LIGHT Light light     夜の道標



 少し肌寒い、初夏の夜明け。
 風が――とは言っても、パイオニア2の中だから、空調だけど――カーテンをやさしく揺らしている。
 そして、躰の目覚めに気付く。
 ベッドから起き上がって、ひとつ伸び。
 こしこしと目をこすって。
 時計を見て。
 いつも通り、アラームの鳴る5分前の数字を確認して。
 鳴ってもいないアラームを止めて。
 ちょっとぼけっとしてみて。

「……準備、しなくちゃ」

 そう。
 今日、おとうさんもおかあさんもおでかけなのよ。
 ラグオルに行くの。

 夜着のまま。
 素足でベッドから下り、向かう先はバス・ルーム。
 『あたたかくなってきた』から、『暑くなってきた』へ表現が変わったころ、朝の習慣が夏のものへと切り替わっていた。
 完全にねぼけた状態で軽くシャワーを浴びながら、真の覚醒へと自身をいざなう。

 一日のスケジュールは、と。
 朝、ふたりを送り出したら、朝食の後片付けをして、洗濯を済ませて。
 そのころには時間だから、研究室に行かなくちゃね。
 あの子たち、来るかしら。次、何のお勉強させてあげよう……。
 あ、おかあさん、お弁当作ってくれてるかな?
 暑くなってきたから、卵系ダメよね。言っておかないと、また入れちゃいそうね。
 そうそう、帰りにはお買い物しとかないと。冷蔵庫の中、さびしいのよね。
 でも、晩ごはん、ひとりだっけ。手抜きして、一品物にしようかしら。

 ほかほか。
 熱めのシャワーはお気に入りで、贅沢だけど、お湯も勢いのあるほうが好み。
 髪をしぼって雫を落とし、ふわふわのバスタオルで髪と身体を拭く。
 夜着と、濡れてしまったバスタオルは籠の中へ。
 新しいタオルを髪に巻き、昨夜用意しておいた服に着替えて、鏡を一瞥する。
 真っ白のシャツと、青いチェックのロングスカート。
 頭に巻かれたタオルが、かなりの違和感を与えるけれど、これはいつものこと。
 襟も裾もおかしくなってないし、よし、と自分に許可を与えて、お部屋に帰還した。
 光さえも、青いカーテンに透けて青となり、部屋全体が好みの青で淡く統一されている。
 ベッドカバーも当然、青。
 軽くベッドメイクをし直して、腰を下ろす。
 白いサンダルから、ベッドの下に揃えておいた青い靴へと履き替えて、準備完了。
 くしゃくしゃと髪を拭きながら、階下へと向かう。
 そのさなかも、窓から射し込む陽が、徐々に明るさを増していく。

 今日も、いいお天気ねー。
 そういえば、明日は放水日だっけ……。
 お買い物、今日中に済ませておかなくっちゃ。

 適当な拭き方でも馴れがあるのか、それほど長くもないからか。
 すぐに、髪は湿り気を残すのみとなった。
 それ以上は自然に任せ、タオルを肩に落とす。

「おはよう、るーちゃん♪」
「るーさん、おはよう」

 ダイニングへのドアをくぐると、いつもの朝の食卓。
 朝ごはんと、おかあさんとおとうさん。
 大好きなチーズオムレツ。

「おはよ♪」

 おきまりの、朝のあいさつ。
 おきまりの、朝食の席。
 とてもうれしい、『あたりまえ』。

 今日も一日がんばろう♪という気持ちに、自然となる。
 ごきげんな足取りのまま、ダイニングテーブルの脇を抜けて、食器の戸棚を経由して冷蔵庫へ。
 グラスに注ぐのは100%オレンジジュース♪

「……って、ここだけ見てたら理想の家族っぽいわねー」

 現実はそんなに甘くない。
 と、箱入りのはずの自分が何故そう思うのか。
 ぽつりと、自分で呟いておいて、せつなくなる。

「何? ここだけ見てなくても、理想の家族じゃないかっ」

 妙なところで地獄耳な父。
 オレンジジュースを一気に喉へ流し込み、ふぅっと溜息をついてみる。

「さわやかそうに言ったってダメよ、おとうさん」

 自嘲の笑みが浮かぶ。ああ、せつない。
 そして、指先は自然と、壁の一点を指す。
 そこには、今は、何もない。
 そう。
 昨日まではあったはずの、壁掛け時計が、ない。

