ」へようこそ!』
        また店内に来店者を迎える従業員達の声が響き渡った。
        レイヴンとレイネストを含めた従業員達が一斉にそちらへ視線を向けた。
        レイヴン達の視線の先には、少し見上げる程の身長の、ドラマや映画等で見る丈の長いトレンチコートに深く被った茶色い帽子で見を包んだいかにも「怪しい」感じの人物がいた。

        その客を近くに居た従業員が席へ案内する。
        そして、席を案内した従業員は注文を受け、カウンターへと歩み出した。
        その従業員が先程の客からある程度離れた所で、レイヴンはその従業員へ駆け寄った。

        「神鬼さんどうでした?あのお客様。」
        レイヴンが、先程の従業員へ駆け寄るやいなや、その従業員に対してそう言ったのであった。

        彼女の名は神鬼(シンキ)、弟セシルがここの従業員となった後、同様に従業員となったホステスである。
        その容姿は黒髪、黒目、黒と赤の鈴の付いた帽子と服等、黒がその見た目のメインであり勿論彼女もノーチェ自慢の美人の1人である。

        「はい?どうって…普通でしたけど?」
        神鬼は、レイヴンが何故その様な質問をするのかと疑問に思いながらもそうレイヴンにいつも通りの口調で答えた。

        「そうじゃなくて。ホステスを数名頼んだ〜とか。」

        「いえ、飲み物だけでしたよ。」

        「え?……」
        レイヴンは意外な答えが返って来た為そのまま少しの間硬直していた。

        「え……じゃ、じゃあ何を頼んだのですか?コーヒーですか?それともお酒ですか?コーヒーだったらブラックですか?お酒だったら強い奴ですか?」

        「いえ、オレンジジュースです。」
        それを聞いたレイヴンは、またしても硬直した。

        「オ、オレンジジュース……?……オレンジジュースって……あれですか?うちでは果汁100%を使用しているあの果物のジュース……」
        レイヴンは「まさか」と言った言葉の類を思いながらそう言った。

        「えぇ、そうですよ。支配人」
        神鬼は変わらぬ口調で、目の前のレイヴンにそう言った。
        それを聞いたレイヴンは、またしてもその動きを止め、沈黙の時が一時的にその場を支配した。

        「はぁ……」
        しばらくすると、レイヴンは「なんだ…」と言わんばかりのため息を吐いた。

        「何を考えてたんです?支配人。」
        神鬼はレイヴンに対しそう言った。
        すると、彼女は「あ、そういえば……」と言い、何かを思い出したかの様な素振りを見せた。

        「……どうしたんですか?」
        レイヴンは落胆する気持ちの中、神鬼のその言葉を聞いて疑問を飛ばした。

        「あの人。私をママと間違えられらました……ママに用事でもあるのでは無いでしょうか?」

        「姉様ですか?……その後神鬼さんは何て言ったんです?」

        「私はママじゃありませんよ〜って言いました。初めての方だったみたいなのである程度のお店のシステムの事やママの事は説明しておきましたよ。」

        「そうですか……解りました。呼び止めてすみません。」

        「いえ、気にしないで下さい。」
        神鬼がそう言うと、神鬼はカウンターへと歩み出した……が……

        「あ、そうだ。ネストさん」
        神鬼が突如後ろに振り向いたのであった。
        彼女の表情には、どんな男性でも惚れそうな笑顔が存在した。
        そして、振り向いた先にはレイヴンよりはるか後方にある柱に身を隠したレイネストの姿があった。

        「は……はい!?わ……私でスか?……」
        彼の声は、いかにも何かを「恐れている」と言った感じの声であった…。

        「ネストさん?何を恐がっているんですか?何もしませんよ?」
        神鬼は笑顔を崩さないまま、貴婦人と言った感じに振舞いネストへの距離を縮める為近づいて行った。

        「は……い、いえ、な……何も恐れていません。こ……恐がっていません!」
        レイネストは、彼女の機嫌を取ろうとしていたのか、はたまたはその恐怖故か、彼が口にするその言動は普通口にするには状況的にも不自然な単語が並んでいた。

