「シシルはいつも、こんな危険な事をしていたのか…?」
全ての敵が消え失せた後、「彼」は喉の奥から絞り出すように呟きました。
ここの場所は遺跡の一階です。転移してきた敵を殲滅したばかりなのでしょう、床や壁には敵の体液が残っています。
「ええ、そうよ。アナタは知らなかったでしょうけど、彼女はここで頑張っていたのよ」
「シシルさんはあなたに知られたくないために、あんまり仲間も作っていなかったらしいわ。フォース一人だけだと辛いのに…すごいわね」
姉様の言葉を受けて、感心したようにルーチェさん。「彼」は苦渋に満ちた眼差しを足下に送ると、かぶりを振りながら、
「僕は――なんて馬鹿だったんだ。シシルがこんなに頑張っているだなんて知らずに、ずっと…」
「ハンターズへの偏見は未だに根強いものがあるわ。彼女の事――嫌いになったかしら?」
姉様がわざと意地悪な口調で尋ねると、彼は大きな声で言い返してきます。
「とんでもない! 僕にはもったいないくらいの人だ。僕ももっと、相応しい男にならなくちゃ…」
「あんまり気張りすぎも良くないわよ♪ 頑張ってね」
ルーチェさんが笑顔で告げると、姉様も柔らかい視線になりました。
と、思い出したかのように「彼」が姉様の武器を指さし、尋ねてきます。
「ところで、それ、本当にハンターズの武器なんですか?」
「ああ、これ? 趣味よ。気にしないで」
そういって姉様は、手に持った釘バットで素振りしました。釘に残っていた敵の体液が、ぴっと空中に飛びます。
「ねえアーク。普通の人にそれは、ちょっと刺激が強すぎないかしら?」
「うふふ。久しぶりに使ったけど、血が騒ぐわぁ…」
「ああ…シシル、大丈夫なんだろうか」
紅い瞳に愉快そうな光を湛えた姉様を見て、「彼」は大きく肩を落としました。素敵なのになんでかしら?
【熱量の天秤・遺跡決着編】
以上のような事があった時、私とシシルさんは坑道にいました。
何をしてるかというと、私とシシルさんはその場に座り込み、天井を仰いで荒く呼吸を繰り返すだけです。
酸素が足りません。走りすぎました。頭の中がぽーっとしてます。どことなく目に映る景色も白いです。
私は帽子を脱ぐと、前髪を掻き上げました。あー涼しい。側にシシルさんしかいないから、スカートを少しだけめくって脚を出しています。フォマールのブーツって蒸れるんですよねー。第一、なんでフォマールの制服はパンツルックじゃないんでしょう? そっちの方が絶対に機能的なのに。スカートだと色々と気を遣いますよね…。
「レイヴンさん、なんだったんですか、あれは?」
「知りません。人違いでしょう」
「ホントに?」
ジト目でシシルさん。冷や汗が後頭部から流れるのを感じつつ、私は天井を見上げながらトボけました。
「私って記憶がないから、その時の関係者かも知れませんねー。でも今はまったく覚えていないから、赤の他人でしょうけど」
「…随分と都合の良い記憶喪失なんですね」
「さあ! ゴール目指して再び頑張りましょう!」
視線を痛く感じながら、私は立ち上がりました。帽子は丸めて、アイテムパックの中に放り投げておきます。
シシルさんはうんざりとした声を上げ、私の方を見上げてきました。
「まだやるんですか? 私、もういいですよ…。アルバートのところに帰りたいです…」
うーん。大分落ち込んでいるようですね。でも、途中で止めたら、
「後悔しませんか?」
私に言われてシシルさんは大きく目を見開きました。
「え?」
「例外はありますけど、ほとんどの人間は自分に嘘はつけませんよ。今ここでやめたら、自分に言い訳し続ける事になりますよ? それでもいいんですか? あ、私としては依頼人のあなたが止めるというなら従うまでですけど、出来るなら最後までやりたいかなーとか思います。あなたの為に」
「レイヴンさん…」
彼女はしばらく俯いて考えると、やがて――立ち上がりました。
私と同じように帽子をアイテムパックにしまうと、ポールを握りしめて笑顔で言ってきます。
「そうですね。最後まで付き合ってください」
よしッ! ダイエット続行っ!
