彼らの侵攻は留まる事を知りません。
 
彼らは緩やかに、しかし確実に私たちを蝕んでいきます。
 
彼らの行動そのものは確認する事は出来ませんが、その結果を視認する事は容易く、一目でわかる事でしょう。
 
彼らの行動は、時として人命を脅かす時があります。様々な病気を誘発させる可能性を高め、心臓にかかる負担を大きくします。
 
彼らの勢力は絶大です。
 
規模に喩えるとするのならば――そう、世界の半分に匹敵する程でしょう。世界の半分の人口は、常に彼に脅かされている事になります。
 
彼らと戦う術は幾つか開発・研究されていますが、画期的な対策法は見つかっておりません。もっとも有効な対処法は予防するくらいでしょう。
 
彼らの名前は…。
 
 
 
【熱量の天秤・森林激闘編】
 
 
 
目の前の白い皿、その上にドンと置かれたキャベツの葉を一枚むしると、私はそれを口に運びました。ドレッシングなんかつけていないので当然、味気ありません。よく噛むことで甘くなっていきますが、とても切ない感じです。
 
私は視線を感じて顔を上げました。
 
カウンターを挟んで向こう側に座っている姉様が、何か珍獣を見るような視線でこちらの方を見ています。心なしか、顔が引きつっているようにも見えました。
 
しかしそんなことお構いなしにキャベツをむしると、私は一枚また一枚と食べていきます。
 
もしゃもしゃもしゃ…一枚につき最低60回は噛むのを忘れません。塩くらいならつけてもいいかな? いえ、やる以上しっかりやらないと。
 
「オーナー? アナタいつから、青虫のように野菜を食べるようになったの?」
 
ごくん、と飲み込んでから、私は姉様の方に向き直りました。
 
「青虫っていいですよね。いつか綺麗な蝶々になるんですから。でもこの際、私は蛾でもいいですわ。蛾って口がないからものを食べないし」
 
「かなり人間が壊れてるわね。何があったの? もしかして太っ…」
 
「解っているのなら、そっとして下さいな」
 
「でも、開店前にオーナーがそれだと、ちょっとアタシ的にも困るかなって」
 
しどろもどろになりながら姉様。今はノーチェの開店1時間前です。確かに私がこの調子だとまずいかも。そんな事を思って、周囲に首を巡らせました。
 
ほとんどは出勤していませんが、それでも掃除やら準備の当番のスタッフが数名います。彼らに目を合わせようとすると、ふいっと視線を逸らされてしまいました。
私ってそんなに異常な雰囲気だったんでしょうか?
 
片づけようと、皿を手に持って席から立ち上がります。すると不思議な事に、来店を知らせるチャイムが鳴り響きました。
 
「あら。まだ営業前よね? 誰か見てきて頂戴」
 
「分かりました」
 
姉様の頼みに、当番だったへっぽこさんが立ち上がりました。足取りも軽く入り口の方へ走っていきます。その間に私はキャベツを片づけ、皿を洗って定位置に戻しておきました。
 
すると――
 
「あのママにオーナー。質問があるって人が来てるんですけど」
 
「そう? じゃあお連れして。誰かお飲物の用意を」
 
「はいな。私がやります」
 
カウンターに一番近いのは、洗い物をしていた私です。本来ならばオーナーのやるべき仕事ではないのですが、運動のために棚にあるお酒に手を伸ばしました。せっかくですからつま先立ちになるくらい、高いところのお酒の取りましょう。
 
