[Lime Light Memory I] 月の輝く夜。雪のように舞う白い木蓮の花びらの中、サリタと向かい合っている夜色の髪の女は 泣きそうな笑顔を浮かべながら言った… ―………― 『何を…言っているのですか?』 女の唇は動いているが、声は出ていない。ただ、美しく花びらの中辛くなるような微笑を浮かべている… 自分はどんな顔で彼女を見つめているのだろう…女の唇がまた動きだす。 ―サヨウナラ― 声の無い唇の動きはサリタにはっきりとそう告げた。 「……っ」 サリタはベッドから飛び起きていた。素肌の上半身はびっしょり汗に濡れている。 時計に目をやるとまだ夜中の3時だった。 「またか…」 片手を押し当てるようにして顔を覆う。こんな夢を見るのはいつも決まって月が輝く夜だ。 いまだ宇宙にあるパイオニア2の中で月なんて見る事はないが、ラグオルの状況を報じるニュースでは もうすぐ満月になると言っていた。 サリタは月が嫌いだった…遠いおぼろげな記憶の中にある悲しい離別の夢をいつも月夜が運んでくるから… サリタは自分が泣いている事に気付いて顔を拳で拭った。ベッドから起き上がり、上着を羽織って部屋を出る。 一階ホールまで降りて傍にある椅子に浅く腰をおろすと深くため息をついた。 ※※※※※※※ 「めっずらしいわね。あんたが一番最初に起きてるなんて…」 朝、椅子に座って微動だにしないサリタを見付けてイザベラは驚いた。 「眠れなかったんです…もう7時ですか。朝食つくりますね」 サリタはのろのろと立ち上がってキッチンへ向かおうとした。 「ちょっと、どうしたのよ?具合でも悪いの?」 イザベラはキッチンへ向かおうとしたサリタの襟首をつかんで引き戻し、顔を覗き込む。 サリタの顔色はかなり悪かった。精気が無いというぐらいに… 「大丈夫ですよ。熱とかないですし、体調も悪くない…そんなに心配しないでくださいよ」 サリタは青白い顔で笑ってみせた。 「それに今日は大事な日でしょう?」 そう、今日はイザベラが前々からずっとやりたいと思っていた飲食店のオープン初日。 準備や計画を綿密に行い、やっと店としてやれる状態になったのだ。 店の入り口には昨日取り付けたばかりの綺麗な看板が道行く人にその店名を誇らしげに見せている。 《Restaurant Bar ラプンツェル》 昼間はレストラン、夜は落ち着いた雰囲気のバーになるちょっとかわった店だ。 店の名前は物語のヒロインから取ったのだとイザベラは言っていた。 「たしかに今日は大事な日だけど…体調悪いならちゃんと言いなさいね?」 優しく気遣うイザベラの言葉にサリタは苦笑した。 「僕が休んだらお店出来ないじゃないですか。コックが居なくなったら誰が料理を作るんですか?店長さん」 店長兼オーナーがイザベラ、コック兼調理責任者がサリタ、ホールスタッフが日乃菜、 お手伝い要員がチビのこの店は明らかにギリギリの人員なのだ。 サリタが休めば当然店はまわらない。イザベラは頬をふくらませた。 「まったくもぅ…私より年下のくせに可愛げな〜い!」 こめかみあたりを拳でぐりぐりされてサリタは悲鳴をあげた。 「あたたたた!だって本当の事じゃないですかあたたたたた!」 何とか逃げ出して涙目でこめかみを押さえるサリタをイザベラは腕組みをしながら睨みつけた。 「ま、そんだけ生意気言ってられるなら大丈夫そうね。どれ位お客さんが来るかわからないけど、頑張ってよ? てか、お腹すいたから朝ご飯早く作って頂戴な」 「仰せのままに…姉さん」 二人で顔を見合わせてくすくす笑い、サリタはキッチンへ入って行った。 ※※※※※※ 朝食が出来上がる頃には日乃菜もチビもホールに降りてきていた。 