[Lime Light Memory II]



        「楽しかったね。おにいちゃん」

        雪風と手を繋いでチビは満足気に微笑んだ。
        夜の森は敵も少なく、セントラルドーム前は月見をするには最適だった。
        甘いお菓子に輝く月、初めて夜のラグオルに降りたチビは大はしゃぎだ。
        だが、チビの手を引く雪風の表情は硬い。さっきからずっとこの調子だ。

        「お兄ちゃん、どうしたの?つまんないの?」

        チビは下から雪風の顔を覗き込んだ。それに気付いた雪風が慌てて笑顔を作る。

        「あ、違うんだよ。ごめんね…心配させてしまったかな?」

        頭を優しく撫でてやると、くすぐったそうにチビはくすくす笑った。
        服の裾から覗く尻尾が嬉しげに揺れる。雪風はチビをこれ以上心配させないようにちょっと思った事を口にした。

        「最初はサリタ君に良く似ているから弟かと思ったけど、その可愛い耳と尻尾を見るとどうやら違うみたいだね。
        どうしてそんな姿になったんだい?」

        「えっと…あのね、ボク捨て猫だったの。箱に入れられてたんだよ。
        それを見付けたお兄ちゃんがボクを拾ってくれたんだ。
        …それでね、ボクもお兄ちゃんみたいな人間になりたいって思ったの。
        耳と尻尾はそのまま残っちゃったけど、みんなボクを人間だよって言ってくれるんだ」

        チビは嬉しそうに笑った。サリタ達に愛され、大切に育てられているのだろう…。
        チビもまた、サリタ達の為にハンターズになったのだろうか…チビの着ている服は雪風と同じフォーマーのものだ。

        「そういえば、チビ君もフォーマーなのですね。そういえばサリタ君もハンターズだと言っていたような…」

        「うん、そうだよ。雪風お兄ちゃんもふぉーまーでしょ?服見てすぐに解ったよ。
        ボク、サリタお兄ちゃんと同じふぉーまーになりたくて頑張ったんだ。
        最初は恐かったけどお兄ちゃんの『自分や大切な人の為に戦う』って言葉でボクも頑張るって決めたの」

        チビの言葉に、雪風は青ざめた。

        「サリタ君はフォーマーなのですか!?」

        突然大きな声で問われたのでチビは驚いた。雪風は必死の顔でチビの肩を少し強く掴んで答えを急く。

        「う、うん…サリタお兄ちゃんはフォーマーだよ。どうしたの?お兄ちゃん。お顔が真っ青だよ?」

        うかつだった。
        サリタがハンターズであることは解っていたが、職種までは聞いていなかったし、
        服装もハンターズの服ではなかったから解らなかった。
        自分が逃げてきた研究所は人間のフォースを欲している。それはサリタにも話したはずだ。
        先程のサリタの態度が雪風の脳裏を掠める。
        雪風、チビ、日乃菜、イザベラ…自分以外全ての人を遠ざけるような感じだった。
        『大切な人の為に戦う』もしその言葉通り危険から皆を守る為とった行動だとしたら…。

        「まさかっ…!」

        雪風はチビの手を引いて走りだした。



        ※※※※※※

        「な…何これぇ…」

        サリタからの頼まれ事を済ませて店へ戻ってきたイザベラと日乃菜は店の惨状を見て目を疑った。
        あちこちで物が壊れ、めちゃくちゃにされている。

        「サリタ!チビ!…雪風さん!居るの?」

        声を張り上げて名前を呼ぶが、しんと静まりかえったホールからは誰の返事も返ってこない。

        「ゴ、強盗デスカ?皆ドコヘ…」

        日乃菜は店内を見渡した。足の下で割れた食器がパキリと音をたてる…

        「解らないわ…誰がこんな非道い事を…」

        イザベラは床に膝をつき、両手に顔を埋めた。

        「イザベラさん!日乃菜さん!」

        突然ドアが勢いよく開き、雪風がチビの手を引いて駆け込んできた。
        イザベラは弾かれたように顔を上げて日乃菜と一緒に二人に駆け寄る。

        「チビ!雪風さん!あぁ…無事だったのね。サリタは?あの子は一緒じゃないの?」

        イザベラ今にも泣きだしそうな顔だ。

        「いえ、私とチビ君はサリタ君に言われてラグオルの森に行っていたんです。
        その時から彼の様子が少しおかしくて…気になっていたのですが…遅かったか…」