内心で思わず歓声を上げながら、私は歩き出しました。
さすがの『奴』も、ここまでは追ってこれないでしょう。安心して進めます。
二人揃ってリラックスした状態で、次から次へと進んでいきます。どういった理由か知りませんが、敵がほとんど出てきません。まあ楽だからいいですけど。
そして2階へ移動した時、ぽつりとシシルさんが呟きました。
「喉、乾きましたね」
「飲み物、ありますよ?」
ぐっとティーポットを差し出すと、彼女はイヤそうに顔を背けながら、
「…遠慮します」
あら残念。私もイヤですけど。シシルさんはティーポットを指さすと、
「捨ててくださいよ、それ」
「…邪魔だからそうしましょう」
近くあったリコのメッセージカプセル、その隣りに置いてから私たちは再び歩き出します。こうしておけば、どこかの物好きが飲むかも知れませんし。
と、エリアマップに反応がありました。一つ前の部屋ですね。今さら敵が現れても遅いですよ。
幾つもの光点が縦に並び、まるでデ・ロル・レを思わせるような反応の仕方です――って、まさかっ?
「嘘でしょう?」
顔を真っ青にしてシシルさん。反射的に私は彼女の手をひっぱると、自分で考えるよりも先に走りだしていました。
背後から高笑いが聞こえてきました…。
「逃げますよっ」
「はいっ」
振動が坑道を揺るがします。天井から鉄骨やら何かの資材やらが落下してきます。その中には帯電しているものもあるらしく、バチバチと小気味よい音を発していました。直撃したら大ダメージでしょうね。
「駆け抜けますよっ」
一言声をかけてから全力疾走。帽子がないから風が髪を踊らせていきます。
シシルさんは相変わらずのドタドタとした走りで、私から後ろに2歩程離れて付いてきます。
いやまあダイエットにはなりますけど、ものには限度がっ!
そんな事を考えつつ左へ曲がり、ワープを通って新しい部屋へ転送。しかし油断はなりません。洞窟のことを考えると執拗に追ってくることが予想されます。
「どぉぉして追ってくるの?」
悲鳴を上げながらシシルさん。…あう、多分、私が悪いということになるのかしら?
私たちは走りました。ただ走りました。おそらくラグ・ラッピーが見ていれば、泣いて弟子入りを願うような走りっぷりだったでしょう。
そして私たちは大部屋へ到達しました。
そこには――
「第1号?」
「本当だ?」
「見つかりましたね」
ラグナロクさんにG.さん、それに菖蒲さんが居ました。何でここに? ってこの場合はそうじゃなくて。
私は鋭く号令を下しました。
「敵です。フォーメーションを整えて」
「敵って、さっきの振動の源ですか?」
ラグナロクさんが疑問符を浮かべます。私はヒルデブルーの杖を構えると、庇うように後ろにシシルさんを移動させます。
「ええ。過去に例を見ないほどの強敵です。気をつけて」
「何ぃ?」
と、これはG.さん。店で着ている十二単を着たままの菖蒲さんが、後を続けてきます。
「どんな敵なのですか?」
「ともかく強敵です。その――」
そこで私は口を噤み、小声で呟きました。
「アホ具合が」
「は?」
振動がさらに激しくなりました。部屋に出入り口にむかって、何か巨大な物体が飛来してきます。
しゃげげぇっっ!! びゅっ、びゅっ!
レーザービームを二本ほど放ちながら現れた『奴』を見て、スタッフ一同が驚愕の声をあげました。
「なんじゃこりゃあっ!」
「まさか彼ですかっ」
特に顕著な反応をしたのが菖蒲さんです。彼女も現場にいましたからね、当然でしょう。菖蒲さんは指を震わせ、『奴』を指し示したままで私に尋ねてきます。
「あ、お、おおおオーナー?」
私は無言で頷きました。
『奴』は菖蒲さんを発見すると、不敵な笑みを浮かべて彼女に語りかけました。
「む。その十二単、覚えがあるぞ。お前は確か」
あなたも一緒に女装させたんですよね、菖蒲さん。ですが彼は、ぽっと顔を赤らめると――
「うぬは味方であったな」
『なんでっ?』
私含む全員が一斉に突っ込みました。そういえば一番最初に菖蒲さんが、彼を案内したんでしたね。その後、彼は気絶してますから、自分が何をされたのかわかっていませんでしたし。
私は頭を振って気を取り直すと、
「いいですか? ここで奴を仕留めますよ。最強スタッフが揃えば怖くはないですわ」
「おうっ」
「まかしときな」
ラグナロクさんとG.さんが親指を立てました。まぁ頼もしい! さすがうちの店でも最強のハンター達です。ちなみに最強のフォースであるリリーさんは退場済みですから、残るフォースの中で高レベルなのはルーチェさん、次点で私となります。
私は彼らの背後に回り込むと、
「さあ、援護だけはしっかりしますから頑張って!」
「無責任ですよオーナー」
「この人っていっつもこんなんですか?」
「ええ。いつも本気だからタチが悪いんですよ」
背後で菖蒲さんとシシルさんが何やら話し合ってますが、私は無視して『奴』を睨み据えました。これだけの人数が揃えば、どんなアホにだって負けるつもりはありません。
が。
「ふふふふふ、ふははは、はぁはははぁっ」
と『奴』は高笑いを上げました。笑いを抑えるようにお腹に手を当て、なにやら不敵な言葉をこちらに投げかけてきます。
「ふふ。数で勝負という事だな。…しかし惜しむらくは凡俗どもの発想だ。無敵の力を得た我の敵ではないわ」
そこまで言うと、大きく息を吸い込んで――
「さあ、友達よ! 我に力をっ!!」
空間転移の気配。
そして次の瞬間。
ギャランゾの集団が現れました。
「えええええっっ!?」
お友達って変異獣の事ですか? どこで人を捨てたのですか、あなたっ!?
