彼は自らの才能に賭け、全てを捨ててこの惑星ラグオルへと降りてきた。
初めての冒険の時の胸の高鳴りは、今でも覚えている。
――屈辱と共に。
彼はその後、自らの忌まわしき記憶を打ち破る為に、ひたすら努力を続けた。
初めての冒険の時、自分を助けてくれた人に追いつき、追い越すために。
そして、死神を思わせる大鎌を持ったあのヒューキャストを倒すために。
しかし彼には、本人も意識していない致命的な弱点があった。
彼はレベルとかテクニックとか装備以前に――
弱かったのだ。とっても。
※
『いらっしゃいませー』
店内にスタッフの声が響き、それで私はお客様が来たことを知りました。
こんな時間に珍しい。ほとんど閉店時間です。
そう思って隣を見ると、姉様も同じ事を思ったのかこちらを見ています。
「今日はこの方で受付終了ね」
「そうですね」
相槌を打ってお客様を待ちます。
私――レイヴンは、このナイトクラブ「Noche」のオーナーを勤めております、レベル43のフォマールです。
そして隣りにいる隻眼の銀髪美女が、『ママ』ことカムナ=アーク。レベル100の超凄腕ハニュエールです。私は親しみを込めて姉様と呼んでいますので、文中はずっと「姉様」と表記しますね。
さて私たちは、ひょんな事からラグオルで知り合って意気投合し、この「Noche」を作るに至りました。
この「Noche」は一見普通のクラブのようですが、実は少し違うところがあるんです。しかしそれは後で書きますので、このまま読み続けてくださいな。
カウンターにやってきたのは、まだ若いハンターでした。
彼はホステスの菖蒲さんに案内されながら、カウンターの前までやってきました。そして彼女に促されて、私と向かい合う席に座ります。
「いらっしゃいませ。お飲物は何に致しましょう」
「じゃあビールを」
「かしこまりました」
私は注文を受け、グラスを手に取りサーバーからビールを注ぎました。その間に、ちらりとお客様の様子を見ます。
彼はこういう場所に慣れていないのか、緊張しているように見えました。落ち着きなく視線をあちこちに漂わせ、菖蒲さんから受け取ったおしぼりを、いじくり回してます。
そこへ姉様が笑いかけました。にっこりと。妖艶に。
「はじめての方ね…」
「……!!」
ボンっと音がしような勢いで、彼の顔が真っ赤に染まっちゃいました。からかうのは姉様の悪い癖ですね。……気持ちは分かりますけど。
私は助け船を出すような気持ちで、彼の前にビールを置きました。我ながら泡の具合が良い感じです。
「どうぞ、ゆっくりしていって下さい」
「あ、はい」
「このお店は、どこで知ったのかしら?」
姉様が尋ねると、彼は顔を赤くしたまま、
「ギルドの食堂です」
「あら。もう噂になってるらしいわ、オーナー」
「それは嬉しい限りです」
開店してから、まだ一ヶ月と少し。ハンターズギルド総本部の食堂で噂されるなんて、大したものです。
「それで今日はどのような娘をご希望かしら? 今ならあなたを案内してきた菖蒲ちゃんがつくわよ」
「いや、そっちの方じゃなくてですね」
「…じゃあラグオルね?」
「はい」
と彼は力強く頷きました。
この「Noche」が他のクラブとは違うところ――それは私も、ママも、そしてスタッフ全員も、ギルド公認のハンターズであるという事。そしてお客様の要望があれば、共にラグオルにも降りていくという事です。
もちろん普通のクラブとしても利用しているお客様もいますが、やはりハンターズ関係の人の方が多いのは事実でしょう。「Noche」ではアイテムや情報の交換が行われ、共に戦う仲間としてスタッフが同行しますので、色々と便利なようですね。
もちろん手数料も頂きますし、特定のスタッフを指名するときには指名料というのもありますが、それでも基本料金が低めなので、レベルの低い方もお気軽にもどうぞ――って宣伝しちゃ駄目ですね。