全員が朝食を摂りおわると、日乃菜が徹夜で作ったユニフォームに着替え、開店準備を整える。 「うんうん♪いいねぇこういうの。お店っぽいね〜」 全員が上半身白衣でロングタイプの黒いエプロン、黒い細身のパンツ姿である。 鏡の前でイザベラはスタイルを確かめながら楽しげに笑った。 「デザイン決メルノトテモ楽シカッタデス。開店二間二合ッテ良カッタ」 日乃菜も喜んでもらえたのが嬉しいのか、上機嫌だ。 「さ、じゃあ開店しましょうか?宣伝らしい宣伝してないからお客さん少ないかもしれないけど、 楽しく元気にやりましょうね」 …ドアノブにオープンの札をかけようと外に出たイザベラは、目の前の光景に驚いて腰が抜けそうになった。 「な…ナニコレ」 イザベラの前には店の開店を待つ人でごったがえしていた。 「もう開店するんですか?」 「此処、メニューに甘い物があるって本当ですか?」 「焼肉バイキングで食べ放題って本当ですか?」 どうやら口コミで店の噂を聞いて来たらしい。多少変な噂も紛れているようだが、人の情報伝達能力は侮れない。 パイオニア2で甘いものが食べられるなんて事はまずめったに無い為、殆どの客が甘味目当てのようだ。 イザベラは何とか営業スマイルで客を店内へ通した。 「いらっしゃいませ。ラプンツェルへようこそ」 ※※※※※※ 予想以上の人数に慌てふためきながらもラプンツェルのスタッフは最高のサービスで客を迎えた。 サリタは息つく暇もなく料理を作り続ける。次第に食材も減ってゆき、足りなくなりそうな物まである位だ。 店内に目をやると、先程よりは客が少ない。 サリタはイザベラを呼んだ。 「今のうちにちょっと買い出しに行ってきます。食材たりなくなりそうで、このままだと昼までもたないから。 …心配しなくても料理は盛り付けて出すだけで大丈夫ですし、デザート類も冷蔵庫にストックありますから」 「わかったわ。でも、急いでね。またお客さん増えるかもしれないし…」 少し不安そうなイザベラを何とか納得させてサリタは店の外へ出た。少し小走りに大通りを抜け、マーケットへ向かう。 店に着くと休む間もなく慎重に鮮度の良い物を選び、会計を済ませた。 大きな紙袋二つ分の大荷物を両腕に抱えてサリタは店へと急ぐ。 「近道近道…」 いつもの道ではなく、狭い路地を抜けようと角をまがったサリタは目の前から物凄い勢いで走ってきた誰かとぶつかった。 ―ドンっ!― 買物の荷物が地面に転がる。両手が塞がっていたサリタは受け身がとれるはずもなく、強かに尻を打つ。 「痛たぁ…」 呻くサリタに誰かが手を差し伸べた。 「すみません、よそ見していまして…大丈夫ですか?」 手を差し伸べてきたのは冬の空のような真っ直ぐで長い輝く青い髪とアッシュブルーの瞳の男だった。 サリタより幾つか年上らしい…落ち着いていて丁寧な口調のバリトンの声は耳にとても優しく、 まさに大人の男といった感じだ。 差し伸べられた手を素直にとってサリタは立ち上がり、男の顔を見て言った。 「大丈夫です。僕も前方不注意だったんで気にしないで下さい」 サリタの言葉に男はほっと息を吐いた。足元に視線を移すと散らばった荷物を見て屈んで拾いだす。 「すみません。荷物こんなにしてしまって…割れ物とかありませんでしたか?」 「えぇ、大丈夫…って!あわわっ!自分で拾いますからっ!膝が汚れますよ?」 慌ててサリタも荷物を拾い、紙袋に入れ直した。 「別に汚れたってかまいませんよ。これを一人で拾うのは大変でしょう?私にも手伝わせてください」 躊躇う事なく地面に膝をつき、男はやんわりと微笑んだ。そんな顔をされては無碍に断る事もできない。 「ありがとうございます」 サリタがお礼を言ったその時だった。 ―ダダダダダ…― 複数の人間が走ってこちらへ向かってきているような足音が聞こえてきた。 男がそれに気付いて弾かれたように顔を上げる。 足音の聞こえてくる方向へ先程の優しい微笑みからは想像もつかないような険しい顔で視線を向ける。 その表情から、男が何者かに追われている事をサリタは察した。 男の腕を強く引き、自分の後ろの人ひとりがやっと入り込めるようなスペースに男を押し込んで隠した。 「な…」 何かを問おうと口を開きかけた男に、サリタは人差し指を唇に押し当てた。『静かに』という事だ。 ―どかどかどか…― やかましいという表現が一番当てはまるような大きな足音を響かせて、 男を追ってきたらしい数人のニューマンがサリタの方へ走ってきた。 散らばった荷物を、さも『今誰かにぶつかられて落としました』とでもいうようにサリタは黙々と拾い集めている。 「おい、お前!」 初対面にして、エラソーな態度でニューマンのうちの一人がサリタに声をかけた。 サリタは怠そうに視線を向けて立ち上がり、営業スマイル爽やかさ三割り増しで答えた。はっきり言って恐い。 「はい、何でございましょう?」 にっこり微笑むサリタの顔全面に『迷惑』の文字が見えそうだ。 しかし、ニューマン達は別段気にもとめずに、ポケットから写真を取り出して、またエラソーな態度で聞いてきた。 「…この男が此処を通らなかったか?」 見せられた写真に写っていたのは、サリタとぶつかったあの男だった…。 「いえ、知りませんね。こんなに目立つ人なら一度見たら忘れないでしょうし… あぁ、もしかしたら今ぶつかった人かなぁ。謝りもしないで走っていってしまいましたよ。 まったくひどいですよね」 サリタは肩をすくめてみせた。実際、ぶつかった男は自分の後ろに隠しているのだが。 ニューマン達はサリタの足元に散らばっている荷物を見てサリタの話を信じたらしい。 ニューマン達が何故男を追っているのかサリタは興味がわいた。それとなしに聞いてみる。 「ところでその写真の人って誰ですか?もしかして芸能人とか…まさか指名手配犯じゃありませんよね?」 「お前には関係ない。おい、行くぞ」 帰ってきた言葉はあっけないものだった。 ニューマン達はサリタにこれ以上何かを聞かれるのを避けるかのようにそそくさとその場を離れて行く。 ニューマン達の姿が完全に路地の向こうへ消えたのを確認して、サリタは後ろに声をかけた。 「もう出てきて大丈夫ですよ」 狭い場所から男は窮屈そうに顔を出した。路地へと出てくると、男はサリタを不思議な顔をして見つめる。 「助けてくれてありがとう…でも何故?」 男の疑問はもっともだった。サリタと男は初対面だし、助ける理由なんて何もないように思える。 しかしサリタは男を隠し、追ってきたニューマン達に嘘を教えたのだ。男が疑問に思うのも無理はない。 サリタはなぞなぞの答えが解らない相手を見つめるように楽しそうに笑ってその答えを教えてやった。 「貴方があんまり悪い人には見えなかったんです。 悪いことをして追われているならぶつかった相手に手をさしのべたり、自分の物ではない荷物を 拾うの手伝ったりはしないでしょう? それに…此処は宇宙ですから昼も夜も無いようなものですけど、白昼堂々顔も隠さず逃げる悪党なんて そうそう居はしない。 あのニューマン達が持っていた写真を見ても整形や変装をしている形跡すらありませんでしたから…」 確かに悪者にしては人が良すぎる行動だ。 「それに、貴方が悪い人なら、僕もハンターズのはしくれですから、 たとえ貴方が僕を殺そうと襲い掛かってきても捕まえるまでの時間稼ぎ位は出来ます。 後は誰かに捕まえてもらって保安局へ突き出せば良いだけの話です。 でも、貴方からは殺気すら感じませんしね…むしろ、殺気があったのはあのニューマン達です。 