「ほら、あそこ」

 ひきつる父と母の笑み。
 バレていないとでも思ったのかしらね。
 甘いわ。

「私が初めてもらったお給料で買って、おとうさんとおかあさんにプレゼントした時計。
 ねえ、今はどこ?」

 ふわりと微笑んで、やさしく尋ねる。
 一方、父の表情は即効で青ざめていった。

「ごめんなさいぃぃぃぃぃっ、るーさん!」
「ああっ、あなたっ! ココはしらを切り通すとこなのにっ」

 すぱあんっ!
 景気よくトレイではたかれた父は、食卓に撃沈。

 ……待ってください、おかあさん。
 今日、ラグオルに降りるのに、トドメさしてちゃダメじゃないの。
 どうせなら、ラグオルに降りてからにすれば?
 事故ってことにしやすいし。

 ああ、そういう問題じゃなくって。

「昨夜、遅くまで下でうだうだやってると思ったら……また喧嘩?
 いいかげんにしてよねー」

 予想はつく。
 今回の依頼について、母はあまり乗り気ではなかった。
 そして、夜遅くまで、延々と階下から声と物音が聞こえていたことを総合すると。

 ごまかしのような、さわやかな朝の光景は、一転して弁明の場へと切り替わった。

「一応、ルールは決めてあったのよ?
 テクニックと武器は一切使用禁止、壊れるようなものは投げないって」
「……バトルじゃないんだから……。
 って、壊れるようなものは投げなくても、当たったら壊れるようなものに壊れないものを投げて当てちゃったら、やっぱり壊れちゃうでしょうが」

 ややこしい。

「私、命中率低いのよ」

 おかあさん、言い訳になりません。それ。
 娘の冷たい視線を浴び、母、言い訳変更。

「ほら、おとうさん、ああいうひとでしょう? 言って聞かないものだから、つい……」
「あきらめなさいよ。もう20年連れ添ってるんだし、わかりきってることでしょ? ああいうひとなのよ」
「るーさん、それはちょっと……」

 む。いつのまに、おとうさん、復活してたのよ?
 とてもとてもかなしそうな顔をして、じぃーっと娘を見つめる父。
 ……さすがレイマー、顔だけはいいわね……。

「おかあさん、やっぱり、おとうさんのよさって顔?」
「ほかにどこがあるのよ?」

 あ、おとうさん泣いてる……。
 うーん。我が母ながら、今のタイミングはあまりにもナチュラルすぎたわね。

「そんなふうに言わないでよ。これでも、私のおとうさんなんだから。
 ほら、一応、根性なしだからこそのやさしさってものがね……」
「……るーちゃん。おとうさん、『の』の字、書き始めちゃったわよ……」

 あ、すねちゃった。
 ほっとこ。

「おかあさん、私おなかすいたー」
「はいはい。それじゃあ、コーンスープ入れるわね」
「オレンジジュースのおかわりもちょうだい」
「るーさん、トーストは何枚!?」
「2枚。ちゃんと1枚ずつ焼いてね。おこげはイヤよ」

 いつもの朝食風景復活。
 おかあさんは、ぱたぱたキッチンとテーブルの往復。
 おとうさんは、せこせこトーストを焼きつつ、ニュースをチェック。

 でも、聞くことは聞いておかないとね。

「で、時計は?」
 ほどよく焼き色のついたトーストを差し出す父に、再度問う。
「ちゃ、ちゃんと修理屋さんに出しておきました!
 昨夜、無理やり叩き起こして……明日には直るからって」

 ちょっと待て。

「無理やり……ってそこまでせずとも」

 時計屋さん、ごめんなさい。
 配達してくれた時に謝っておかなくちゃね……。

「ごめんよー、るーさん!!
 おとうさんが悪かった! ぐれたりしないでー」
「しないわよっ!
 そんな自分の不利益になるようなこと、私がするわけないでしょっ」
「それもそうだね♪」

 一転してニコニコ笑う父の姿に、私は、このひとの遺伝子の半分を受け継いでいるのかと思うと、母の浮気を期待せずにはいられないのでした。
 でも、私の髪の色とか目の色って、明らかにおとうさんの色なのよね……。

「あー、でも、るーさん、ホント娘さんだよね♪ 綺麗になった!」

 親馬鹿。
 ちなみに、一日に一度はこの台詞を吐いています。うちの父。

「あたりまえでしょう。私の娘だもの」

 今日はおかあさんまで……。

「そうだね! おかあさんの娘さんだものねっ! ……って、おとうさんの娘だからって言ってくれないの……?」
『ノーコメント』

 確かに、母子です。
 ツッコミ入れられた父は、いちばん最初に焼いていたらしい、冷めたトーストを涙と一緒にかじっていました。
 ……やっぱり、こんなオヤジいらない……。