        「どういう…事?」

        雪風は店の状態を見て状況を察した。
        事情が解らないイザベラは、頭を押さえながら雪風に問う。
        雪風はホールへ数歩進んで、床に落ちていた小さな紙のようなものを拾い上げて眉間に深い皺を刻んだ。

        「…私がサリタ君を…この店を巻き込んでしまったようです」

        雪風が拾い上げたのは写真だった。
        写っているのは雪風自身…研究所を逃げ出した雪風を追ってきた所員が持っていた物だろう…。

        「貴方ハ一体何者ナノデスカ?…何ガアッタノデスカ?…ソノ、サリタサントハドウイウ…」

        日乃菜は雪風の背中に語りかけた。
        聞きたい事が山ほどあるのは日乃菜だけではなく、イザベラもだ。
        店の状態とサリタが居ない事でチビもただ事ではないことを感じ取って雪風にしがみついて泣きだした。

        「私はとある研究所から逃げ出してきたところをサリタ君に助けられたんです…。
        その研究内容は私にもよく解りませんが、実験体にされているのが皆、人間のフォース。
        そう、私やサリタ君のようなフォーマー、それにフォマール達です。研究者は私が見たところ全員ニューマン。
        場所はガルダバル島…船上研究所といったところでしょうか…まだ海域は調査が進んでいませんからね…
        大っぴらに出来ない研究なのでしょう」

        そこまで言って雪風は目を伏せた。全員無言になり、重い沈黙が流れる。
        堪え切れずに口を開いたのはイザベラだった…。

        「サリタも実験体として連れていかれたのかしら…?」

        「おそらくは…」

        雪風は否定できなかった。自分が受けてきた数々の非人道的な実験…気が狂うようなフォース達の悲鳴。
        それをサリタが受ける事になるかもしれないのだ。…自分を救う為に。

        「雪風さん…その研究所まで案内してくれるかしら?あの馬鹿…連れ戻しに行くから」

        イザベラの声は震えていた。雪風はただ黙って頷く。
        それを確認してイザベラは二階へ上がり、ハンターズの服に着替えた。
        ホールへ戻ると日乃菜が自分とイザベラの武器を用意している。

        「イザベラ様…ドウゾ…」

        手渡された武器を受け取り、日乃菜と雪風に目配せして店を出ようとした時だった…

        「ボクも行く!連れていって!」

        イザベラの服を掴んでチビが叫んだ。だが、イザベラは首を振ってその申し出を拒否する。

        「だめよ」

        「どぉしてぇ…ボクも…ボクも戦えるよ」

        切ない声でしゃくり上げながらチビは泣きだした。
        自分一人、ラプンツェルに残されるのが不安でたまらないのと、サリタに早く無事に帰ってきて欲しいという想い…
        小さな子供の心はもう一杯だった。

        「チビ…」

        イザベラはしゃがみ、泣きじゃくるチビの頭を抱えるように抱き締めてその耳元に優しく語りかけた。

        「チビには一番大切な仕事があるの…私達が帰ってきたら『お帰り』って言うお仕事よ。
        それと、私達が帰るまでチビがお店を守るの…できる?」

        チビの頬を両手で包み込んで、優しい瞳でイザベラはチビを見つめた。
        それは、チビを悲しませる事はしないという約束…それをチビは感じ取って小さくこくんと頷いた。

        「うん…わかった…ボク待ってるよ。だから…だから早く帰ってきてね」

        チビはイザベラの背に小さな手をまわして抱きついた。泣くのを堪えているのか、顔をイザベラの肩に埋める。
        しばらくそうしていたが、やがて体を離し、精一杯の微笑みでチビは三人を見送った。