「レベル上げが目的ですか? そうでしたら同レベルのスタッフを紹介しますよ」
私が尋ねると、彼は首を横に振って、きっぱりと答えてきました。
「いえ、出来れば強い人をお願いします」
「あら。ちょっと無理して遺跡にでも行くのかしら?」
姉様の問いにも、首を横に振りました。そして勢いよく立ち上がり、
「特訓をお願いしたいんです!」
『はあ?』
私と姉様が困惑の声を上げるのと同時に、閉店時間を告げる鐘の音が、静かに店内に鳴り響きました……。
※
「要するにあれね、キリークと勝負したいから、模擬戦しろというわけ?」
「はい。だから出来れば女性は……」
「でも閉店しましたから、私たちしかいませんよ」
「あうう……」
頭を抱えて呻く彼。
閉店時間になったので、スタッフはもう帰っちゃいました。掃除やら金額計算で数名が残っているくらいです。
私は落ち込んでいる彼に向かって言いました。
「あの、こんな事いうのもなんですが、キリークさんとはあまり関わりにならない方がいいですよ」
「あまり良くない噂ばかり聞くわね。パーティも組まないから印象も悪いし……。でもあの鎌は素敵よね。欲しいわ……」
うっとりと姉様。私も同感です。あの鎌って素敵だと思いませんか? 『うかつに触れると死ぬゼェィ』って雰囲気がひしひし伝わって……って話がずれましたね。
ご存じだとは思いますが、キリークとはとても有名なヒューキャストです。持っている武器が死神を思わせる大鎌で、全身殺気の固まりのような人です。人付き合いが悪いことも相まって、あまり評判は良くありません。中には死の商人とつるんでいるという噂もあるくらいです。
「第一、なんだってあんなやっかいな奴に因縁つけるのよ」
カウンターに両肘をつきながら姉様が尋ねると、
「初めての冒険の時から色々と、ね」
と彼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべました。姉様はこれ以上の事は聞けないと判断したのか、それ以上は事情を聞こうとはせずに、私の方に向かって尋ねてきました。
「それで特訓ね。どうするオーナー、営業時間外だけど?」
「どうしても男性でなければ駄目ですか? 私で宜しいのであれば、喜んでお相手を勤めさせて頂きますが」
私がのぞき込むように尋ねると、彼は少し照れたように頭を下げました。そして消え入りそうな小声で返事をしてきます
「じゃあお願いします」
「そうですか。今日はもうテレポーターが閉まっている時間なので、明日の朝――で、よろしいですか?―― に、ラグオルへと参りましょう」
「オーナー、アタシも一緒するわ」
と、姉様が言って下さいます。
心強い後ろ盾を得た気持ちで、私は彼にギルドカードを渡して告げます。
「お客様のお名前とギルドカードを、こちらの方で預からせて頂いてもよろしいでしょうか。これはラグオルで会えなかった時の保険のようなものですので、どうぞお願います」
「はい。分かりました。俺の名前は……」
彼の名前を聞いた瞬間、店内にいたスタッフの顔色が変わりました。
「アッシュです。アッシュ=カナン」
――聞いたことがあります。
通称『アッシュ・ザ・アンダードッグ』――『負け犬のアッシュ』。
※
あだ名を持ったハンターは、どなたも一級品の能力を持った方ばかりです。
皆さんもご存じパイオニア1のヒロイン「赤い輪のリコ」を筆頭に、最近では「白山猫」リンクスや「爆炎姫」の異名を取るクジカ=シフォンが有名で、古くは「百発百中」のケントなど数えればきりがありません。
しかし目の前に、全く別の意味で有名なハンターが一名。
彼、「負け犬」のアッシュです。
彼の腕は決して悪くありません――腕が悪ければ死にますからね。しかし私たちハンターズの間では、あまりよい評価をされていません。
では何が悪いのでしょうか?