 いつもと同じで全然違う、にぎやかな朝食の席はいつのまにか終わり。
 ふたりはそれぞれ、ハンターズとして、荷を背負う。
 父はレイマーとして機関銃を携え、母はフォマールとして杖と、そして父から譲り受けたというヴァリスタを手にした。
 戦闘服を纏うふたりの姿を、幾度、見送ったことだろう。
 物心つく前から、繰り返していた気がする。

「いってきます、るーさん♪」
「るーちゃん、いってくるわね」

 寄り添うふたりが、玄関先で振り返る。
 いつもと同じように、私は応えた。

「いってらっしゃい、気をつけてねー」

 そして。
 それは、私が見た、両親の最期の姿だった。







 白銀の髪に、紅の隻眼。
 『彼女』が目の前に現れた時、私はとても驚いた。
 全身ずぶ濡れで、肩に大きな袋を担いでいて。
 あわてて家に連れ込んだものの、床にはすぐ、水溜りができるほどだった。
 
 その日は、両親が旅立ってから3度目の放水日だった。

「……見ず知らずの他人を、おうちに入れちゃいけませんって習わなかったのかしら?」

 空いた手で、前髪をかきあげる仕草。
 綺麗なアルトが、瞳ほどに鮮やかな深紅の唇から紡ぎ出され。
 対して、私はタオルを差し出して無邪気に微笑んだ。

「ええ。
 よく、母が父に言ってるわよ。
 だけど、放水日だけは別だった。ためらうことなくドアを開けてたわ。
 だって、それだけのご用なんでしょう?」

 放水日は、予め時間設定がなされている。
 惑星の天気とは大きく異なり、気まぐれではなく、また、大地を潤すためのものでもない。
 移民船の中に降る『雨』の目的は、大気浄化装置ですら浄化しきれない、大気中に発生する様々なガスを水により溶かし、洗い流すことだ。
 そのため、放水には蒸留水を使用しているものの、雨には地面に到達するまでに様々な物質が溶け込んでいるおそれがある。それは、人体に害を与える可能性が高い。
 よって、政府は『放水日には外出しないように』と注意を喚起し、警察は街を巡回して雨に濡れないよう警告する。

 ……にも関わらず。
 『彼女』はここにいた。
 毒性を含むおそれのある、『雨』に濡れて。

 最初見た時、雨に濡れているせいか冷たく感じられた彼女の瞳が、私のことばに少し、和らいだ。

「そう……ええ、そのとおりよ」
「できれば、先にシャワーを、って言いたいんだけど、それよりも早くおはなしをうかがったほうがいい?」
「用が済めば、すぐに帰るわ。どうせまた濡れるから」

 急用。

 一応、タオルを受け取った彼女だったが、それも勧めたソファの上に敷いて濡れないようにと使われるのみ。
 濡れた大きな袋は足元に置かれ、じわりと床に染みを作っていた。

 私は、居住まいを正した。

「……ARK、だったわね。ご用件、承りましょうか」

 彼女――KAMUNA=ARKは、小さく頷いた。重たげに銀色の髪が肩から零れ、雫が落ちる。

 重い音を立てて、テーブルに置かれた一丁のヴァリスタ。
 続いて並べられる、様々な見覚えのある品々に……私はことばを失った。

「これで、全部よ」

 冷えた声が、私に音を思い出させた。

「全部?」

 自分が、少し、震えているのがわかった。
 確認に出した声すらも、とても弱くて。
 遠い雨音に掻き消されても、おかしくないほどで。

「アナタのご両親、亡くなったわ」

 彼女が告げた事実を、全身で拒否しようとしていた。





 遺跡――と呼ばれる場所があるらしい。
 そこがどういう場所なのか、私は知らない。
 わかったことは……そこで、ふたりの生命反応は途絶えた、ということ。
 そして、ちょうど探索のため現地にいたKAMUNA=ARKが、通信により急遽ハンターギルドから調査を依頼され、そこでふたりの最期を確認したということだった。





 お気に入りの、青。
 カーテンも、シーツも……すべて、あのひとたちと選んだものだ。

 用件を終えた彼女を『雨』へと送り出し、私はリビングではなく、そのまま自室に戻った。
 ごろごろとベッドに転がって、ぼけーっと天井をながめる。
 雨音が小さくなっていくのを感じながら。