        「いってらっしゃい…気をつけてね」

        「うん、良い子にしててね。誰か来ても絶対ドアを開けてはだめよ」

        三人は夜のラグオルへと向かった。



        ※※※※※※

        見慣れない部屋でサリタは目を覚ました。頭が鈍く痛む。
        少し寒く感じるのは自分が上半身に服を身につけていないからだろう…
        露にされた上半身の至る所に太さも色も様々な配線のようなものが取り付けられ、
        それはサリタの目の前にある黒い大きな機械へと続いている。
        背中を壁に預けるような格好でサリタは座らされていた。

        ―ガシャッ!―

        立ち上がろうとしたサリタの頭上で金属音がした。
        痛む頭をゆっくり上に向けるとそこにはサリタの両手首をがっちりと拘束している無骨な枷があった。
        忌々し気に枷を睨み付け、何度か外そうと試みたが、それはガチャガチャと不快な金属音を発しただけだった。
        諦めてため息をつき、サリタは体の力を抜いた。

        「…雪風さんは無事かな」

        誰も居ない部屋で小さく呟く。此処が何処なのかがサリタには解っていた。雪風が逃げてきた研究所だ…。

        「…〜……」

        遠くから話し声と足音が近付いてきた。
        サリタが居る部屋のドアが開き、中に二人のニューマンが入ってきた。
        一人はサリタがラプンツェルで見たフォニュエール…リアン。もう一人は灰色の髪のフォニュームだ。
        サリタの姿を確認するとフォニュームは早足で近付いてサリタを見下ろした。

        「へぇ…もう覚醒してるんだ…驚いたな。俺はナズ。この研究所の所長だよ。まぁ…仲良くしてやってくれ」

        フォニュームのナズは喉の奥を鳴らすように笑った。サリタは嫌悪の眼差しをナズに向ける。
        この男が雪風や他のフォース達を苦しめているのだ。

        「…たいそうなご趣味ですね」

        皮肉たっぷりにサリタは吐き捨てた。
        自分をこんな風に拘束して…人を人として扱わないような奴に愛想を振りまこうとは思わない。
        だがナズはそんなサリタの態度すら楽しむようにまた喉の奥でククっと笑った。

        「威勢が良いね。普通怯えるもんだけど、そんな悪態つくなんてさ…あの男…雪風に何か聞いたみたいだな」

        「連れてきたフォース達に貴方は何をしたんだ!何の為にこんな事をする!?」

        雪風の名を聞いてサリタは声を荒げた。
        この研究所の事を話していた時の雪風の顔を思い出す。
        きっと今の自分と同じように拘束され、非人道的な扱いを受けて来たのだろう…。
        ナズはサリタに近付き、顎を掴んで持ち上げた。吐息がかかる程顔を近付けてナズは囁く。

        「俺の研究は君達人間の為にもなる事なんだよ?古代魔法使いのサリタ君…」

        サリタの顔色が変わった。唇が震え、言葉が上手く出てこない。

        「…どうしてそれを…」

        青い顔でサリタはやっとそれだけ言った。
        それは、誰も知らないサリタの本当の姿…イザベラにも日乃菜にも…誰にも話していない事実だった。

        「政府のコンピューターから君の個人データをちょっと失敬しただけだよ」

        ナズは悪怯れもせずに答えた。
        サリタの反応を見て楽しそうに笑って立ち上がり、サリタの目の前の黒い機械に腕を組んで寄り掛かった。

        「君に会えて嬉しいよ。君は我らニューマンに希望をもたらす存在だからね…」

        「どういう事だ?」

        サリタの眉がぴくりと跳ね上がった。どうせロクでもない理由だろう。
        ナズから見ればサリタはただの実験体でしかない。現にナズはサリタを見下す視線で話している。

        「言葉のままの意味だよ。我らニューマンは君達人間が作り出した最高の生命体…
        まぁ、君達に比べて寿命が不定で短いのが難点だけどね…その辺はあと数年後には改善されるだろうけど…」

        「…何が言いたい」

        無駄な話しの多いナズにサリタはイライラと問い掛けた。

        「俺達ニューマンが人間よりも優れている事…それは精神力だ。俺が研究しているのはテクニックに関する事だよ。
        …なぁ、何で今俺達フォースが扱えるテクニックのレベルが30までか解るか?」