今から思うにそれは、「死ぬことも出来ないほどの運の悪さ」だろうと私は思います。
彼はどんな戦場でも死ぬことも出来ずに任務を失敗し続け、ついにはキリークと一戦交えて負けました。そしてついたあだ名が「負け犬」というわけです。
「俺のあだ名を知ってるなら、わかるでしょう?」
とアッシュさんは力説しました。
彼の全身を、森の隙間から差し込んでくる日差しが包んでいて、とても幻想的に見えます。
「俺は奴を倒さなくちゃ、一生『負け犬』呼ばわりだ! ……だから、特訓お願いします」
「そういう事ならね」
と、姉様が一歩前へ出ました。昨日の「Noche」用の服とは違い、ハニュエール用の戦闘服に身を包んでいます。私もフォマール専用の肌の露出の少ないものを着ていますが、アッシュさんは違いました。
彼はハンター専用の戦闘服の上にアーマーやらシールドを装備し、さらにマグも装備しています。マグは装着者の脳に特殊な波長を送ることによって、持ち主の潜在能力を少しですが引き出す事が出来ます。
そのため彼は、通常の筋力では装備できないはずの大剣を握りしめていました――フォトンの色から判断すると、おそらくギガッシュかブレイカーでしょうね。
ちなみに私は秋子おばさんから頂いたフライパンを(昼食のために)装備しているだけで、姉様に至っては素手です。まあ森ならこの程度の装備でも十分ですよね。
「じゃあかかってらっしゃい」
姉様は優雅に手招きし、準備出来ている事を告げました。
「テクニックでもアイテムでもなんでも使ってきなさい」
気合いを入れ、アッシュさんも剣を構えます。
「はい。こっちのレベルが低いからって手加減しないで下さい」
「そうするわ」
にこり、と姉様の口元が笑みを浮かべました。
「でぇやあっっ!」
気合いと共に、アッシュさんが大きくソードを振りかざします。
次の瞬間――
姉様はアッシュさんの目の前にいました。ソードの攻撃力を完全に殺す間合いまで接近しています。そして、
「え? え?」
とパニックになっている彼の、剣を握っているその手を抑えると、爽やかに笑って、
「武器は相手によって変えることね。一対一ならソードよりもセイバーの方が利点が多いわ――それっ!」
ダンスのように軽くステップを踏むと、アッシュさんの身体は宙を舞い、背中から地面に叩きつけられてしましました。
アッシュさんは受け身もとれなかったのか、酸素を求めて喘ぐ声しか聞こえません。
「もう少し手加減した方がよくないですか」
私は言いました。
姉様のレベルは100。ギルドが認める最高のハンターズの一人です。一方アッシュさんはレベル20になったばかりで、その能力は天と地ほどの差があります。
「ん。大丈夫でしょ、アタシ、マグも外してるし…」
「そうですか……? アッシュさん、レスタが必要でしたら地面を叩いて下さいね」
ドンドンドン!
……もう必要なんですね……。
「よし、武器も変えた。今度こそ」
「じゃあ行くわね。……あら? 何かしら、アレ」
姉様が森の奥の方を指差すと、つられてアッシュさんもそちらの方に視線を送りました。
「ん? 何かあった?」
「よそ見するんじゃないの!」
メリッ!
姉様の飛び膝蹴りが顔面に決まりました。華麗な真空飛び膝蹴りですわ!(……えっ、私の年齢は幾つかって? ……黙秘権を行使しますね)
スローモーションでアッシュさんが仰向けに倒れていきます。手にしていたパラッシュが地面に落ちて、どこかへ転がっていくのが見えました。
「っぅぅぐうおおおおっっっ!!!!!!」
ブシュッっと鼻血を吹き出しながら、アッシュさんが地面を転がり回ります。鼻を押さえた指の隙間からボタボタと血が流れ落ち、その匂いを嗅ぎつけたサベージウルフの群れがやってきて、彼の周囲をぐるりと囲みました。
「おおっ!? なんだよこいつら」
「WAHOOOON!」
やがてボス格のウルフが一声吠えると、一斉に彼に襲いかかっていきます。
「うわっ。助けてー。ヘルプミー!」
鼻血を流したままの情けない姿で助けを求められても……ねえ、姉様?