        「ネストさんにちょっと聞きたい事があるんですが……宜しいですか?……」
        彼女は、またしても貴婦人的な素振りで彼に質問を飛ばした。
        その距離はほぼ目と鼻の先でもあった。
        そして考える様な素振りを見せ、話を続けた。

        「実はですね……この間私のマイマグカップが割れていたんですよ……誰が割ったか知りませんか?……」

        「あ……い、いいえ!マグカップは知りません!ワイングラスなら知ってまスが……もしかしたら……神鬼さんの置き方が悪かったとか……」

        ドスッ

        「グハッ!(吐ネジ)」
        彼がネジを吐く数秒前。店内には鉄の鈍い音が響いた。

        「あら?どうかなさったのですか?ネセラさん?」
        神鬼は腕にはマイトナックルを装備し、平然としてネセラにそんな疑問を飛ばした。

        ガシッ

        レイネストが四つんばいになっていた時、彼の肩に後ろから誰かの手が添えられた。
        いや、正確には「掴まれた」。
        神鬼は前に居る為同一人物では無い事は明白である。
        レイネストはおそるおそる後ろへと振り向いた。
        …そこには、神鬼にも負けないナイトクラブ「ノーチェ」オーナーの営業スマイルの何倍もの笑顔を持ったオーナーことレイヴンが居た。

        「ワイングラスって……アレですか?この間人知れず割れていた6万メセタもする私のマイワイングラス……アレ……ネセラさんがやったんですか?……」
        レイヴンは更に美しい笑顔を浮かべた。
        その笑顔には、まるで敵意を隠すかのような物にレイネストや周りの者達には見えた。

        「え……あ……い、いえ……あれは不慮の事……」
        レイネストが弁解の言葉を述べる中、それを見ていた周辺の従業員のその目には涙が浮かんでいるかの様に見えた。
        アンドロイドである為実際には涙がある訳では無いが、彼がその様に見えるのは滅多に無い光景でもあった。
        面白がって見る者もいれば、これから起きると思われる出来事の被害範囲から逃れ様とする者がいた。

        ドガスッ

        「ゴハッ!(吐ネジ)」
        彼の弁解の言葉の故か、それともそれを全く気にしないが故か、それは分からなかった。
        店内にはまたしても鉄の鈍い音が響き、彼のボディーには一部へこんだ箇所が見て取れた。
        彼の前後には、黒い衣装を身に纏った2人のフォマールが居た。
        前に居るのはマイトナックルを装備し、先程からパンチやキックを打ちかましている者、神鬼。
        後ろにいるのは角材を装備し、先程マイトナックルにも劣らない強烈な一撃を放った者、レイヴン。
        この2人がいたのであった。

        「支配人。これはもうアレですね。営業が終ったらネストさんには店裏に来て頂かないと…。」
        神鬼は、変わらない笑顔でそうレイヴンに向かって言った。

        「いえ、店裏では万が一誰かに見られる可能性がありますし。鈍い音が余計によく聞こえます……ここはノーチェの地下室へ……あそこは防音加工もしていますから音が外どころか店内に聞こえる事も……あ、鍵は私が持っていますからご安心下さい。」
        レイヴンもまた、神鬼にも劣らない笑顔を浮かべ、神鬼に向かってそう言った。

        「わぉ。それはいいですね。今度からは店裏じゃなくてその地下室にしましょう。」
        神鬼は、両手を合わせ喜びを表しながらそう言った。

        「ふふ。ではレイネストさん。営業が終ったら帰らないで地下室に行って下さいね。鍵は開けておきますのでご心配なく。」
        レイヴンは笑顔のまま、横たわって居るレイネストに向かってそう言った。その時、