 覚えている。

『るーちゃん♪』

 母の声を。
 抱きしめてくれた、やわらかな母の腕を。

『るーさん♪』

 父の声を。
 抱き上げてくれた、力強い父の手を。


 ふたりの、ぬくもりを。


 滲む視界を、そっと閉ざす。

 明かりのない部屋の沈黙を、雨音が消し。
 今はただ、夢も見ない眠りへといざなってくれた。










 ひとは、どんなにかなしくても、生きていかねばならない。
 生きている限り。










「LUCE!」

 呼びかけに振り向けば、血相を変えた先輩が駆け寄ってくるところだった。
 よく、あのピンヒールで走れるわねーと感心するが、きっと彼女にそれを告げたところで、話をそらすなと叱られてしまうのがオチだろう。
 何があったんですか、とも訊けない。
 彼女がこんなふうに困ったような悲しいような寂しいような表情をしている、その理由はたぶん、私にあるのだから。
 思い当たる節がありすぎて、困ってしまう。

「休学届ってどういうことなの!?」
「一身上の理由です」

 予想を裏切らない問いに、あっさりと「あなたには関係ないことだから答えられないんです」的返答をしたら、曖昧だった表情が怒りに変わった。

「こんな時にまで、ふざけないで!」
「ふざけてなんていませんよ。
 ホント、先輩にはとてもお世話になりました。
 あとでごあいさつにうかがうつもりだったんですけど」
「どうして、急に……」
「ほら、思い立ったが吉日って言うじゃないですか」

 笑顔で素直に答えていれば、怒りから呆れへとその表情がまた変わり、そして、最後に、深く溜息をついた。
 喜怒哀楽の激しいひとだ。
 同じ≪CROSS≫の研究生として、互いの成果を確認したり、討論したり、それがまた楽しかったのだけれど。

「今度……今度、しっかり話を聞かせてもらうわよ?」
「もちろんです。研究をやめるつもりはありませんから」
「お茶、いっぱい用意しておいてあげる」
「温めに入れてくださいね。美味しいお菓子を持ってきますよ」

 いつもの会話のテンポ。
 そして、彼女に笑顔が戻るのが、うれしかった。

 ≪CROSS≫……政府による、公的教育研究機関のひとつである。
 移民船団パイオニア2において、生活空間が存在し、家族がそこにある以上、教育の場もまた必要となる。
 私自身もパイオニア2内の高等教育課程を修了し、≪CROSS≫に所属し、教育学を専攻する中で、現在の教育課程が子供たちに与える影響をどう見るかについて研究してきた。
 慣れ親しんだ白亜の研究施設とも、今日でしばしお別れである。

 『フォース』……母と同じ、『フォマール』になるために。
 私は、メタリックなハンターズギルドへと足を踏み入れるのだ。

 教育者から、戦乙女への華麗なる転身。
 私らしくっていいじゃない?

 え、どうしてって?
 そりゃあ……まあ、いろいろあったのよ。



「先日はお世話になりました」

 ぺこり。
 深々と頭を下げて、顔を上げたら。
 あの日と同じはずなのに、不思議と違う気がする紅い瞳とばっちり目が合った。
 フッ。
 いったいどのメーカーの何番の口紅を使ってるのかしらと思うほどの、瞳と同じ色の唇が笑みをかたどる。

「あら、いいのよ。それにしても、よくここがわかったわね」
「ギルドで聞いたの。……いいお店ね」
「ありがとう」

 SHIP5:Amalthea-13-3……ギルドで教えられた場所に転送され、まず聞こえたのは、「いらっしゃいませ! クラブノーチェへようこそ!!」という、呼び込みの声だった。
 ……場違い?と思ったわよ、最初……。
 お客じゃなくて、ARKに用事があるの――そう言えば、まだ受付は始まっていないから、と受付準備の部屋に案内された。
 迎え入れてくれたARKは、あの日と違って、全身赤の装い。
 露出度が高い理由は、「クラブノーチェ」という名前から何となく理解したけれど。