「助けなくていいわ」
だ、そうです。アッシュさん頑張ってくださいな。
「ふふ。そんなに見つめて……」
「もうフェイントは喰らいません」
「ふぅん…。で、なんでそんなに距離取ってるの?」
「……」
「確かに直接攻撃の恐れはなくなったわ。キリーク相手には良い考えよね。彼、飛び道具持ってないらしいから。でも……後ろには気をつけた方がいいわよ」
姉様が指差した先には、大きな卵が数個置いてありました。おそらくはラグ・ラッピーの卵でしょう。よく見てみると、
「あら。一つ割れてますね」
アッシュさんが蹴飛ばしたショックで割れてしまったのでしょう、卵が一個その黄身を見せています。しかし先ほどの経験があるのか、怯えた瞳を姉様から外しません。
「せっかくですし、あれをお昼ご飯にしましょうか。フライパンもありますし」
私が提案すると、姉様はあっさりとアッシュさんから視線を外して、
「いいわね。でも後片付け大変じゃない? この大自然に脂の垂れ流しはしたくないわ」
「大丈夫です。秋子おばさんのフライパンですから脂を使いませんし、後片付けも簡単ですよ。なんで普通の金物屋で売っていないのかが分からないほど、良い品物ですよコレ」
「ふふ。さすがウェポンズの総帥が持っているものは違うわね」
私の視界の端に、顔を赤くして身体を奮わせているアッシュさんが映りました。無視されて怒ったのかも知れません。
彼は意を決したようにパラッシュを握りしめると、自分の唇に人差し指を当てて私に黙っているように指示し、姉様の方に忍び足で迫ります。
そんな事しても無駄なのに――
と私が思った瞬間、アッシュさんの頭上の木の枝から、何かが彼に向かって猛然と落下していきました。
「ぐわあぁぁっっっ!!」
悲鳴。見てみると、アッシュさんが大量のラグ・ラッピーに踏みつけられていました。
ラグ・ラッピーは卵を壊されて怒っているのか、目をつり上げ、いつもはたれ気味な触覚をびんびんに立てています。
「周囲を見てないからそうなるのよ」
そんな姉様の呟きを聞きつつ、私は枯れ木を集めてフォイエで火をつけ、フライパンを暖め始めました。どうやらお昼は卵料理と焼き鳥になりそうです。まる。
「あの、その午前中はアークさんでしたから、午後からはレイヴンさんお願いします。いや決してキツイとか痛いとかそーゆーのじゃなくて、これから先の事を考えてテクニックを使う相手との戦闘経験を積んでいた方が、あらゆる状況に対して……」
「……いいけど多分、オーナーの方が厳しいわよ」
「そうなんですか」
「そうなんですか、姉様?」
「フォースっていうのは体力が少ないから、基本的に『倒す事』じゃなくて『攻撃を受けない事』を前提に戦うのよ。だからハンドガンで間合いを調整するし、テクニックを使うときは弱点を狙ったり、凍らせたり、痺れさせたり、攻撃力を下げたり、逆に自分の防御力を上げたり……敵にしたらやりづらいわ」
「ふーん。じゃあどうしたらいいんですか」
「そうね。ダメージを覚悟の上で接近というのが最良策かしら。まあ相手の武器によるでしょうけど」
「では早速やってみましょう。」
私の前にアッシュさんが立ちました。大体五メートルほどでしょうか。私がテクニックを使う気配がないのを悟ると、
「行きます!」
言われた通りのダッシュ。素直です。しかし私は直前で身を躱すと、ひょいと足を引っかけました。
「おわあっ!」
アッシュさんは勢い余って私の後ろにあった池へ、ザッパーンと落下しました。派手な水柱が立ち、飛沫が飛んできます。私は思わず袂で顔を庇いました。