        謎かけでもするかのようにナズはサリタに聞いた。サリタは何だか嫌な予感を感じてごくりと唾を飲む…。
        サリタが答える前にナズが声を上げた。

        「それ以上のレベルには人間が耐えられないからさ…人間よりも優れた精神力を持つニューマンが
        人間によって足をひっぱられているという事だよ。
        それさえなければこの星の生物なんざすぐに滅ぼしてやれるのにさ…だから俺はテクニックの研究を始めた。
        我々ニューマンがこの星をより良い星になるように導いてやるのさ…!」

        ナズの目は狂気に満ちている…それはまるで何かに取り憑かれてでもいるかのように不気味な輝きを放っていた。

        「俺は研究に没頭したよ…そして文献を調べて知ったんだ。
        人間の中にはテクニックとは比べものにならない力を持つ者が居ると…君の様な魔法使いがね。
        俺はその力が欲しい…それを利用できれば我々は素晴らしい力を手にいれられる」

        サリタはぞくりとした。背中を冷たい汗が流れるのが自分にも解る。

        「そうやって貴方は人間を実験体に非人道的な事を繰り返しているのか!」

        怒りが込み上げてくる。そんな事の為に何人もの人間が犠牲になったのだろう…。

        「研究に犠牲は付き物だよ。それに君達の為にもなるんだから協力するべきだと思うけど?
        君だって力が欲しいだろう?」

        当たり前の事のようにナズは言った。力を得る為ならば誰が苦しんでも仕方がないとでも言うように。

        「力は傷つける為の物じゃない!守る為の物だ。己を鍛えて自分で得るのが本当の強さだ!
        人を利用して得る力なんて僕はいらない!」

        サリタはキッパリとナズに言い放った。

        「はははっ!そう言っていられるのも今の内だと思うよ。君にはこれから俺の研究に付き合ってもらう。
        俺の凄さを見せてやるよ」

        ナズは突然笑い出し、黒い機械の前に居るリアンに目で合図を送った。

        「少々話が過ぎたようだな…そろそろ始めようか」

        リアンは機械の電源を入れ、スイッチを押した。

        「あ…うぁっ…うぁぁぁぁあああっ!」

        サリタは悲鳴を上げた。
        まるで身体の内側から脳内を掻き乱されるような激痛…知られたくない記憶の扉を
        無理矢理抉じ開けられる感覚にサリタはもがき苦しむ…。

        「これは人間の記憶から知識量や精神構造を調べられる。魔法使いの脳内は俺も興味があるからね…
        どんな結果がでるやら」

        悲痛に叫ぶサリタと、機械が映し出すデータをナズは交互に見た。
        結果が出るのが待ち遠しいのか機械とサリタの間を落ち着きなくうろうろする。
        気が狂うような激痛の中、サリタは天井を見上げた。天窓から明るい月の光が射している。

        痛みの中、サリタは声を聞いた。遠い記憶の中、白い木蓮の花びらが舞っている。夜色の髪の女がそこに居る…。

        『お前と一緒には行けない…』

        頭に響く女の声…掻き消すようにサリタは悲痛な声を上げる。何故そんな事を言うのか…。
        そう、あの日もこんな夜だった…月が輝く夜、悲しくなるような優しい光…
        『もうやめてくれ』そう思い始めた時、サリタは痛みから解放された。リアンが機械のスイッチを切ったのだ。
        ナズがサリタに近付き、両手首を拘束している枷を外すと、サリタの身体は力なくドサリと床に倒れた。

        「へぇ、あれだけやってもまだ意識があるのか…この先の研究が楽しみだよ。
        リアン、彼を部屋に連れていってくれないか?俺は今出たデータを見るからさ」

        サリタは倒れたままナズを虚ろな目で睨んだ。ぜいぜいと苦しい呼吸が漏れ、叫びすぎで切れた喉から血を吐き出す。
        リアンは所内で手のあいている所員を数人呼び出し、倒れたままのサリタを運ばせた。