「さあマイ・フレンズ。やつらに死の制裁をっ! …あ、あそこの着物の娘だけは外してね」
1、2、3、4、5…ざっと見ただけで20体を越えるギャランゾたちのミサイルハッチが、一斉に開きました。そして――
発射されちゃいました!
天井一面がミサイルで覆われました。一発一発のダメージは小さいとは言え、こんなに喰らったら無事じゃ済みません。少なくともシシルさんは即死でしょう。
かくなる上は!
私は杖でシシルさんの足を引っかけると転ばせました。返す刀(杖ですけど)で側にいたラグナロクさんの膝の裏を叩き、バランスが崩れた時に襟首を掴んで盾にしつつ、シシルさんの上に倒れ込みます。
同時――
爆音と熱風が私の全身を駆け抜けていきました。思わず目を閉じちゃいます。
それから10秒ほどして、私はむっくりと立ち上がりました。動かなくなった「人間バリアーその2・ラグナロク」を投げ捨て、シシルさんに手を貸してあげます。
「大丈夫ですか?」
「ええ――ひっ!」
彼女が小さく悲鳴を上げたのは、ラグナロクさんを見たからでしょう。
私は鼻をすすり、目頭を押さえながら、
「女性を庇うための盾になる。男しての本望でしょう」
「違うだろっ、それ」
遠くからG.さんが突っ込んできます。あら? あなたも無事だったんですね? さすがヒューキャスト、無駄にしぶといです。
「むぅぅ。極悪さに磨きがかかっているな…」
額から汗を垂らしつつ、『奴』が戦慄に満ちた独り言を呟きます。
別に好きでやっているわけじゃありませんわ。失礼しちゃいますね。ちょっとだけ口を尖らせて反論します。
「身を守るためですもん、仕方ないじゃないですか」
「オーナー、さっき笑顔でしたけど…」
「菖蒲さんは黙ってて。それよりもアナタ――」
杖の先端を奴に向けて、私は『奴』に警告しました。意味もなしにヒルデブルーが「ぐげっげっげ」と笑っています。
「これ以上攻撃を加えるようなら、次々とスタッフたちが餌食になりますよ。それでもいいのですかっ?」
『あんたが脅迫するなぁっ!!』
…一斉に突っ込まれてしまいました。名案だと思ったのに。
仕方ないですね。
私はふぅっとため息をつくと、シシルさんの手を握り――
「逃げますよ」
「ええっ? また走るの?」
走り出しました。アホの相手なんてこれ以上はイヤですもの。遺跡までいけば、さすがの奴もダークファルスを恐れて接近してこないでしょう。
「逃がすかぁっ」
「どわああっっっ」
「きゃあぁっっ」
G.さんと菖蒲さんも落石を避けて走ってきました。ダメですってば! なんで同じ方向に走り出すのよっ! バラバラに逃げないとダメじゃないですか。
「なんだか洞窟と同じですよっ」
泣きながらシシルさん。言わないでよ、私もそう思っているんだから。
「しぃぃぃねえぇぇっ」
裏返った声と共に、レーザーがあちこちを切り裂きました。血管のように坑道のあちこちを走っているパイプから蒸気が漏れ、未だにスタンバイ状態となっているコンピュータに直撃し、白い煙が上がります。
気のせいか、あのレーザー威力が上がってませんか?