人に物を聞く態度としては最低」 サリタはにっと笑ってまだ散乱している荷物を拾い集めて紙袋に詰め直した。 男はしばらくぽかんと口を開けていたが、ほっと息を吐いてサリタに微笑みかけた。 「大した状況分析ですね。でも、おかげで助かりました。 確かに私は顔を隠して逃げなければいけないような事は何一つしていません。 ぶつかった事は本当に悪いと思いましたし、私のせいで荷物もこんなふうになってしまいましたしね… 本当にすみません」 男は礼儀正しく頭を下げた。 「いえ、ぶつかったのは僕も同じですから…でも、めずらしいですよね… 追われているのにぶつかった相手の心配する人僕初めて見ましたよ」 サリタは吹き出した。男もその時の状況を思い出してくすくす笑い出す。 「た…確かにおかしいかもしれませんね」 二人で顔を見合わせて気が済むまで笑う。やっとの事で笑いを治めてサリタは男を見つめて言った。 「僕、サリタって言います。この道の先にある『ラプンツェル』ってお店でコックをしてるんです。 此処で立ち話もなんですしよろしければ店に来ませんか?匿う事位はできると思いますよ」 突然言われた言葉に男は当然驚く。 「ご迷惑になりませんか?」 サリタは首を振る。 「困った時はお互い様ですよえっと…」 サリタの顔を見て男は慌てて自己紹介をした。 「私はYukikaze(雪風)と申します…せっかくですし、お邪魔させて頂こうかな…お礼もしてませんしね」 サリタと雪風は人もまばらな路地を並んで歩いた。 歩きながら雪風は、サリタの顔をじっと見つめている。それに気付いたサリタが訝しげな顔で雪風に聞いた。 「僕の顔に何か付いてます?」 「あ、いや…失礼。顔色が良くないので具合でも悪いのかと…」 雪風に言われてサリタは今朝イザベラにも同じ事を言われたのを思い出した。 特に具合が悪い訳ではないのだが、やはり寝不足の所為だろうか…。 「そんなに体調が悪い訳ではないのですが、昨日夢見が悪くて良く眠れなかったんです…ただの寝不足ですよきっと」 サリタは心配されているのを感じて申し訳なさそうに笑った。 雪風はサリタの前に立ち止まって向かい合い、ポケットから透明な容器に入った白い粒を一つサリタの手の平に置いた。 「疲労が顔に出ているね…これを飲むと良いよ」 この白い粒はどうやら薬らしい。 「ありがとうございます」 サリタは言われた通りに薬を口に放りこんだ…が。 「苦っ!」 とたんに顔をしかめる。サリタは末期的な薬嫌いだった。なんとか飲み込みはしたが、苦みは中々消えない。 「私が調合したものの中でも比較的飲みやすい物なのですが…まぁ、良薬口に苦しと言いますしね。はい、口開けて」 また言われた通り口を開けると、雪風は赤い粒をサリタの口に入れてやった。 甘酸っぱい香りと味が薬の苦みを消していく。 「美味しい。…ドライフルーツ?」 「えぇ、それも私が作った物です。ちゃんとお薬が飲めたよい子にご褒美」 サリタの頬を指でつついて雪風は笑った。 子供扱いされてサリタはちょっと困ったように眉を寄せた。そんなに子供じゃないのになぁ…。 「ゆ…雪風さんは薬師なのですか?」 これ以上子供扱いされるのはちょっと不本意なサリタは慌てて切り出した。 「いえ、元は植物の香りを調合して香水やアロマオイルを作る調香師でした。 植物の効能や保存法を調べているうちに薬等も作るようになっただけです。 もちろんそれらは私の店で販売していますよ『春霞堂(しゅんかどう)』という店なのですが…」 その名前はサリタも知っていた。つい最近パイオニア新聞でその店が大々的に取り上げられていたからだ。 そういえば、その店に居る若き店主の名は『雪風』という名だった…彼がそうなのだろうか。