        ※※※※※※

        細い廊下を引きずられるようにサリタは連れて行かれた。
        途中、いくつかの扉を通りすぎたが、その中からは人の悲鳴や泣き声が聞こえてくる…数分も居たら発狂しそうな程
        それは非道いものだった…。

        「入れ」

        重い鉄の扉を開き、男達は部屋の中にサリタを突き飛ばした。そのまま冷たい床にサリタは倒れる。
        男達はすぐに扉を閉め、鍵をかけた。

        「…っ」

        気怠い身体を何とか起し、サリタは部屋を見渡した。
        冷たい金属の床と壁、照明は無く、鉄格子のはまった小さな小窓から頼りない月明かりが射し込むだけの
        人を監禁する為だけにあるような部屋だった。
        壁際まで這うように移動してサリタは冷たい壁に背を預けた。
        何もかもが冷たい部屋自分の味方なんて誰も居ない…。

        ―ガチャ…―

        男達が出ていって数分後、また鍵が開く音が響いた。

        それは新緑色の髪の女だった。
        リアンと同じニューマンだが、フォニュエールのリアンと違い、鍛えられた体格をしている。
        おそらくはハニュエールだろう。両手で粗末な作りのトレーを持っている。
        歩み寄ろうとした女をサリタは睨み付けた。闇色の瞳から押さえきれない怒りが感じられる。

        「僕に近寄るな…」

        低くそう言ってサリタは女を拒んだ。あんな事をされて今更ニューマンを信用するなんて出来ない。
        サリタの闇色の瞳は射殺すように女を睨んだままだ。女は構わずサリタの前に屈んで持っていたトレーを床に置いた。

        「食事と薬を持ってきた。少しでも食べないと保たないぞ」

        女は自分を無言で睨みつけたまま動こうとしないサリタに食器を持たせようとしたが、
        その手を振り払われて困ったように顔をしかめた。

        「頼むから食べてくれ…毒なんて入ってない」

        女はため息混じりに言い、またサリタに食器を持たせようと手をとった。

        「…触るな」

        拒絶の言葉を発してサリタはまた女の手を払い除けた。
        女はサリタに食器を持たせる事を諦めてスプーンを持つと、自分でスープを掬い、口に含んだ。

        「ほら…毒なんて入っていないから。ちゃんと食べて薬を飲め」

        サリタは女を睨みながら楽しそうには見えない笑みを作った。
        誰も信じないと強く拒否する瞳が哀しげに揺れている。

        「毒なんて入っていないでしょうね。僕は貴方達にとって大事な実験体でしょうから…その薬だって、
        実験をするのに必要な薬なんでしょうしね…」

        「…違う」

        疑うサリタの言葉を女は間髪入れずに否定した。
        首を振り、少し目を伏せてからサリタを真っすぐ見据え、女は真剣な顔で言った。

        「私はお前を助けたい…今その身体ではまともに走る事も出来ないだろう?信じてくれ。私はお前の味方だ」

        サリタは耳を疑った。女が言った言葉を頭の中で繰り返す。
        『助けたい?…僕を?』混乱するサリタを見ながら女はさらに言葉を続けた。

        「このまま此処にいたら殺されてしまう。早く食べて薬を…この薬は痛み止めと精神安定剤だから…」

        「ちょっと待って…どういう事ですか?ちゃんと説明して下さい…」

        必死にサリタを説得しようとする女を今度はサリタが止めた。
        どうしてニューマンの彼女が自分を助けたいと言うのかサリタには解らない。

        「貴方は此処の所員ではないのですか?」

        恐る恐る聞くと女は頷いた。言葉を探しながら自分が此処に来た経緯を語りだす。

        「…私の弟が捕えられているんだ。私は弟を助けに来て奴らに捕まった。
        弟を殺されたくなければ研究に協力しろと脅されて…此処で実験体にされている人達の世話をさせられている」