「もう、落ち着いたの?」
「ええ……一応、一通り手続きも終わったから」
「そう」

 落とされた紅の視線は、そのまま私の手元のカップへと移り。
 私は少し中身を傾けて、微笑んでみせた。

「私ね、ちょっと、おねがいがあって来たの」
「おねがい? ……何かしら?」

 お礼に来ただけ、とでも思っていたのだろう。
 切れ長の片目が少し見開かれ、首を傾げ、先を促してくる。

「うん。あのね、連れてってほしいのよ。その……遺跡ってとこに」
「……遺跡?」

 ……美人が顔をしかめると、何だか痛いわね……。

 片方の目は眼帯に覆われているが、それでも迫力はじゅうぶん。
 むしろ、効果大のような気もする。
 カップをテーブルに戻し、ARKは足を組み替えた。

「あのね、LUCE」
「ええ」
「アナタ、今、このパイオニア2がどういう状況かは知ってるわね?」

 何を今更。
 そう思いながら、テレビのニュースを思い出す。
 パイオニア2の総督……おっさんだったわね……が、エラそうに会見を開いていた。

「移民先予定だったラグオルのセントラルドームがいきなり大爆発しちゃって、非常事態宣言出てたと思うけど」

 大きく、ARKは頷いた。

「そう。
 それで、現在、ラグオルに降りられるのは、政府の許可を受けた軍と、ハンターズギルドに所属してる者だけってことは知ってるのかしら?」
「へぇ。そうなの」
「そうなの」

 初耳だった。
 ハンターズライセンスを持つ両親が降りていたから、そのあたりのことは少し考えれば予測できたことだろうが、まず、そんなことを考えもしていなかったし。
 軍とハンターズギルドに所属している者が、ラグオルに降りられる。

「で、連れてってくれるの?」

 ダメかしら、とか思いながら、一応念のために訊いてみた。

「アナタ、ライセンス持ってるの?」
「ううん」
「じゃあダメ」
「ダメ?」
「ダメよ」
「そこを何とか」
「どうにもできないわね……こればかりは」

 夜の蝶だから、そのテのことは抜け道とか知っているのではと思ったのだが。
 少々、甘かったらしい。

「じゃあ、ライセンスがあれば、連れていってくれるわね?」

 問い掛けてはいるけれども、確認事項である。
 小さく、彼女は溜息を漏らした。

「ライセンス、取るつもり?」

 どうやら、相当難しいことらしい。
 今まで、大した苦労もしたことがないのは自覚している。
 その分、やればできると信じてもいる。
 自分を……私自身を。

「行きたいの、どうしても」

 だけど。
 決意を表した声は、少し……根性なしだった。
 驚いて、悔しくて、手元で口元を隠して、強く唇を噛む。
 痛みが、心を落ち着かせた。

 ……だって。
 だって、まだ、信じられないんだもの。

 もう、どこにもいないって。
 みんながどう言っても、まだ、信じられないんだもの……!

 ただの、自分勝手でわがままな、そんな感情だってこと。
 誰よりも、私自身がわかってるわよ。

 それでも行きたいのだと、それで納得するのならと。
 ようやく、これから先を認めるために、自分で決められたのだ。

「……アルティメットの、遺跡よ」

 静かに。
 あの時と同じ声で、ARKは告げた。
 一瞬、まぶたの裏に隠れた赤光が……ふたたび、私を射抜く。

「単純に、ライセンスを持っているからって、連れていけるようなトコじゃないわ。
 アナタ、強くなれるかしら? そうね……アタシくらい、強く」

 アルティメットの、遺跡。
 それが、現在ラグオルで発見されている中で、最も探索の難しい場所……とは、当然、当時の私は知らなかった。
 そして、ARKがどれくらい強いハンターなのかも……まだ、知らなかった。
 だけど、無責任に、むしろ、ハッタリちっくに、私は言い切ったのだ。

「何事も、やってみなくちゃわからないってね」



 
 そして……現在に至る。



 ハンターズギルドの訓練生となった私には、ひとりの教官がついた。
 当然というか、然るべくというか……KAMUNA=ARKそのひとである。
 ARKは、ギルド内の訓練施設で私を教育するつもりは毛頭なく……むしろ、そんなヒマが彼女にあるわけもなく……まず、自身の所属する研究施設で学ぶよう、私に言いつけた。
 通うのは面倒だろうから、と下宿まで許され、いささか驚きは隠せなかったのだが。

 ……ただの飯炊き女扱いされてるよーな……。

 ふとよぎる一抹の不安が。
 ARKのうちは大家族で……細かいところはプライバシーの侵害にあたるかもしれないから避けるけれど、とにかく、よく食べる。
 それだけ、とてもにぎやかで。
 ひょっとしたら、彼女なりの配慮なのかもしれないと、今ごろになって思い当たった。



 私がライセンスを得たのは、それから一ヵ月後。
 降り立ったラグオルの空は……私の着ていたフォマールの戦闘服と同じように、とても、青くて。

 ホントに。
 どこまでも綺麗な、青でした。