        『いらっしゃいませ。ナイトクラブ「ノーチェ」へようこ…』
        店員達が来訪者を迎える掛け声を再び放った。
        だがそれは、最後まで言われる事は無かった。
        しばらくしない内に、店内には先程まで存在した活気あるざわめきとは違い、不安や困惑と言ったざわめきが広がっていった。
        異常を察知したレイヴンは、入り口の方へと振り向いた。
        そこには、3人の人影が存在した。
        3人の人影の内後ろの2名は軍で支給されている自動小銃を肩に提げて持った兵士らしき人物。
        先頭に立って居たのは、ハンターズギルドのカウンター受付嬢の姿をした女性だった。
        レイヴンはすかさず事態の招集に掛かるべく店員達に声を掛けていった。
        幸いお客様はネセラ、怪しげにコートと帽子を被った人物の2人だけであったのでスタッフに声を掛けるだけで済んだ。
        スタッフに声を掛け終えた後、レイヴンは入り口に立ったままのギルドの役員らしき女性に用件を聞きに入った。

        「お待たせしました。私は当店、ナイトクラブ「ノーチェ」のオーナーを勤めております「レイヴン」と申します。今回はどう言ったご用件でしょうか?……」
        レイヴンは3人1組となったギルドの役員と思われる者達に近づき、手馴れた口調でそう言った。

        「突然の来訪申し訳御座いません。普段なら事前にメールでお知らせするのですが何分急な用件でして……所で……「カムナ=アーク」様はいらっしゃいませんか?」
        先程から先頭に立っていた役員らしき女性がそう言うと、護衛らしき兵士に合図を送った。
        合図を確認した兵士2人は、回れ右をし、店の外へと出て行った。

        「姉様にですか?……急な用件と言うのは依頼ですか?……もし良ければ私が伝言役を致しますが……」

        「いえ、依頼では無いのですが……関係者以外に申す事が出来ませんので似たような物です……もし、アーク様がいらっしゃいませんのでしたら後日またお伺いいたします。」

        「解りました。姉様は今奥の方に居ますので今お呼び致しますね。少々お待ち下さい。」
        そうレイヴンが言い、アークを呼びに後ろに振り向いた…すると、

        「どうかしたの?オーナー」
        レイヴンから5〜6m放れた所にアークが居たのだった。
        彼女は先程、店内のざわめきが突如消えたのを聞き取り、疑問に思い奥から出てきたのであった。

        「あ、姉様。実は今お呼びしようとしていたんですよ。先程ハンターズギルドの役員さんがですね…」
        レイヴンがそこまで言うと、別の声がそこに割って出た。

        「お久しぶりですカムナ=アーク様。今回は突然の来訪申し訳御座いません。実は……今回来訪したのはこの間の件で……出来れば2人っきりで、内密にお願いできませんか?…」
        ギルドの役員がそう言ったのであった。

        「……そうですか……解りました。では、こちらへどうぞ。オーナー。ちょっと2人っきりで話がしたいからその間スタッフやお客様は応接室にはなるべく近づけないようにしてね。」

        「はいな。分かりました姉様。」
        レイヴンがそう言ったのをアークは確認すると、ギルドの役員を店の奥へと先導して行った。

        「さてと……ネセラさん。ネセラさん。そろそろ嘘泣きは止めて下さいな。」
        アークがレイヴンの視界から姿を消した時、レイヴンは今も号泣し続けているネセラに近づきそう話し掛けた。

        「うぅ……なんっすかオーナーさん……」
        ネセラは嫌々と言わんばかりに顔を上げ、レイヴンをぐじゅぐじゅになった顔で見上げながらそう言った。

        「ちょっと聞きたい事があるんですよ。宜しいですか?ネセラさん。いえ、シャドーさん。」
        レイヴンは、ネセラに向かったままそう言ったのであった。

        「……仕事……すか?」
        ネセラは先程とは180°違った目つきをし、レイヴンの顔を見た。
        彼の名、ネセラと言うのは表社会での仮の姿の呼び名であった。
        彼には表と裏を行き来する名が存在した。
        表社会では何変わり無い、店の直ぐ前の街路を通っている様なサラリーマン、ネセラ。
        それとは反対に、裏社会では情報を餌に生活する世間で言うハッカー、シャドー。
        その姿はノーチェ店内ではアークとレイヴンしか知らず、多額のツケをしておいて来店禁止にならないのは彼の情報がノーチェでも役に立っている為である。

        「えぇ、そうです。あの役員の人達……アレは本当にギルドの人なんですか?……」
        レイヴンはそう言うと、ネセラが座っている所とは反対側のソファーに座りこんだ。