「ちくしょー。なんだかアホらしい事してるぞ、俺」
「十二単はマラソンに向いていないんですぅ」
「あなた方、舌噛みますよ」
私がそう言った瞬間。
「あ。」
ふみっ。
「あ、ら――?」
バタンっ!
気の抜けた声と共に菖蒲さんが倒れちゃいました。一番最後を走っていたシシルさんが、彼女の裾を踏みつけたようです。菖蒲さんはまだ、自分が倒れたこと気付いていないのか、呆然とこちらを見つめています。
シシルさんは一瞬、思考が停止したようですが、やがて。
「ごめんなさいっ、わざとじゃないんですぅっっっ」
菖蒲さんを置いて走り出しました。ナイスフォローですシシルさん。『奴』は菖蒲さんに気があるようですから、足止めにはなります。
「あーれー、お助けぇぇぇ…」
菖蒲さんの悲鳴は、デ・ロル・レと『奴』の発する奇声に飲み込まれ――やがて消えてきました。あなた十二単なんてものを着ているから…ああ、成仏してくださいな。
「菖蒲が、オーナー、菖蒲がっ」
G.さんが逼迫した声で尋ねてきます。文字通り目を白黒と点滅させながら、
「助けに行かなくていいんですか」
「無駄ですよ。巻き込まれますよっ」
「くっ。俺は…行くっ」
勇ましい宣言と共にG.さんが立ち止まりました。キュッと足音も高らかに180度回転すると、中空をもの凄い勢いで飛んでくるデ・ロル・レに向かって突進していきまいた。
そして――
「こわっぱがぁぁっ」
「ぎゃあああっっっ」
デ・ロル・レに跳ね飛ばされて空中でバラバラにされちゃいました。頭だけになったG.さんの断末の声が聞こえてきます。
「またバラバラかよ?」
どうやら彼、そういう運命――と書いて「さだめ」と読みます――の元に生まれてしまったようですね。それよりも「また」って何ですか?
「オーナー、二人ともやられちゃいましたよ」
「ええ。一人はあなたがやりましたね」
「それを言わないで下さいぃ」
耳を塞ぎながらシシルさん。ホンっトに今日は、泣いたり走ったりで忙しい日ですね。厄日ですか? 帰ったら日めくりカレンダーで確かめないと。
ともかく私たちは走って走って、そしてボル=オプトに通じるゲートへと飛び込みました。
「はぁっ…はぁっ」
何故かボル=オプトは居ませんでした。きっとシシルさんのダイエットを妨害するために菖蒲さんたちがやったに違いありません。
「ここまで来れば…?」
肩で息をしながらシシルさん。私はまだ若干の余裕がありますから、腰に手を当てて答えます。
「油断は許されませんわ。せめて遺跡にまで行かないと。それよりも見たでしょう? あのG.さんでさえ一撃でバラバラになったんです。質量は力なんですよ」
「うう。体感しましたぁ」
「さ、ラストです。頑張りましょう」
「はぁい。しかし…」
私が遺跡への扉をくぐろうとした時、シシルさんが「ぷっ」と小さく吹き出しました。泣きすぎたせいか目の周りが腫れぼったいですけど、にっこりと可愛らしい笑みを浮かべて言ってきます。
「ねぇレイヴンさん、なんだかすごいダイエットになっちゃいましたね。もうメチャクチャすぎて、体重の事なんてどうでも良くなってきましたよ。今の事件に比べれば体重なんて、ね」
「ふふ。確かにそうかも知れませんね。それに一生分走った気もしますから、実際に痩せたと思いますよぉ」
「あ、そうだ。終わったらケーキでも食べませんか? 1個だけ買って二人で分けましょうよ? ご褒美って事で」
「うふふ。きちんと洞窟まで買いにいかないとね」
「ええ」
それから私たちは。
笑いました。思いっきり。
シシルさんが今までに見せたこともないような、青空を思わせるような笑顔を見せたのを、事件が終わった今でも覚えています。
メチャクチャで恐ろしい経験をしました。被害にあったスタッフもいます――
でも彼女がこんな笑顔をするためには、その全てが必要だったんでしょう。うん、無駄なんかじゃないんですよね。
「さ、ゴールまで少しですよ」
「はい」
私たちは遺跡への扉を潜りました。
※
予想通りというか、すでに遺跡にも敵はいませんでした。足跡から判断するに女性が二人に、男性が一人ほど、先客がいます。
女性二人はおそらく姉様とルーチェさんだと思いますけど、男性って誰かしら? 私も知らない見習いスタッフ…かな?