――それらが収まった後に見たものは、プカプカと水面に漂うように浮かぶアッシュさんの姿でした。
「ねえオーナー、まさか彼、溺れたとか……」
姉様が呆れた声で聞いてきますが、まさかそんな事があるはずありません。ハンターズ訓練の時に、水中での救助訓練も受けたんですから、泳げないはずがないんです。
私が目を凝らしてみると、彼の頭にたんこぶがあるのを見つけました。ひょっとして。
「姉様、あのたんこぶ見えますか?」
「…ええ」
「おそらく、水底にある石にでも頭をぶつけたのでしょう」
「……どうして彼ってああなの? 一の問題が二にも三にも膨れていくようだわ」
そう私たちが話している間にも、池の水の循環で彼の身体は流されていきます。
と、突然、姉様が声を上げました。
「あら。あれってヒルデベアじゃない」
姉様が指差す方に、十匹近いヒルデベアがいました。どうやら集団で池にやってきたようです。水を飲むつもりなのか、水浴びなのか、どちらにせよ興味深い行動です。あとでモンタギュー博士にでも相談しようかな。
なにはともあれアッシュさんです。彼はそのままヒルデベアの方へ流れていき――
ごん!
「赤い環」リコが言う「でっかい拳」が、彼の後頭部を殴りつけました。
「本気でやってるの? ……痛い目に遭いたいようね」
「あう、姉様落ち着いて」
「す、すみません。次はちゃんとやります」
大きなたんこぶを撫でながら、アッシュさんは頭を下げました。
「オーナー。アナタも今回は素手でお相手して差し上げて」
私が素手で? 自分でも驚いた表情をするのがわかりました。
一応レベルに倍近い差がありますが、それでも私はテクニック重視のフォースです。接近戦の訓練を受けたハンターと素手で戦ったところで、勝負にもなりません。
「いいから、ね。ちょっと気になる事があるの」
「……はい」
姉様にそうまで言われては仕方ありません。なにやら考えがあるのでしょう。
「ではお願いしますね」
「こちらこそ」
私はアッシュさんと向かい合いました。
構えは取りません――というより素手の格闘戦なんて、ハンターズの訓練以来さっぱりなんですよ、私。
一方アッシュさんは、さすがはハンターというべき堂々とした立派な構えです。しかしなんとも言えないような難しい表情をしているのは、やはり私が女でしかもフォースだからでしょう。
姉様が手を叩いて、戦闘を促します。
「はいはい。お見合いじゃないんだからしっかりね」
「……行きます」
目を細め、私を睨み付けるとアッシュさんはこちらに向かって走ってきました。歩幅も一定で腰の上下も少ない良い走りです――って関心している場合じゃありませんね。
「せいっ」
気合いと共に鋭い右突きが繰り出されてきました。私は手でそれを払いのけると、左足を軸に半円を描くようにくるりと回転して彼の背後を取ろうとします。
しかし、彼の目は待っていたとばかりに強い光を放ちました。
「――っ!」
何かが空を切る音が聞こえたような気がして、私は上体を屈めました。軽い衝撃と共に、頭の上が軽くなります。
「なかなかの動きね、二人とも」
姉様が評論しますが、私はそれどころじゃありません。アッシュさんの裏拳で帽子が吹き飛ばされちゃいました。頭を下げなかったら、顔に直撃だったでしょう。
血の気が引いていくのが、自分でもわかります。
「本気になれば出来るじゃない」
「躱されたか……」
実に口惜しそうにアッシュさん。……あの、怖いんですけど……。女性と模擬戦するのをあんなに嫌がっていたのに、どういう性格をしてるんでしょうか?