        女は眉間に深い皺を刻んで俯いた。

        「貴方の弟という事はニューマンですよね?何故捕らえられているのですか?」

        ふと思った疑問をサリタは投げ掛けた。この研究施設に捕らえられているのは人間だけではないのだろうか…

        「いや、弟は人間だ。私は弟の母の遺伝子を元に作られたニューマンでね…血の繋がりという訳ではないが
        姉弟ということになるんだ」

        女の説明にサリタは納得した。表情からして嘘をついているようには見えない。

        「…弟さんはこの研究所の何処にいるか解らないのですか?」

        女は俯き小さく頷いた。
        助けようにも場所が解らなければいくら所内を自由に歩き回れても迂闊な事は出来ない。
        下手に動けば疑われて殺されるかもしれないのだ。
        たとえ逃げても雪風のように追われる事になるだろう。

        「脱出ルートだけは確保してあるのだがな…だからお前を逃がす事が出来るんだ…
        一人助ける前に鍵を壊して逃げた者もいるが捕まってないといいな」

        女は天井を見上げて深く溜め息をついた。

        「雪風さんを御存じなのですか?」

        「あぁ、青い髪のフォーマーだったが…彼は雪風というのか。部屋の鍵を破壊して逃げたらしく、
        所員達は大騒ぎだったよ。お前の知り合いだったのか」

        サリタは逃げてきた雪風を匿うまでの経緯を話しだした。女は頷いたりしながら真剣にサリタの話しを聞く。

        「そうか…お前が代わりに捕まってしまったのか。だが、大丈夫だ。此処から逃げる方法を教えるから」

        女はポケットから綺麗に折り畳んだ白い紙を取り出した。

        「死亡登録書だ。…勿論偽物だが、所員の目を欺く位の効果はある。死亡した事にして柩に隠れて此処を出るんだ。
        お前の名は?」

        白い紙にペンを滑らせようとした女の手をサリタは止めた。首を振り、無言で女の目を見つめる。

        「折角ですけど、僕は逃げる事は出来ません…」

        サリタの言葉に女は唖然とした。

        「何故だ?此処に居ればまた非道い実験に使われる事になるんだぞ?」

        女は説得したが、サリタはそれを聞き入れなかった。決意のこもった声で話しだす。

        「このままこの研究所を野放しにしておくわけにはいかない…。
        たとえ貴方が人々を逃がしても彼らはまた新たな実験体を捜し出して捕らえるでしょう…だから僕は戦います。
        貴方の弟さんも見付けられるかもしれませんしね。こんなことはもう終わりにしなければ…」

        サリタは微笑んだ。
        『味方が居る』その事がサリタに力を与えた。そうだ、ただ奴らのやりたいようにやらせる必要は無い。
        自ら立ち向かえば良いのだ。きっとイザベラ、日乃菜、チビ…そして雪風が自分の帰りを待っている。
        帰るんだ…皆の元へ。帰るんだ…ラプンツェルへ…サリタの顔を見ていた女はふと笑みをこぼした。

        「お前変な奴だなぁ」

        「そうですか?だってこのままなんて僕は嫌です。自分が傷つくのも人が傷つくのも…もう見たくない」

        実験の痛みを思い出してサリタは眉間に皺を寄せた。あんな思いは誰にもしてほしくない。

        「それは私も同感だ。早く弟と…皆を救い出したい…うん、私も戦う。協力しよう…えっと…」

        女はサリタを見つめて困った顔をした。
        そういえばまだお互いの名前すら知らない事に気付き、サリタは笑いながら握手を求めた。

        「僕はサリタ。…貴方は?」

        「Jurian(ジュリアン)だ。…宜しく」

        触れた手は女性特有の滑らかさと優しさがあってサリタは驚いた。
        『ハンターでも女の子なんだな…』こっそりそう思って苦笑する。強さと優しさ…まったく女性にはかなわない。

        「そろそろ戻らなければ…食事ちゃんと摂れよ。薬も飲め」

        そう言い残してジュリアンは立ち上がり、部屋を出て静かに扉を閉めた。

        サリタは床に視線を向けた。もうすっかり冷めてしまったスープとパン、皿のわきに小さな薬が置いてあった。
        パンをちぎってスープに浸し、口に入れる。黙々と食べ続け、皿を空にして薬に手を伸ばす。