私がそんな事を考えていると、
「1階のスイッチが4つあるところがゴールですよね?」
「…え、ええ、はいな、その通りです。行きましょう」
足跡から人数を割り出すというのは、ちょっと知識があれば誰にでも出来ます。でも男性の足跡は、本職のハンターのものとは思えません。
歩調が一定していませんし、体重のかけ方もマチマチです。加えてこれ、ハンターズで支給されている靴じゃありませんね。市販されている普通の革靴のようです。
「うーん」
「思い悩む事でも?」
私が眉根を寄せると、シシルさんがこちらをのぞき込んできました。
その時――
「あ、オーナー!」
部屋の向こうから呼ばれました。顔を上げてみると、青い服のフォマール――ルーチェさんです。その後ろには姉様もいました。
「あ、姉様にルーチェさん。どうしたんですか?」
「どうしたじゃないわよ、オーナー。やっと捕まえたわ」
走り寄ってきてルーチェさん。何か言おうとして口を開いて、そしていきなり笑い出しました。お腹を押さえて身体を「く」の字に曲げます。
「あはははははっ♪ オーナー、鏡を見た方がいいわよ。化粧が落ちてすっごい面白い顔してるわよ」
「ええ? そんな」
急いで私は袂からコンパクトを取り出し、開いてみました。小さな鏡に映った私の顔は――
「わぉ! どこのなまはげですか、これ」
「どこってオーナーじゃない」
まだ笑いながらルーチェさん。あうう…酷いです。たしかに凄い顔ですけど、そこまで笑うことないじゃないですか。
「ふふ…。確かに凄いわ。お客様には見せられないわね」
がーん! 姉様にまで笑われてしまいました。アイテムパックからウェットティッシュを取り出して顔を拭きます。…わお、真っ黒。
「シシルさんもすごいですよ、はい、これ」
「ありがとうございます」
私が手渡すとシシルさんは顔を拭こうとして、いきなり固まりました。
どうしたのでしょうか? 彼女の表情は固まったきり、視線は一点を凝視しています。つられて視線を追うと、その先には一人の男性がいました。部屋の入り口の方からこちらの方を見つめています。
「ん…? 姉様、あの方はどちら様で?」
「シシルっ!」
突然男性が叫びました。
「アルバートっ? どうしてここに? …あ、イヤだ。こんな顔、見ないで…」
アルバートってもしかしてシシルさんの…?
アルバートさんは歩み寄って来ました。距離がまだまだ離れているのに、シシルさんは私の後ろに隠れちゃいます。
「あの姉様、どうして一般の方がこんなところまで?」
「頼まれたのよ。シシルさんをラグオルから連れ戻してきてくれって」
肩をすくめながら姉様。うーん、でもそれって違反なのでは? まあ一般人でもちょっと頭を使えばラグオルに降りることは出来ますけど、遺跡は危険でしょうに。
「それよりもオーナー」
「はい?」
がしゃん。
手錠が私の手にかけられました。今時珍しい金属製の頑丈な手錠です。
…て、そうじゃなくて。
「…あのー、何ですかコレ?」
姉様は答えずにギルドカードに向かって話しかけています。
「みんなに通達して頂戴。第1号ならび0号の捕獲は完了。口惜しいけど両名とも無傷よ。なお現時刻22:45分で『熱量の天秤』作戦は終了するわ。みんなご苦労様ね」
「あのー、まるっきり話が見えないんですけど」
「つまりこういう事なんだけど…」
救いを求めるようにルーチェさんを見つめると、彼女は丁寧に説明してくれました。
…ふんふん、そうだったんですか? ああ、それで段ボール箱が…。
……。
…わーお! 危機一髪なんですね?
「というわけだから、すぐに準備なの。急いでねオーナー」
「はいな!」
そこまで元気に答えてから、私は背後にいるシシルさんの方を振り返りました。
彼女は私の背中の服を掴んだまま、動こうとしません。
「あのー、帰りたいんですけど…」
「アルバートに、見られたくないの…。顔は泥だらけだし、手は荒れちゃったし、服も汚いし、おまけにハンターだってバレたみたいで…。私、見られたくないんです…」
聞いているうちに、彼女の声がだんだんとか細くなっていき、最後には涙声になっちゃいました。
「はあぁ」
私はわざとシシルさんに聞こえるような大きなため息をつくと、くるりと振り返って彼女の肩を掴みました。
「あのねぇシシルさん。見てくれで好き嫌いを決めるようなら、所詮その程度ですよ。あなた達って見た目で付き合ったわけじゃないでしょう?」
「でも…」
「あなたに足りないのはね、ゆとりなんです。いっつも『アルバート、アルバート』って人の事ばかり考えて――それを悪いとは言いませんが、たまには自分の為に笑ってくださいな」
「自分の為に?」
「そうです。思い出してください。さっき笑った時の事です。あれがあなたですよ」
「シシル…」
私の前でアルバートさんが立ち止まりました。下を向いて、拳を震わせ、何かを言おうとしては口を閉じます。やがて。
「すまない」
それだけを言いました。
背後にいるシシルさん――彼女がより強く、私の服を握りしめました。かすかですが震えているようですね。
と。
彼女の震えに共鳴するように、遺跡全体が微かに震えました。たしかに彼女ぽっちゃり系ですけど…ってそうじゃなくて!