ん…ふくらはぎがプルプルと震えます。効くかも…。手に取ったのは柑橘系のお酒です。これをベースにカクテルを作るんですよ。
 
その間に、へっぽこさんの後ろに控えていた女性が、カウンターの方にやってきます。
 
ちらりと視線を送ると、彼女は白いフォース専用服に身を包んでいました。どうやら彼女もハンターズのようです。
 
「いらっしゃいませ。お店のことで質問があるそうね?」
 
「あ、はい、そうですけど…」
 
女性は答えましたが、それっきり息を呑んで何も言いません。
 
振り返ってその様子を見ると、女性は姉様を見つめたまま呆然としていました。その間に私は、お酒と氷を混ぜて8の字を描くようにシェイク、シェイク、シェイク…。
 
女性は頬を桜色に染ると、憧憬に満ちた眼差しで「はぁ」とため息をつきました。頬に手を当てて、うっとりとしています。
 
「ちょっと…アタシにその趣味はないんだけど…」
 
いきなりな態度に、顔を引きつらせて姉様は一歩退きました。
 
「あ、いえ、ごめんなさい。私もそういう趣味はないです」
 
ぺこりと頭を下げて彼女。私は彼女の前にさわやかな香りのするカクテルを置きました。
 
と、彼女は私を見ても、やはり姉様と同じようため息をつきます。
 
…あうう。本当にその趣味の人じゃないんでしょうね?
 
視線を感じて、彼女は「ごめんなさい」と再度頭を下げました。よく謝る人ですね。
 
「もう謝らなくていいわ。で、相談って何かしら?」
 
「はい。ここって一緒にラグオルに一緒に降りてくれるところですよね?」
 
姉様に促され、彼女は口を開きました。
 
「私の名前はシシルっていいます。見たとおりのフォースなんですけど、一緒にラグオルに降りてくれる方を紹介して下さい。お願いします」
 
「あら。何かの自分の手に余る仕事でも舞い込んじゃったの?」
 
「いえ、違います。あのですね」
 
シシルさんはそこまで言うと、周囲をぐるりと見て、そしてへっぽこさんがいるのを確認すると、小声で私たちに言ってきました。
 
「ダイエットに付き合って欲しいんです…」
 
ダ、ダイエットですと…? その一言で私の思考は停止しました。営業用の笑顔を浮かべたまま固まってしまいます。
 
「初めてのケースね…。差し出がましいようだけど、事情を聞かせて貰えない?」
 
停止した私の頭の中に、シシルさんの声が入ってきます。あまり覚えていませんが、大事なところを整理すると次の通りでしょう。
 
彼女は危険なハンターズの仕事でお金を貯め、念願の彼――名前はアルバートさんだそうです――と結婚したそうです。が、新婚間もない彼女に不幸が訪れました。その不幸の名は。
 
幸せ太り。
 
「はあ…」
 
と、姉様がため息をつくのが聞こえました。見れば額に手を当てて、両目を閉じています。こめかみに青筋が立っているのは気のせいではないでしょう。
 
「要するに、そのダイエットに誰かを付き合わせてくれって依頼なのね」
 
「はい」
 
こくり、と彼女。姉様はもう一度ため息をつくと、指さして告げました。
 
「あのね。悪いんだけど、うちのスタッフをそういうのには付き合わせられないわ」
 
「ええ!」
 
シシルさんは後ろによろめき、彼女の後ろでモップ掃除をしていたルーチェさんにぶつかりました。ルーチェさんは彼女の体重を支えきれずに倒れてしまいます。足の長いスツールが派手な音を立ててフロアーに転がっていきました。
 
「う〜! 潰れるぅ…」
 
「ああ! やっぱり私って太っているんですね!」
   
シシルさんの下敷きになったルーチェさんが目を白黒させています。
 
私はカウンターの裏から出ると、手を差し伸べてシシルさんが起きあがるのを手伝ってあげました。
 
彼女は立ち上がると、すがるような視線を私、そして姉様に投げかけてきます。
 
「やっぱり駄目なんですか? 以前同じような依頼を引き受けてくれた方がいるんですけど…」
 
「どこの物好きよ」
 
「とあるハンターさんなんですけど、ご存じ在りませんか? キリークを倒したっていう評判の…」
 
「キリークですって?」
 
姉様の眉が跳ね上がりました。いけない! 私は慌ててシシルさんの口を押さえます。
 
「シシルさん。この店ではキリークさんの事は禁句です! って、ああ! 姉様! 顔色が優れないですよ。誰か姉様を控え室へ」
 
キリークと言えば彼、というより「奴」が連鎖的に想像されます。未だコンプレックスとなっている姉様には禁句ですが、しかし免疫が出来てきたのか、姉様は顔を青くするだけで立っています。以前は名前を聞くだけで倒れていたものですが。
 