だとしたら… 「もしかして、さっきのニューマン達が雪風さんを追っていたのはそのお店絡みとかですか? 雪風さんの植物に関する知識を妬んでとか…」 雪風は首を振った。少し俯き、目を伏せる。追われた原因をあまり思い出したくないようだ。 雪風は暫く黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。 「逃げ出してきたんです…とある研究所から…」 雪風の顔が曇る。きっとその研究所で相当非道い目にあったのだろう。 「どんな研究所なんですか?雪風さんが逃げなければいけないような研究って一体…」 サリタは何だかとても嫌な予感がした。ここから先は聞くのが少し恐いような気がする。 言葉を選びながら雪風は逃げ出してきた経緯を話しだした。 「研究の内容は解りません。解るのはその研究所の所員が全員ニューマンだということ。 私は実験体として捕らえられたということ、捕らえられて実験体にされているのが全員人間のフォースであること…。 その人体実験は非人道的で残虐であるということしか私には解りません。 …早急に政府に対応して頂かないときっと大変な事になる。 だから牢の鍵を壊して逃げました…こんなに早く追っ手がかかったのは計算外でしたが…」 さっきのニューマン達もその研究所の所員なのだろうか… 「何にせよ、追っ手の人数がどれだけ居るか把握できないでしょうから、今は身を潜めた方が良さそうですね。 店で少しおちついたら雪風さんの代わりに僕が政府に申し立てに行きますよ。 あ、着きましたよ。ここがラプンツェルです」 サリタは目の前の建物を指差した。裏口から店へと入る。 先ずはイザベラに先刻の事を相談した方が良いだろう… だが、中に入った瞬間、イザベラが泣きそうな顔で駆け寄ってきた。 「さ、サリタぁ!助けてぇ(汗)」 イザベラはサリタを突き飛ばす勢いで突進する。 「うわっ!どうしたんですか?イザベラ」 「み…店が大変なの。お客さんが朝の倍来てて、さばききれないよぉ!料理のストックもなくなっちゃう!」 「え゛!?」 サリタはホールへ視線を移した。日乃菜とチビがバタバタとトレーを抱えて移動している。 がやがや話す声は確かに朝の倍だ。 「うそだろ…?」 サリタは何だか目眩がした。 「足りない物は?」 買ってきた材料を調理台に置き、サリタはエプロンを締め直した。 イザベラの様子からしてかなりヤバイ状態のようだ。 「スープが残り少ないわ。メイン系はまだ何とかなりそうなんだけど…デザートがもう殆ど無いの。 プロフィットロール、ガトーフレーズ、フルーツトライフル、ミルフィーユ、苺ショートが足りなくなりそう」 「足りない物の方が多いじゃないですかっ!」 サリタは頭を抱えた。とにかく急いで準備をしないと間に合わない。 「雪風さん、すみません。なるべく急いで作りますからその辺座ってて下さい」 言うなりサリタばバタバタと厨房を動き回りはじめる。 雪風はしばらくあっけにとられていたが、傍にあった椅子を引き寄せて邪魔にならない場所に腰を下ろした。 …何だか落ち着かない。 「あ…あのっ」 出来上がった料理を運ぼうとしているイザベラを雪風は呼び止めた。 「何か手伝いましょうか?」 どうみても、四人で回すには、客が多すぎる。料理の手伝いは出来ないかもしれないが、接客位は出来るだろう…。 雪風に言われてイザベラは少し悩んだ。初対面の人に手伝わせるのはやっぱり気が引ける。 しかし、店は猫の手も借りたい状況だ。イザベラは好意を有り難く受けることにした。 「じゃあ、悪いけどホール手伝ってもらえるかしら?貴方お名前は?接客経験はあるかしら?」 「名前は雪風。