「何よコレ」
「遺跡にはよくある事よ。ルーチェ、アナタは特に馴れておかなくちゃダメね」
確かに遺跡に地震は多いですけど、これは違うんですっ。私は声を張り上げました。
「姉様、ルーチェさん。『奴』が…『奴』がきますっ!」
「奴?」
姉様が眉根を寄せました。紅い瞳に戸惑いの色が浮かびます。
「誰のことかしら?」
「! アーク、これってデ・ロル・レの反応よ。早いわ。すぐそこに来るわっ」
「なんですって!!」
ルーチェさんの言葉が終わると同時、遺跡の奥の方から『奴』が現れました。
咆哮を轟かせ、遺跡を揺さぶりながら空中を漂うそれは、間違いなく『奴』が乗ったデ・ロル・レです。
姉様は驚いたようにデ・ロル・レを見つめ、そして頭部に仁王立ちしている『奴』の姿を確認すると――
「…オーナー。アタシ、夢を見ているのかしら? 目の前に負け犬の幻が見えるんだけど」
「誰? 知り合いなの?」
「残念ながら姉様、あれ一応ホンモノです。しかもすでにフミヤさんを始めとして、ラグナロクさん、菖蒲さん、そしてG.さんを撃破しています。あ、へっぽこさんも実は彼にやられました」
「…嘘でしょ?」
ええ、一部嘘ありますけど。私は少し考えてから、
「うーん。厳密に言うならデ・ロル・レにやられた、と言うべきでしょうね。あの質量で体当たりされちゃったんですよ」
「だから誰なのってば、教えてよアーク、オーナー」
「…また夢に見ちゃうじゃないの。不愉快だわ。ん? ちょっと待って。あの形状デ・ロル・レとはちょっと違うんじゃないの? あれ、『ダル・ラ・リー』よ?」
「わお! どーりで手強いとはずです」
「天と地ほど違うじゃないの…」
呆れ顔でルーチェさん。だって走りながらだったから、気付かなかったんだもん。アルティメット仕様なら強いわけです。
と――
「ふふふふふふふふふ。ついに逢えたな釘バット女っっ!! あの時の恨み、思い知れっ」
奴が叫ぶのと同時、触手が動きました。高速で動くそれは寸分違わず姉様の姿を――
「姉様」
「アークっ?!」
「ふっ!」
鋭く呼気すると同時に、姉様の姿がかき消えました。触手はその残像を貫くだけです。触手は地面をうち砕き粉塵が舞い上がりました。わぉ凄い破壊力ですね、直撃は受けたくないものです。
「ふふ…。だぁぁれが、釘バット女なのかしら? 言ってご覧なさい、ボ・ウ・ヤ?」
その声はダル・ラ・リーの頭部から聞こえてきました。
見ると姉様は『奴』の前に立っていて、腰に手を当てて悠然と構えています。一瞬であそこまで跳躍するだなんて…さすがハニュエールですね。
「全然見えなかったわ。アーク、速すぎよ」
「ええ」
こうなっては接近戦が出来ない私たちフォマールとしては、見守るしかありません。まあ私たちが手伝うことはないでしょうが。
姉様は下から睨み上げ、豹を思わせる瞳を挑発的に輝かせました。
「どうしたの? 直接対決になると怖いのかしら? うふふ。やっぱり負け癖が抜けないようね」
「う…」
じり、と「奴」が退きました。一歩、二歩と下がり、そして行き止まりになってしまいます。恐怖が遺伝子にまで焼き付けられているのか、奴はそれ以外に行動が出来ません。
「釘バットがそんなに恋しいの? じゃあたっぷり…」
姉様は笑顔でゆっくりと釘バットをかざしました。奴の喉の奥から悲鳴が漏れます。
「味わわせてあげる…!」
「ぎゃあああああっっっ、許してママンっ!!」
ドゴバキメキョガスボス…・。
角度の関係上、私たち下にいる人間からは見えませんが、ダル・ラ・リーの頭部では凄い事になっているんでしょうね。音を聞いているだけでも痛いです。
やがて――
ボテっと何かが降ってきました。「奴」です。
その近くに姉様は飛び降りると、ツカツカとモデル歩きで近寄り、踵で抉るように踏みつけました。
「さぁ、どうしたの? これでおしまいかしら?」
「…アークの目、本気ね」
「久しぶりに見ましたねー。相変わらず素敵です」
私とルーチェさんが言っている間に、姉様は踏み踏みしています。生き生きしてますわぁ、姉様。
「ほら、オーナーもルーチェも来なさい。一緒に踏んであげるのよ」
「はーい」
「私は遠慮しとくわ」
手招きされたので近寄り、私も一緒に踏み踏みします。あーあ、ダイエットしたから、あんまり効かないかも。あ、シシルさんに踏まれたら痛がるかな?