        「奴等は本物だ。さっきギルドのデータベースに忍び込みましたから。」
        ネセラはそう言うと、PCを机に起き、画面をレイヴンに見せた。

        「大丈夫なんですか?……そんな所にハッキングなんかして……」
        レイヴンは眉を少し歪めそう言った。

        「大丈夫っすよ。念のため、俺様自家製の追跡妨害様のウィルスを流しこんでおきましたから。まぁ……セキュリティーは楽だった上向こうにとってはセキュリティーレベルが最高のファイアウォールでも突破するのに5秒と掛からなかったから20秒ですみましたよ。ギルドのセキュリティーもうちっと強化した方がいいっすよ……あれ。」
        ネセラはそう言うと、ウイルスソフトらしきソフトをレイヴンに見せた。

        「私に言われても困りますよ、そんな事。では、一先ず安心ですね。シャドーさん、もう1つお願い出来ますか?……」

        「……何っすか?」

        「……姉様の回りに最近何かあったのですか?最近何か考え事をしている様なんですが……何か、私に隠している気がするんです……」
        レイヴンはそう言うと、軽く溜息をついた。

        「う、う〜ん……」
        ネセラは切羽詰まった様な気分でそう言い、考え込んだ。そんなネセラを気にするでも無く、レイヴンは目を瞑ったまま話を続けた。

        「例えば……政府や軍が関係する何か物凄〜い他人には言えない様な重大な秘密を知ってしまったっとか……」

        「そ、そりゃないっすよ。オーナー。オーナー映画やドラマの見すぎですってそれ。」
        そう笑いながらネセラは言った。
        だが、レイヴンにはこの笑いが無理やり作った様な作り笑いにふと思えてならなかった。
        だが、ネセラの言う通りと思いその考えも直に打ち消した。

        「そう、ですよねー……そんな本当漫画とか映画みたいな話が実際あるはずがありませんよね……」
        レイヴンはテーブルの上に両肘を置き、両手を組んで自分の顎をその上に置いた。

        「……それじゃあお時間を取らせて申し訳ありません。ネセラさん。お礼と言っては何ですが何か私で出来る事ならしますが……何かありますか?」
        レイヴンは先程までの体制を解き、ソファーから立ち上がると同時にそう言った。

        「おぉ!それじゃあ今までのツケを……」
        ネセラが歓喜に満ちた声でそこまで言うと……

        「では今まで道理と・く・べ・つ!ツケでノーチェをご利用頂く期間を延ばすと言う事で……ちゃんとツケ払って下さいよ。ネセラさん。」
        レイヴンが割って入り、そう言いきった。

        「あ、あの〜……今までのツケを……」
        ネセラは「ちょっとまって……」と言った感じに手を少し伸ばしレイヴンにそう言った。

        「はい?何か問題でも?それともお礼はいいのですか?」
        レイヴンは少し疑問に思いそうネセラに言い放った。

        「……もう、いいっす……」
        ネセラは「これ以上は無駄」と判断し、レイヴンにそう言った。

        「はい。では……ネストさんちょっといいですか。」
        レイヴンは少し周囲を見渡し、レイネストを見つけるとそう言った。

        「は……はい!」
        レイネストは自分が呼ばれた事に少し動揺しながらもそう言った。
        先程付けられたヘコみはアンドロイド特有の自動修復機能で修復したのか、存在は見受けられなかった。

        「ちょっと良いですか?用事を頼みたいのですが。」
        レイヴンはそう言うとレイネストに近づいた。

        「え、あ……スみませんちょっと今は手が離せないので……」
        そうレイネストが言い放ちその場を立ち去ろうとした。
        だがそれは、直近くまで近づいていた彼女には意味の無い事であった。

        「はい、OKですね。じゃあちょっとこっち来て下さいね。」
        レイヴンは、回れ右して背中を見せたレイネストの首元をつかみ、店内の奥へとズルズルと引きずって行った。

        「え、え?……あ、あの、私まだ手が……」
        そうレイネストが言う中、レイヴンは問答無用で引きずり続けて行った。
        彼が居た場所には、空のワイングラスが乗った円盤状のトレイが残されていたと言われている……