「そうれ、もう一回」
「姉様、焚きつけないで下さいましっ!」
「うおおっ」
唸る拳が迫り、切り裂くような蹴りがかすめて行きます。そのどれにも手加減などない、必殺の迫力がありました。
当たると……さすがに無事ではないでしょう。トラブル続きで、彼もストレスが溜まったのでしょうか? ……それでもこの勢いはまずいですよ。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「今度こそっ!」
「あの、確かに、訓練ですけど、これは、やりすぎで」
回避しながらなので上手く喋れませんし、当のアッシュさんも私が反撃しないので、調子に乗って攻撃を続けてきます。寸止めする気配なんかありません。
「私は、フォースですから、姉様のようにはですね」
「そこかぁっ」
「痛っ!!」
かろうじて彼の蹴りを受けた両腕がビリビリします。
……もう! 言ってきかないなら!
私の中で何かがキレました。
大振りなパンチを見切って思いっきり彼の懐に飛び込みます。
「ちっ」
とアッシュさんは舌打ちして、間合いを引き離そうとしますがそうはさせません。私は彼の足を、思いっきり踏みつけてやりました。バランスを崩し、体勢を立て直そうと両手が広がったところで、思いっきり頬をひっぱたいてやります。しかも体重を乗せたヘヴィアタックで。
パン!
思ったよりも大きな音が出ました。アッシュさんは驚いたように目を大きく見開き、こちらを呆然と見ています。反撃が来るとは思ってなかったというような表情です。その表情のまま、たらり、と鼻血が流れました。
私は自分の鼻を指差すと、挑戦的な口調で告げました。
「今日は鼻血よく出ますね。文字通り出血サービスですか?」
「くそっ」
我ながら下品なフレーズですが、今の一言でカチンときたのか、アッシュさんはまたも突進して来ます。
――これを待っていました。
私は一歩下がると、大きく土を蹴り上げました。空中に土埃が舞い上がり、その中にアッシュさんが突っ込んで視界を失います。
「くそっ、狡いぞっ」
アッシュさんの声が聞こえますが、そんなこと知ったことではありません。目を瞑り、むやみやたらとパラッシュを振り回す彼に接近すると、私は先ほどのヒルデベアを倒して入手したケインを握りしめ、バットを振るようにフルスイングで脇腹を打ちます。
スパンッ!
「ぐはぁっっ!!」
打ち抜くようないい音が響き、アッシュさんは派手にきりもみ回転してから地面に倒れました。その後、身体をヒクヒクと痙攣させたきり――動かなくなっちゃいます。
私は妙な手応えの良さを感じて、打った姿勢のままで固まっちゃいました。今の攻撃はクリティカルヒットだったような……。
「……ちょっとマズイわね」
さすがに姉様もマズイと思ったのか、アッシュさんのところへ行き片膝をついて彼の瞳孔を確かめます。
顔の前で手を振ったり、声をかけたり頬をピタピタと叩いたりしますが、反応ありません。姉様は、ふぅっとため息を吐くと、私の方に視線を送り、
「オーナーちょっとやりすぎ」
……はい。反省します。
「ふう。命に別状はないようね。とりあえず店に運びましょうか――そっち持って。このコけっこう重いわ」
「はいな」
私と姉様は口から泡を吐いているアッシュさんを肩に担ぎ、Nocheへと向かいました。そろそろ開店の準備をしなければ、と思いながら。
次回予告:
ついにアッシュさんの弱点を見切った姉様の指示により、本格的な特訓が始まりました。しかしノーチェで特訓する以上、半端な事は致しません。キリークさんが裸足で逃げ出すほどに鍛えて差し上げましょう。
「それで、どうするのかしら?」
あら姉様、そんなのは決まってますわ。最強のスタッフ数名を同行させて、ベリハの遺跡で荒稼ぎ(笑)。
「ゲームバランスが崩れるようなことしないの。一応、ノーマル設定なんだから」
そうですか? 残念です。
「実はね、私にちょっと考えがあるのよ。耳を貸して」
はいな……なるほど、そういう方向で強化ですか。名案ですね。
そういう事で私と姉様がとったアッシュの強化方法とは?
それでは次回、「負け犬の遺伝子・後編」をお楽しみに……って次回予告になってませんね。