接客は自分も店を持っているので大丈夫だと思います」 それを聞いて安心したのか、イザベラは持っていたケーキと紅茶の乗ったトレーを雪風に渡した。 「じゃあ、雪風さん。これを3番テーブル…ほら、あの窓際に座ってる女の子二人の所へ運んであげて頂戴」 イザベラが指差す方に、二人の少女が楽しそうに喋りながら座っていた。 雪風はトレーを受け取って、少女達の元へ注文の品を運んだ。 「お待たせ致しました」 品物を静かにテーブルの上に置いて雪風は微笑んだが、少女二人が自分を穴が空きそうな位見つめている。 「あの…どうかしましたか?」 雪風の訝しげな問い掛けに少女二人はやっと我に返った。顔を赤らめ、雪風から慌てて目をそらす。 「ごっ…ごめんなさい!何でもないです」 「えぇ、何でもないんですぅ/////」 何だか必死な少女達をあっけにとられて見ていたが、特には何もなさそうだ。 雪風は安心してまた笑顔で少女達に話し掛けた 「ご注文の品は以上でお揃いですか?」 「「はい」」 少女二人の見事なハモリの返事に雪風も笑顔で答えて、注文伝票をテーブルの端に置いた。 「それではごゆっくりどうぞ…」 礼儀正しく一礼して厨房へと戻って行く雪風を、少女達は見えなくなるまで見つめた。 「素敵な人ね…」 「…うん」 少女達はため息混じりに呟いた。 「雪風さん、すみません…手伝ってもらっちゃって」 厨房に戻ってきた雪風に、サリタは忙しなくボールに入った生クリームをかき回しながら言った。 「いえ、良いのですよ。私も貴方に助けて頂きましたし…っと」 いきなり雪風の腰あたりに何かがぶつかってきた。 「わっわ!ごめんなさい」 小さな子供…チビがトレーを持って立っていた。帽子がずれて三角の黒い耳が見える。 雪風はチビの耳を見て多少驚きはしたが、笑いかけてそっとその帽子をチビにかぶせ直してやった。 「よそ見して歩くと危ないよ。…可愛い耳だね。ちゃんと隠しておこうね」 「うん、ありがとぉ。…お耳の事は内緒だよ?」 口に人差し指を押し当てて言ってチビはトレーに料理を乗せてまたホールへと戻っていった。 「あぁもう…気をつけろって言ったのに」 サリタは雪風の背中越しに呟いた。 「良い子ですね。ちゃんとお手伝い出来て…あの耳も… きっと沢山の人に可愛がられると思いますけど…世の中良い人ばかりではありませんからね…」 何とも悲しい世の中である。 猫が人間の形になる…確かにとても素晴らしい奇跡かもしれないが研究者にとっては素晴らしい実験体だ。 雪風も、そういった心無い者の手から必死に逃げてきたのだ。 サリタは目を伏せている雪風の肩に手を置いた。 「此処に居れば…大丈夫」 言葉はこれだけで良い。余計な事は言わなくても良いのだ。困っていれば助け合う。これが自然なカタチ…。 雪風は肩に置かれた手にそっと触れた。この暖かな手は絶対自分を裏切らない。 ※※※※※※※ ケーキと紅茶の代金を支払い、二人の少女は上機嫌で店を後にした。 「ケーキ美味しかったねぇ♪」 「うんうん、パイオニア2で甘いものが食べられるなんて幸せ」 ラプンツェルでの一時に少女達はとても満足したようだ。 「あ、そういえばウェイターさんも素敵だったね。私好み♪」 少女の一人が頬を染めてほぅ…と息を吐いた。もう一人の少女も、料理を運んできた青年の顔を思い出す。 「うん、あの青い髪の人でしょ?私も気になってせめて名前教えてもらおうと思って レジに居たお姉さんに聞いてみたんだ、雪風さんっていうんだって。でも、あの人臨時でお手伝いしてるみたいよ?」 「えー…がっかり。じゃあ後日行っても会えないのかなぁ…」 「まぁ、いいじゃない。ケーキ美味しかったし、お店の雰囲気も良かったし」 「そうだね。