        【ノーチェ店内廊下:特別応接室扉前】


        「あの……オーナー?……ここは今ママさんに言われて周囲への立ち寄りは禁止ではありませんでした?……」
        黒いボディーのアンドロイド、レイネストが心配そうに言う中、同じく黒い服装をしたレイヴンは平然と扉の前に立っていた。

        「大丈夫です。私が許可しますから。」
        レイヴンは平然と後ろ向きでレイネストにそう言いきった。

        「そう言う問題なのでスか?……」
        レイネストは更に心配した口調でそう言った。
        が、それはレイヴンの耳には入らなかった様であった。

        「さっ、ネストさんも早く。」
        レイヴンは扉に耳を当て、いかにも盗み聞きの体制を取った状態でレイネストを手招きしていた。

        「あの……オーナー……それは「盗み聞き」と言う物では……」
        レイネストがそう言いながらも、レイヴンの側へと近づく。

        「盗み聞きではありませんよ。ちゃんと私にはオーナーとしての聞く権利がありますから。」
        レイヴンはそのままの盗み聞きの体制でそう言った。

        「それに、何で私が?……」
        レイネストはそうレイヴンにもっともな疑問を飛ばした。

        「この部屋は特別に音が外に漏れないように防音処置が施されていますからなかなか聞こえないんですよ。ですから、アンドロイドで聴覚の機能がヒューキャシール並に高いと言われるレイキャストのネストさんに二重に聞いて貰おうと思いまして。」

        「防音処置が成されては無理でスよ〜……」
        レイネストはそう言いながらもシブシブとドアに横顔を密接させた。


        【ノーチェ店内:特別応接室内】


        「以上が、これまでの調査の結果です。」
        役員の女性はそう言うと、データを入れたと思われるメモリーチップを目の前のテーブルへと置き、アークの方へとスライドさせた。

        「……分かりました。では……辻斬りについては何も情報が無いんですね?」
        アークはそう言うと、テーブルに置かれたチップを手に取り眺めた。

        「はい。被害に有った方々の目撃証言にはとても信じられない事もありますし、何よりはっきりしていないものが多いので何とも……最近では犯人逮捕の為軍も突入した様ですがその殆どが瀕死、又は行方不明と言う形になっている様です……そう言う事もあり、近々遺跡への探索を禁止する動きがあるかも知れません。行方不明の方は、軍は一連の遺跡での行方不明事件であると見ています。我々も同じ考えです。」

        「そうですか……」
        アークはそう言うと、メモリーチップを読取専用の機械に掛け、空中に映し出された画面の無数の文字を眺めた。

        「後……1つ申し上げたい事が……」
        役員の女性が言い難そうに言ったのをアークは悟った。

        「実は……貴方方が回収した、遺体と遺留品の件なのですが……」
        役員の女性は先程とは違い、「出来れば言いたく無い」と言った感じを思わせる表情をし、そう言った。
        だが、その表情にアークは同情を感じた。
        本来ならこれはあの死んでいった彼女の家族や友人に対してならばもっと「言い難いであろう」……いや、正確には「言いたくは無いであろう」だ。
        だが、これも彼女達ハンターズギルドの……彼女の仕事なのだ。
        アークはこの仕事柄、同じような事をし、相手に皆似た様な反応をされた。
        その内の数人は、必ずアークを呪ったりしたであろう……その様な報告を聞き、喜ぶ者はいない……アークはそれを、幾度となく見てきた。