私が視線を送ると、彼女とアルバートさんは向かい合っていました。
「私、あなたに嘘をついていたのわ。普通の商社で働いているって、ずうぅっと騙していたのよ? それだけじゃなくて、お父様もお母様までも…」
「それでも構わない。僕には、君が必要なんだシシル」
「アルバート…!」
そして二人は薄暗い遺跡の中で抱き合いました。BGMは姉様の踏みつける音と「奴」の悲鳴です。…およそ想像できる最低のシチュエーションのような気がしますけど。
「あーあ、なんだかあそこだけ完結しちゃってるわね。お幸せに♪」
「冷静に考えると、あなたもかなりイイ性格してますよねー、ルーチェさん…」
「何かいったかしらオーナー? それよりも」
ルーチェさんは人差し指を、心配そうな目でオロオロと『奴』を見つめているダル・ラ・リーに向けました。変異獣でもあんな表情するんですねー。
「あのコ、どうするの? 攻撃してこないけど退治しちゃうの?」
「そうですねー」
私は腰をかがめると、『奴』に尋ねてみました。
「あのダル・ラ・リー、どうにかなりませんか? っていうかそれ以前に、どうしてあなたの言うことだけ聞くのでしょうか?」
「いや、それは語るも涙、聞くも涙の長い話が…」
「聞きたくないわ。とっととお返し。じゃないともっと踏むわよ」
言いながらも姉様、すでに踏んでいます。
「あ、痛い、そこ痛いですってば! そこは傷、傷! …あンっ☆」
「ちょっとっ!?」
最後の一声で私と姉様は後ずさりました。今、変な声だしましたよ、この人。ついに目覚めましたか?
はいっと手を挙げて提案します。
「はい姉様、提案します。この場で奴を仕留めてしまいましょう」
「そうしたいところだけど、ホンモノの変態の相手は避けたいわ。どうしましょう?」
「テクニックなら触れずに済むわね」
「そうね。じゃあオーナーにルーチェお願い。分子レベルまで分解して、事象の地平へ追放して頂戴」
「あの…お取り込み中、申し訳ないんですけど…」
恐る恐るシシルさんが私に言ってきました。
「そろそろ11時になるんじゃないですか?」
『…』
私と姉様、そしてルーチェさんは顔を見合わせました。そして私が愛用しているホワイトリングに内蔵されている時計を見ます。
デジタル数値は無情にも『22:58』を表示していました。
「…間に合いませんね」
「うん。思いっきり遅刻よね」
「アホの相手をしたのが間違いだったわ」
私たちは三者三様に呟き、そしてその怒りの矛先は一点に向かいました。倒れ伏したままの『奴』に視線を集中させながら、私は言います。
「もうこうなったら開き直るしかありませんね、姉様、ルーチェさん」
「そうよねー。こんなに汚れていたらオーナー、シャワー浴びないと出勤出来ないものね。どうやってもタイムオーバーだわ」
「釘バットもまだ使い足りないし…」
と――
『もしもし女王? いらっしゃいますか?』
「エンデルクね。何かしら? 何?」
姉様のカードからエンデルクさんの声です。
『はい。ただいま至急の連絡が来たのですが、政府筋の査察は延期だそうです』
「どういう事よ?」
『ノーチェに来る前にアイテム屋の査察をしていたそうなのですが、新製品の回復アイテムを試食した途端、倒れてしまったそうです。喉を詰まらせたのかと思い、同じく新製品のドリンクを飲ませたのですが、これがトドメを刺したらしく査察委員は救急車で運ばれていきました。つい先ほど、ノーチェの査察を延期するとの正式なお達しがありました。もしもし女王、聞いてらっしゃいますか? 女――』
「…助かったわ。それにしても、すごい幸運があるものね」
呆然としながら姉様が呟きました。その横でルーチェさんも胸をなで下ろしています。
「ねぇレイヴンさん、ひょっとして…?」
話を聞いていたらしいシシルさんが、笑いを堪えながら私に尋ねてきました。
「査察の人が食べたのって、きっとアレですよね?」