「大丈夫よ、オーナー。それよりもシシルさん。アナタもハンターズだから解っていると思うけど、ラグオルに降りたら命を懸けなければならないのよ? そんなところにダイエットの為に行くだなんて、正直な話、正気を疑うわ。ましてやそれにウチのスタッフを付き合わせるだなんて、スタッフの命を預かる身としては賛成できないの。護衛任務の難しさは普通の任務の比じゃないくらい、アナタも知っているでしょう?」
 
「そんな…」
 
はらはらと涙を流しながらシシルさんはカウンターに突っ伏しました。今では珍しい木材で出来たカウンターから、ミシと音がしたのは気のせいではないでしょう。両腕に埋めた彼女の顔から、涙声が漏れてきます。
 
「ああ! せめて私もあなた達くらいに痩せていれば良かったのに。どうせ私なんか太っていて、そのうち彼からも捨てられる運命の女なんだわ! ごめんなさいアルバート。私じゃあなたの理想には近づけないわっ!」
 
泣いて身体を揺らすたびに、カウンターやらスツールから軋んだ音が響いてきます。
 
その姿を見ているうちに、私の心になんとも言えない親近感が湧いてきました。なんだか他人事には思えません。
 
あれは明日の私の姿も知れない…!
 
私は奥歯を噛みしめると、優しくシシルさんの背中をさすってあげました。そして告げます。
 
「シシルさん、あなたのお気持ちは痛いほどわかりますわ。確かにオーナーとしては引き受けづらい依頼ですが、ここは一つどうでしょう。目の前にいるレイヴンという名のフォマールに依頼してみては? 彼女ならきっと、あなたの依頼を快諾してくれますよ」
 
「ちょっとオーナー、アナタ何を考えて」
 
「ああ…姉様。今回ばかりは私の好きにさせて下さいな」
 
非難の眼差しを向けてくる姉様に、私は大きく頭と手を振ってみせました。オーナーと呼ばれるになってからというもの、レイヴンという名前で仕事を引き受けるのは実に久しぶりの事です。
 
「どーしても他人事とは思えないのです。彼女を放っておくだなんて、私の良心が許せないのです」
 
力説する私のとなりで、いつの間にかスツールに腰をかけていたルーチェさんが、ぽつりと言いました。
 
「ひょっとしてオーナー。ついでに自分もダイエット…」
 
「さあ行きましょう! 私たちの明るい明日へっ!」
 
「はいっ! お願いしますオーナー…いえ、レイヴンさん」
 
ルーチェさんの台詞など、きれいさっぱり聞いていないフリをして、私とシシルさんは堅く手を握り合いました。
 
「では善は急げです! さっそくラグオルへ行きましょうっ!」
 
「ちょっとオーナー、営業はどうするの!?」
 
店を出がけに、姉様の悲鳴にも似た声が聞こえたような気がしましたが、今やダイエットの鬼と化した私には届きませんでした。
 
目指せマイナス(自主規制)キロ!
 