        3週間前、それ等は全て遺跡で起こった事である。
        アーク、ローウェン、レイの3人が遺跡で見た物、それは、辻斬りと名乗るアンドロイド、FNBと、1人の女性ハンターの死体であった。
        彼……FNBはアークとの死闘の末、アーク達に不可解感を残し遺跡の奥へとその姿を消した。
        後を追おうとしたアーク達の前には、尋常では無い数のエネミーの群が立ちふさがり、アーク達は退却を強いられずにはいられなかった。
        それはまるで、遺跡その物が彼の後を追わせないかの様に……。
        彼女達がパイオニア2へ戻る際、アークは途中発見した女性の遺体の回収を希望した。
        だが、ローウェン、レイの2人はその意見に反対した。
        行きたくなかった訳では無い。
        むしろ行きたかったのが彼等の本心であった。
        だが3人共、遺体があった場所へと戻れる状態では無かった。
        考え切れない程のエネミーの大群との戦闘、回復剤の消費。
        それは最初は消耗戦と考えられていたエネミーの群れが、まるで無限の如く出現し、切りが無い程であった。
        その為、ローウェンとレイは既に体力の限界でもあった。
        また、彼等が反対する理由はもう1つ存在した。
        遺跡では死亡の報告はあるものの、その遺体を回収された例が一度も存在しない。
        それは遺体が白い煙の様な物に一瞬包まれ、煙が消えた時、遺体はその場から消失していた。
        彼女の遺体もまた、その様な現象に既に置かれているに違いない。
        そう2人は判断した。
        アークもその話は幾度か耳にした事がある。
        そして、その思考はアークにもあった。
        だが、彼女は可能性にかけ回収に向かった。
        彼女の遺体が有った場所……そこへアークが到着した時、アークは我が目を疑った。
        そこには、彼女の死体が手つかずでその場に存在した。
        まるで、何かがその現象を防いでいたかの様に……。
        彼女とその遺品を回収した後、彼女達はパイオニア2へと戻り、ハンターズギルドへと遺留品とその遺体を受け渡したのだ。
        同時に、辻斬り事件の本格的捜査の依頼を出し……。

        「彼女の身元が解ったのですか?……」

        「いえ、身元は未だ不明ですが…ただ、不自然な事が……」
        役員の女性はそう言うと、視線をアークから外し、行き場を失った視線を床へ向け、うつむく感じの体制を取った。

        「不自然な……事?……」
        アークは彼女の喋った意味に疑問を抱きながら、言わざるべきかと考えた言葉を口にした。

        「えぇ……死因です。見た目からしてはエネミー、ディメニアン系統の切り傷による失血死……そう思っていました。……ですが、妙なんです。」

        「……妙?……」
        アークがそう言うと、少し間を置いて役員の女性はアークと向き合う姿勢に直した。

        「はい、ディメニアン系統の攻撃方法は本来切り付けるや振り下ろす。そう言ったパターンしか今までは報告等はされませんでした。しかし今回は違い、傷はとても鋭い物で刺されたかの様な物しかありませんでした。そして死因が失血死……他に傷が無い以上、この傷が死因の原因であると……。外傷は他には見つかって無い以上、死因の原因はやはりこの傷となります……そして……この傷から考えられる2つの事……1つは新種のエネミーが突如出現し、交戦の末ハンターズ1名が死亡……もう1つは……」
        役員の女性がそこまで言うと、アークが今思いつく事を話を引き継ぐ形で口にした。

        「ハンターズと思われる者がハンターズ1名を殺害。犯人は尚も、逃亡中……」
        その言葉を聞いた役員の女性は、意外と言わんばかりの顔をし、最後の言葉を述べた。

        「察しの通りです……」
        役員の女性はそう言うと、部屋は重い空気が支配し、沈黙が続いた。

        「……では、私は……」
        そんな沈黙の中、切り出したのは役員の女性であった。
        彼女は続きに「これで。」と言おうとすると、アークが何か異変を察し、役員の女性に止まる様に出した合図によって遮られた。
        その行動に不思議に思った彼女は訳が分からず、つい「え?」と声を出した。
        彼女がそんな声を出すと、アークは声を発した。

        「ちょっと、お待ち下さい。」
        アークは軽く微笑を浮かべながらそう言った。
        そしてゆっくりと立ち上がり、部屋の唯一出入り口となるドアへと歩みだした。
        役員はその行動に半身不審に思いながらその場で座り続けていた。
        アークがドアノブにゆっくりと手を掛け、そして勢い良くドアを開けた。