また行こ♪」 少女達の楽しげな声はシティに響く。 忙しく歩く人々は気にも留めないような会話を少し離れた場所で一人の女が聞いていた。 紅を引いた口の端がにぃ…と持ち上がる… 「見ぃ付けた…」 女は靴音を響かせてラプンツェルのある方角へ歩いて行った。 ※※※※※※※ 「みんなお疲れぇ〜…今日はバーの方はやらないからこれで店閉めるよ〜」 イザベラの言葉に全員ぐったりと力を抜いた。 「雪風さん、ありがとう。助かったわ」 イザベラは冷たい茶の入ったグラスを手渡し、休む間もなく手伝いをしてくれた雪風を労う。 「いいんですよ。忙しかったけど、楽しかったですし」 グラスの中の茶をゆっくり飲みながら、雪風は微笑んだ。サリタもそれを見ながら店の繁盛を心から喜ぶ。 …だが、サリタは気付いていた。招かれざる客が居る事に。 「イザベラ、これ今日の売り上げです。もう帳簿は付けましたからチェックルームに預けてきて下さい」 サリタはイザベラの目の前に売り上げ金の入った袋をドサリと置いた。 「えー!めんどいー!一人で行くのぉ?」 イザベラは不満気な声を上げて袋を睨み付ける。 「日乃菜も一緒に行ってあげて。帰りにこのメモに書いてあるもの買ってきて下さい。明日たぶん足りなくなるから」 「ハイ、サリタサン。ホラ、イザベラ様行キマショウ?」 サリタからメモを受け取って、日乃菜はまだ不満気なイザベラを引きずるようにして二人で店を出た。 「さてと…チビ、おいで」 一生懸命テーブルを拭いていたチビを呼び寄せて、サリタはその手にきっちりと包んだ箱を持たせてやる。 「これ、なぁに?」 両手でしっかり箱を抱えてチビは首をかしげた。 「おやつ。今日沢山頑張ってくれたからご褒美だよ。余った材料で作ったんだ。 これ持って…雪風お兄ちゃんとラグオルに行っておいで」 サリタはチビの目線で優しく言った。 「でもぉ…夜にラグオルに降りたら駄目ってイザベラお姉ちゃんが行ってたよ?」 チビは不安そうに上目遣いでサリタを見つめた。 「大丈夫。雪風さんがついているし、それに…」 サリタの目が悲しげに曇る。 「きっと今日は…月が綺麗だから…お月見しておいで」 サリタの表情が変わったのを、雪風は見逃さなかった。 「…サリタ君?」 何かを問い掛けようとした雪風を遮るようにサリタはにこやかに笑って二人の背を押した。 「ほらっ!店の片付けは僕に任せて行っておいで」 チビは嬉しそうに頷いて雪風の袖を引っ張って急かした。 「わぁい♪雪風お兄ちゃん、早く行こうよ〜」 チビにぐいぐいひっぱられながら雪風は振り向いた。明らかに様子がおかしい。 「サリタく…」 ―パタン…― 雪風の声は扉が閉まる音に遮られた。 後ろ手で扉に鍵を掛け、今は静まりかえっているホールに向かってサリタは低い声を上げた。 「お客さま、もう閉店なんですけどね…」 サリタの声がホールに響く。 柱の陰、サリタの死角になる場所に、それは居た。ゆっくりと立ち上がり、サリタの前に姿を現す。 「ずいぶん冷たい言い様ね…コックさん。説明しなくても解ると思うけど…あの男、雪風をどこへやったのかしら?」 それはサリタよりも年上のFOnewearlだった。 靴音を響かせ、サリタの元へ歩み寄りながら女は雪風の居場所を聞いてくる。 「さぁ…御覧になっていた通り、うちの子と出掛けましたよ。何処へ行くかは彼ら次第でしょうね。 もっとも知っていたとしても教える気はありません」 サリタは冷淡に返事をして女を睨んだ。だが女は怯まない。 「隠しても何にもならないわよ。言わないなら貴方に痛い思いをしてもらって無理矢理吐かせるしかないけど?」 「隠さず言っても何も得にはならないでしょう?痛い思いはしたくないので必死に抵抗しますけど。 …ここから先は通しません。女性だからって手は抜きませんよ。守る者の為なら僕はいくらでも非情になれます」 サリタは傍にあるテーブルからナイフを数本取って構えた。 目の前の女が右手を高く上げた瞬間、柱の後ろやテーブルの陰に隠れていた仲間がぞろぞろ出てくる。 全員ニューマンだ。 「何処まで一人で頑張っていられるかしらね?コックさん」 「これは…たしかにキツイかもしれませんね」 サリタ一人に対して相手はざっと数えて十人は居る。だが、サリタは特に怯む様子も無く女を見据えた。 「最近運動不足だったんで…丁度良い」 薄暗いホールでサリタの持つナイフが不気味に光った。 女の合図に合わせてニューマン達は一斉にサリタに飛びかかった。傍にあった椅子とテーブルを足場に、サリタは高く跳ぶ。 「破っ!」 ―どがしゃっ!― 空中からのサリタの蹴が二人のニューマンの顔に命中した。 派手な音を立てて椅子とテーブルが倒れ、蹴られたニューマンが動かなくなる。 「あぁっ!店が…ちゃんと弁償してくださいね」 自分でやっておきながらそんな事を言うサリタにニューマン達は逆上した。 完全におちょくられている。店は大乱闘場と化した。食器が割れ、椅子やテーブルがあちこちで壊れる。 一人のニューマンが乱闘の最中、ドアへと走りだした。サリタの注意を逸らし雪風を追う為だ。 「行かせるかっ!」 サリタは持っていたナイフをニューマンの影に投げた。 ―ビィンッ…!― 影を突き抜けて床に刺さったナイフは、ニューマンの影を縫い止めた。 「あの男…もしかして」 女は誰にも聞こえない程の声で呟いた。 影を縫い止められたニューマンはまるで人形のようにその場でぴくりとも動かなくなる。 サリタは残ったニューマン達と交戦していた。 女は一人にやりと笑い、銃のような物をサリタに向けてトリガーを引いた。 ―パスッ!― 銃声と呼ぶにはふさわしくない軽い音をたててサリタの胸にそれが命中した。 「…なっ…」 サリタの意志に逆らうように瞳が輝きを失って閉じられる。 身体の力が完全に抜けてサリタはその場でがくりと膝を折り倒れた。 「リアンさん何を!俺等の獲物にしていいって言ったじゃないですか」 「麻酔銃なんて…いきなりズルイっすよ」 ニューマン達が不平を漏らす。それを手で制してリアンと呼ばれた女はサリタにゆっくりと近付いた。 倒れているサリタを上から見下ろしてリアンは楽しげに笑った。 「思わぬ所で良い手土産ができたわ…誰か彼を運んで頂戴」 「ど、どういう事ですか?この男が何か…?」 ニューマン達の内の一人がサリタを指差して訝しげな顔をする。 リアンは倒れているサリタの傍にしゃがんで、その頬にまるで宝物でも扱うように指先で触れて笑った。 「この子は魔法使いよ。間違いなくね。研究所へ連れて帰るわ」 リアンは立ち上がって出口へ向かった。リアンの背中に一人のニューマンが躊躇いがちに声をかける。 「雪風はどうなさいますか?」 リアンは立ち止まって考えた。目の前の思いがけない研究材料に気をとられて当初の目的を忘れていたのだ。 「こちらが探さなくてもたぶん戻ってくると思うけど一応探してくれる?見付けたら捕獲して研究所へ連れてきて」 リアンはサリタを抱えるニューマン数人を引きつれてラプンツェルを後にした。 →NEXT *ノーチェのホスト「サリタ」こと「氷月 炯魔(ひつき けいま)」が発行するメルマガで 配信された小説です。 現在も「VACATION」を配信中。 購読したい方は「00272861s@merumo.ne.jp」へ空メールを送り、登録して下さい。 なお、バックナンバーリストは「bn.1@hope-ship.b.to」まで空メールを送ってください。 |