        『ちゃんとお薬が飲めた良い子にご褒美』

        ふいに雪風の顔を思い出してサリタは一人笑った。

        「さすがに此処にはドライフルーツは無いけど…ぅぐっ苦!」

        口に放りこんだ薬を我慢して飲み込んでサリタは床に横になった。
        とにかく今は休んで少しでも回復しなければ…。冷たい床が体温で暖まる頃、サリタは眠りについた。


        ※※※※※※

        「出ろ」

        サリタの居る小部屋の扉を乱暴に開けて入ってくるなり、ニューマンの男は強い口調で言った。
        部屋がまだ暗い事からあまり長い時間は眠っていないらしい…。
        それでも眠る前よりは体力も少し回復し、体もさほど痛くはない。
        サリタはしっかりとした足取りで扉まで行き、男に連れられて部屋を出た。



        ※※※※※※

        「やぁ、気分はどうだい?」

        男に連れて行かれた部屋にナズとリアンが居た
        。船の甲板にあたる位置にあるその部屋は壁全面が分厚い強化ガラスで出来ており、
        ガラスの外側には沢山のニューマン達が機械の前でスタンバイしている。
        ナズとリアンは部屋の中だが、大きなリフトに乗って天井近くからサリタを見下ろしていた。

        「今度は何をするつもりですか?」

        リフトの上に居るナズを見上げてサリタは余裕のある表情で聞いた。
        ナズはにやにやしながら相変わらずの馴々しい口調でサリタに次の実験の内容を伝える。

        「魔法使いがどのようにして戦うかが見たいだけさ。
        さっきのデータは素晴らしいものだったから今度は実際この目で見たくてね」

        サリタが入ってきた場所の反対側にある扉が開き、ニューマンに連れられて誰かが入ってきた。

        「…子供?」

        サリタの視線の先に居るのはまだ幼いフォースの少年だった。

        ズミウランの杖を持って少年は精気の失せた顔で立っている。
        頬は痩せこけて白く、裸足の足はふらついて今にも倒れてしまいそうだ。
        きっと十分な栄養を与えられていないのだろう…

        「君には彼と戦ってもらう。先に言っておくがこの部屋でテクニックは使えない。肉弾戦はやめたほうがいいよ。
        君は素手だし彼は見かけによらず強い。本気で向かってくるからね…そうだろう?Samidare(五月雨)」

        ナズはそう言って笑い出した。五月雨と呼ばれた少年は杖を握る手に力を込め、震えながら杖先をサリタに向けた。

        「ごめんなさいお兄ちゃん…僕、戦わないと…お家でお姉ちゃんが待ってるんだ…
        戦わないとお姉ちゃんが非道い目に合わされちゃうんだ…」

        五月雨の目からぼろぼろと涙が零れ、床を濡らした。
        ナズに弱みを握られているらしく、泣きながら五月雨はサリタに殴りかかってきた。

        「うぁあああっ!」

        五月雨は杖を振り回して叫ぶ。それをすれすれで避けてサリタはリフトを睨んだ。

        「こんな幼い子に…!何て非道い事を!」

        リフトの上のナズはただ楽しそうに二人を見ている。

        「よそ見してる暇は無いんじゃないの?ほら、攻撃しないと殺されちゃうよ?」

        ―ガッ!―

        ナズの言葉の後、側頭部に強い衝撃を受けてサリタは吹っ飛んだ。五月雨の振った杖が命中したのだ。
        頭を押さえて起き上がろうとしたとき、暖かい物が指を伝った。
        頭から手を離して見ると赤いものがべったりと付いている…。

        「ほらぁ…ちゃんと戦わないから怪我しちゃうんだよ?真面目にやってよ」

        ナズは溜め息混じりに言って五月雨に視線を移した。

        「お前も一撃当てただけで攻撃止めるな。相手が本気になるまで攻め続けろ」

        サリタの血を見てがくがく震えていた五月雨はナズの言葉でまた杖を握り直し、サリタに歩み寄った。

        「ごめんなさい…ごめんなさい…」

        五月雨は小さな声で何度も謝りながらサリタの目の前に立った。サリタは失血で霞む目を五月雨に向ける。
        震える小さな手が持つ杖が自分にまた振り下ろされる。五月雨の緑の髪が揺れている…