「ええ。お茶も飲んだらしいですから、まず間違いないでしょうね」
青汁味の回復アイテムにに、サバの味噌煮味のお茶――
ま、何の心の準備もなしに口にしたらどうなるか? それを一番良くわかっているのは彼女です。
私は笑いを噛み殺しながら、リューカーの使いました。指定した一点を中心に、帰還専用の簡易テレポータが作成されます。
笑顔で促すと、シシルさんとアルバートさんが光の中に入り、消えていきました。
「さ。二人とも、帰りましょうか」
「そうね。査察はないけど営業はあるんだし」
「その前にオーナー、お風呂に入った方がいいわよ」
「はいな」
お風呂の前に、体重計に乗るのが楽しみです♪
※
目の前の白い皿、その上にドンと置かれたキャベツの葉を一枚むしると、私はそれを口に運びました。ドレッシングなんかつけていないので当然、味気ありません。よく噛むことで甘くなっていきますが、とても切ない感じです。
私は視線を感じて顔を上げました。
カウンターを挟んで向こう側に座っている姉様が、何か珍獣を見るような視線でこちらの方を見ています。心なしか、顔が引きつっているようにも見えました。
しかしそんなことお構いなしにキャベツをむしると、私は一枚また一枚と食べていきます。
もしゃもしゃもしゃ…一枚につき最低60回は噛むのを忘れません。塩くらいならつけてもいいかな? いえ、やる以上しっかりやらないと。
姉様がおそるおそる、私に声をかけてきました。
「ねえオーナー。アナタ、ダイエットに成功したんじゃなかったの?」
「しましたよ。一時期は」
「どういう事かしら?」
私はこぼれ落ちそうになる涙を堪えると、鼻をすすりながら話しました。
「実はあの後、約束していたのでシシルさんとケーキを食べにいったんです。でも――」
「…大体予想が付いたわ。それ以上は聞かないであげるわ」
「言わせて下さいな。――久しぶりにケーキを食べたらとってもおいしくて、しかもダイエットしたっていう自信があったから、つい食べ過ぎちゃって…。ダイエット前よりも太っちゃったんですよぉっ!!」
「…哀れね」
同情に満ちた姉様の視線が、とても…とっても痛かったです。まる。
【熱量の天秤・遺跡決着編】
というわけで、第3弾完結です。みなさん如何でしたでしょうか? ちなみに今回のテーマは「小技」でした。「小枝」ではないのであしからず。
「…ちょっとオーナー。どの辺りが小技なの?」
意識的にこぢんまりとした話を目指してみました。まるでギャグ漫画によくあるパターンのような。さりげなーく伏線を張ってみたりして。
「普通気付かないわよ? こんなオチは。ところでオーナー、まだ続けてるの? その…ダイエットだけど」
ええ。今度夜中にやっている怪しげな通販で、これまた怪しい腹筋道具を買ってみようかと…。
「うーん。あれって効果無いわよ。それよりも食生活を改善した方がいいわ。やっぱりこういう仕事やってると、お酒をたくさん飲んじゃうものね。お酒って結構カロリーあるもの…。アタシ的にお勧めなのは素振り。釘バットの。効くわよ。アナタには鉄パイプの方が似合うかしら?」
笑顔で勧めないでくださいな。個人的には自転車のチェーンの方が使いやすくて…って、そうじゃなくて。
今回はとりあえず、人を沢山出すのも目的でした。現在よく出勤しているスタッフはみんな出ていると思いますが、「わしが出ていないとはどういう事だ?」と思う人は是非ともご一報を。命と引き替えに出演させて差し上げましょう。
「オーナーがそう言うと、まるっきり悪魔との契約にしか聞こえないわ。悪魔召喚プログラムで召喚できそうよね、オーナー」
…属性は「外道」で、ですか?
「いいえ、『珍獣』。あんまりサマナーとかペルソナは好きじゃないんだけど」
…わかる人だけしか笑えませんわ。ともかく今回はここまででーす。では〜。
「次があれば、またね」
⇒戻る