        「ひあ!?」
        「ワッ!」
        ドアが勢い良く内側に開いた時、声と同時に2人の影がアークの目の前に飛び込んだ。

        「オーナー!それにレイネスト!」
        現れた影は自分のもっとも見知りの人物である事にアークは驚きを隠せなかった。

        「あ、ね、姉様こ、これは誤解でして、私は盗み聞きをしていたネストさんを注意しようとしてですね……。」
        今自分が居る状況を瞬時に把握したのか、レイヴンはうつ伏せになっていた体を瞬時に立ち上げ、そして弁解の言葉をアークにのべた。

        「えぇ!?わ、私のせいでスか!?」
        レイヴンの言葉にいち早く反応したのはうつ伏せ状態のまま、レイヴンに下にしかれていたネストであった。

        「そうじゃないですか。そもそもネストさん、許可も無しに応接室に近寄るからこうなるんですよ。それに加えて盗み聞きをするなんて……これはもうお仕置き物ですね……。」
        そうレイヴンが言うと、どこから取り出したのであろうか、彼女の右手には角材が握られていた。

        アークはそのやり取りを数秒間見、そしてため息をついた。

        「ネスト、オーナー。もう良いわ。話はまた今度聞かせて貰うから……」
        そうアークは言うと、後ろに控え、目を丸くしていた役員の方へと振り返った。

        「お見苦しい所を見せてごめんなさい……何か、他に情報はあったかしら?」
        アークはその顔に苦笑を浮かべながらそう言った。

        「あ、いえ、今現在ではありません。また、何か情報が入り次第ご報告させて頂きます。」
        アークの言葉に我に返ったのか、役員の女性はそう言い、軽く頭を下げ部屋を後にした。


        「あの〜……姉様?……この件は……」
        レイヴンは人差し指と人差し指をつなげては離しつなげては離す様な動作を繰り返しながらそうアークに言った。

        「ハイハイ。その話しは後々、今日は忙しいんだから、二人ともちゃんと働いて頂戴な。話は仕事次第よ。」
        アークは手を叩きながらそう告げた。
        廊下には広間からの客を迎える声、依頼を受理する声、楽しげに談話する声などが聞こえ、既に大賑わいであった。

        「は、はいな。任せてください。さっ、ネストさん。行きますよ!」
        そうレイヴンが言うと、早足で部屋を出て行った。
        そしてレイネストも「は、はいっ!」と言いレイヴンについていった。


        「それにしても……いつになったら来るのかしら……。」
        アークはレイヴン等の後姿を見送りながら、そう呟いた。
        そして、自分も受付に回ろうとした時、後ろから彼女を呼び止める声がした。

        「あの……」

        「あら、どうかなさいました?」
        アークは振り向いたと同時に、声の主を確認した。
        声の主は、丈の長いトレンチコートに茶色い帽子を深く被った、いかにも「怪しい」感じの者であった。
        だがそれも珍しいと言う事ではなかった。
        それと言うのも、彼異常に「怪しい」と言った感じの者は既に数え切れない程この店には来店し、見てきた。
        それに比べれば、このコート者は軽いものだとアークは思っていた。

        「あの……カムナ……アークさんですよね?……」
        コートの人物は見た目とは裏腹に、とても慎重に、そして控えめなちょっと高い声でそう言った。

        「えぇ、そうですが?……」

        「あの……彼……辻斬りの……ここでは、船橋……っと言った方が宜しいでしょうか……その件で……来ました……」
        コートの人物はそう言いながら、深く被っていた帽子を少し上げ、その顔を現した。
        緑ががかった瞳、横や前に出た茶髪、そしてその顔は女性と言っても間違いでは無さそうな程の言ってみれば美形であった。
        コートの人物が喋った内容。
        それは、アークが待ち望んでいた者を示す内容であるとアークは解釈した。

        「分かりました……そうね……お部屋の方が宜しいかしら?……」
        アークは少し考えると、そう言い、コートの人物を見直した。

        「あ、はい。出来れば……」
        コートの人物は緊張しているのか、低いボリュームでそう言うと、アークからは顔が帽子に隠れて見れない風に俯いた。

        「では……先にそちらの部屋で待ってて下さいな。すぐ戻りますので……」
        アークはそう言いうと、ドアが開きっぱなしの特別応接室の方へ手を伸べた。



          To be continued・・・・