        「ジュ…リ…アン…?」

        朦朧とする意識の中サリタは五月雨と同じ緑の髪の女の名を呟いていた。
        それは五月雨の面差しがとても彼女に似ていたから…。

        ―カランッ!―

        振り下ろされた杖はサリタには当たらなかった。五月雨が脱力したように腕を下ろし、杖を床に落としていた。
        がくがくと震え、驚愕の目でサリタを見つめている。

        「どうして…お姉ちゃんの名前…」

        五月雨の口から零れ出た言葉を聞いてサリタは頭の痛みを忘れて弾かれたように顔を上げて五月雨を見た。
        どういう事だ?姉の名前?彼がジュリアンの弟なのか?

        「…お姉ちゃんを知っているの?」

        震える声で五月雨は床に膝を付き、サリタの肩を両手で掴んで縋るように聞いてきた。
        サリタにも何が何だか解らない。ジュリアンより少し濃いめの緑の髪、顔はよく似ている。
        そういえばジュリアンが弟は人間だと言っていた。五月雨の耳を見るとそれは人間のものだった。
        サリタは五月雨の目を見て確認をするように聞いた。

        「僕は…ジュリアンという女性に助けられたんだよ。
        歳は僕と同じくらいで緑の髪のニューマンで…弟を捜していると言っていた。…君がそうなのか?」

        「…間違いないよ。お姉ちゃんだ。どうして此処にいるの?…お家でニューマン達に見張られてるんじゃないの?」

        五月雨の瞳がまた潤みだした。
        姉の無事は解ったが自分がニューマン達に聞かされていた話と違うのが不安でどうしたら良いのか解らないのか、
        必死にサリタに答えを求めてきた。

        「君がニューマン達に聞いた話がどういうものなのかは解らないけど、
        ジュリアンは強制的に捕らえられているフォース達の世話をさせられていたんだ。
        君を助けにきて捕まってしまったそうだよ」

        サリタの言葉にショックを受けて五月雨はがくんと体の力を抜いてへたりこんでしまった。

        「何をしている!早く戦え!」

        動かない二人にナズが焦れてリフトの上から叫んだ。

        「…五月雨君?」

        俯く五月雨に気遣わし気に声をかけたサリタはギクリとした。
        手が白くなるほど強く杖を握り締めて歯を食い縛って五月雨は低く小さく呟く。

        「…嘘つき」

        幽鬼のようにゆらりと立ち上がって五月雨はリフトの上のナズを睨んだ。
        その瞳に怒りとも悲しみともつかない光を宿して…

        「僕が協力すればお姉ちゃんには何もしないって言ったじゃないか嘘つき!お姉ちゃんを返せぇっ!」

        五月雨はナズが乗るリフトに向かって全速力で走りだした。

        ―ズガァァンっ!―

        悲痛な声の後に響いたのは耳が痛くなる程の銃声…。
        五月雨はナズの乗ったリフトに辿り着く前にドサリと床に倒れた。

        「五月雨君っ!」

        失血でふらつく足を何とか運んでサリタは五月雨に駆け寄った。
        仰向けに抱き起こすと五月雨は血を吐き出しながらサリタの服をぎゅっと掴んだ。

        「…おねえ…ちゃ…たすけ…て」

        「喋るな!血が…解った。解ったから!」

        サリタの声を聞いて五月雨は一瞬安心したように微笑んで意識を手放した。
        サリタの服を握っていた手がするりと離れる。

        「…愚かな…おとなしく言う事を聞いていれば良いものを」

        五月雨を撃ったのはナズだった。その冷たい声の主をサリタは見上げる。
        薄笑いを浮かべるナズの後ろには硝子越しに輝く満月。

        〔お前は何時もそうやって…大切な者を奪っていくのか…!〕

        サリタの中で何かが切れた。


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        *ノーチェのホスト「サリタ」こと「氷月 炯魔(ひつき けいま)」が発行するメルマガで
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