  ※
 
あとで聞いた話ですと、私が店からいなくなった後で、このような動きがあったらしいです。
 
姉様は深々とため息をつくと、意を決したように顔をあげ、残っていたスタッフ達に号令をかけました。
 
「みんな聞いて頂戴。実は今日、役所の方から監察が来ることになってるのよ。普段通りに働いていれば問題ないと思っていたけど、オーナーがいなくちゃマズイのよ」
 
「どうしてですか?」
 
と、これはへっぽこさん。
 
姉様は指先で「トントン」とカウンターを叩きながら、
 
「ラグオルに降りるのには許可がいるわ。アタシたちだけで潜るのなら問題ないけど、オーナーが勝手に依頼を引き受けて、ラグオルに降りたというのがマズイのよ」
 
「えーとイマイチわからないッス」
 
さらに疑問符を浮かべたへっぽこさんに、ルーチェさんが説明をしました。
 
「ノーチェで仕事を受けたとしても、実はコンピュータを通して政府の方に許可を取っているのよ。そういった手順を通さずにラグオルに降りると、たとえハンターとは言え処罰されるの。で、ここが一番の問題なんだけど――」
 
ぴん、と指を立てて、
 
「ハンターズ同士での依頼って、必ず政府、もしくはうちの店のような仲介所に頼まなければならないのよね。いざという時の責任の所在を決めるためにそうしているんだけど…今、オーナーってそういう手続きをしていかなかったでしょ? つまり法律違反ってわけね」
 
「マジっすか? そんな手続きとかあったんですね。全然知らなかったッス」
 
ノーチェではそういう手続きなんかも、まとめてやっているそうです。…後になって姉様からこの話を聞かされた時は、ゾッとしましたけど。いやぁオーナーでも知らない事ってあるんですねぇ(爆)
 
姉様は少し語調を荒らげて続けます。
 
「もちろんその程度の違反なら、大抵の場合は大目に見て貰えるわ。でも今日は役人がくる日で、しかも彼女はただのスタッフじゃなくてオーナーなのよ? オーナーが先頭切って違法行為はマズイわ。急いで彼女を連れ戻さないと…」
 
「ギルドカードは?」
 
へっぽこさんに言われ、姉様は「ふふっ」と鼻で笑いました。そして自分のハンターズライセンスを取り出し、私の名前を検索・メールを送ろうとしたのですが、私はそんなメールを受け取った記憶がありません。
 
にこりと笑って姉様は続けました。
 
「ドレッサーバグって知ってるわよね?」
 
「うい」
 
通常、私たちハンターズが装備している服には、いざという時に備えて様々な装置が備えられています。代表的なものとしては、致命傷を受けたと判断したら自動的にパイオニア2に戻る転送装置がそうでしょう。
 
ですがもう一つ。あんまりお世話になりたくない機能があります。
 
それは万が一、ギルドカードを紛失した状態で死亡した時に、その人の身分を証明する機能です。
 
ハンターズで着用が義務づけられている服には、その繊維にナノマシンが組み込まれており、最悪の場合、衣装だけでも持ち帰ればその人の身分が解ってしまうのです。ハンターズとしてのレベル、功績、装備品までもがしっかり記録されており、それに応じて(いるのなら)遺族に補償金が払われるシステムになっているのです。
 
ドレッサーバグとは、この衣装を変える際に起きるシステムバグの事です。情報が莫大だからこそ起きるミスですね。これによりギルドカードと服装の情報が食い違い、ギルドカードでは検索出来なくなってしまいのです。時間が経つと、ナノマシンの方で変更してくれるんですけど。
 
ちなみに、なんで衣装を代えるだけで10万メセタもの大金が必要になるかというと、この情報を移し替える作業に莫大な資金がかかるからなんです。知ってました? 私も後で聞かされた事なんですけど(笑)。
 
目を細めると、姉様は遠くを見つめたままで呟きました。
 
「オーナー…最近、白くなったわね…」
 
「追いかけます」
 
へっぽこさんが立ち上がり、店から出ていこうとします。その背中へ、ルーチェさんが声をかけました。
 
「へっぽこさん、大丈夫なの。あんまり、その…強くないし」
 
ルーチェさんが危惧するように強者揃いのノーチェにあって、へっぽこさんは下から数えた方が早いレベルでしかありません。不安になる気持ちは解ります。
 
「んふっふふふふ…」
 
しかし不敵な笑みを浮かべ、彼は親指を立てました。
 
「確かにオイラは弱いけど、完璧な潜入技術をマスターしましたから、敵になんか見つからないッス」
 
「そう? じゃあ任せるわ。とりあえず森の方から捜して頂戴。あとから増援を送るから、定期的にメールも頂戴。無駄がないようにチェックするわ。さ、オーナーを捕まえるわよ」
 
へっぽこさんの姿が店から消えると、姉様はカウンターの下から森・洞窟・坑道・遺跡のマップを取り出しました。手にはマジックを持って、鼻歌なんか歌っちゃってます。
 
その様子を見て、ルーチェさんが呟きました。カウンターにもたれ掛かりつつ、
 
「アーク…なんだか楽しそうね」
 
「ふふ。『相手を追いつめる』ってあたりが気にいったわ。タイムリミットがあるのもイイ感じよね。小隊クラスの戦術を学ぼうかしら?」
 
…とまあ、こんな事があったらしいです。ま、後から聞いた話ですから、どこか間違っている部分があるかも知れませんけど。
 
一方、そんな事があったとは露も知らない私とシシルさんの方ですが。
 
   ※
 
「はい、特製回復アイテムセットです」
 
森に降りてすぐのところで、私はシシルさんにアイテムを渡しました。彼女は手渡されたアイテムをしみじみと見ながら、質問してきます。
 
「あのー、なんだか色が違うんですけど。緑色の回復アイテムって…」
 
「道具屋から脅し取った試作品ですわ。回復量はもちろん、カロリー量を計算され尽くした一品です。味も素晴らしいそうで」
 
「そうですか。…ん? いま『脅し取った』って…」
 
「さあ、行きますよ!」
 
シシルさんの言葉を聞き流して、私は眼前に広がる森を指さしました。
 
…今「脅し取った」って言いましたけど、試作アイテムの数々は、きちんと、合法的に手に入れたものですからね。今度行われる政府の査察に対して、その印象を良くするために作られたのがこの試作品なんです。一部の物好きハンターズに配布されていて、私もそのルートから手に入れたんですよ。
 
あ、そうそう。私の装備は赤いハンドガンに愛用の悪魔の羽根ですよ。森を散策するだけならば充分すぎる装備でしょうが、今回はいっきに坑道まで走り抜けるつもりなので、このくらいは必要でしょう。
 
私は振り向くと、最後の確認をします。
 
「いいですか? 回復アイテムは基本的に使用禁止です。どーしてもという場合に限り、特製アイテムの使用だけは認めます。使用テクニックは回復と炎系を中心にいきますが、思いっきり叫びながら使いましょう。出来ることなら接近戦重視でいきます」
 
「はい! 頑張りましょう!」 
 
ぐっとポールを握りしめ、瞳に覚悟の色を湛えながら彼女。彼女は勢いよく歩き出すと懐から特製アイテムを取り出して、口に運び――
 
「お待ちなさいなっ」
 
スパンッ!
 
「痛っ」
 
私がアイテムパックから取り出したハリセンを後頭部に受けて、彼女は思いっきり前のめりに倒れました。両腕をついてゆっくりと立ち上がると、後頭部をさすりながら目に涙を貯めて抗議してきます。
 
「いきなり何をするんですかっ? 私、何かしましたか?」
 
「何かじゃなくて、いきなりアイテムを食べようとする人がいますかっ?」
 
私に言われて、シシルさんは「えっ」と小さく声を上げました。そして眉間に指を当てて少し考えてから、
 
「ああ! またやっちゃったんですね。ごめんなさい、ついクセで。あ、でも、不安になると口が寂しくならないですか? 甘いモノが欲しくなったりとかしません?」
 
…彼女、無意識のうちに回復アイテムを食べるようですね。そりゃ太りますよ。たしかに甘いモノが欲しくなる気持ちはわからなくもないですが…。
 
奥歯を強く噛みしめ、自分に言い聞かせるように私は強めの語調で告げました。
 
「なりませんっ! そういう自分に甘い心が、精神だけではなく身体も弛ませるのですっ」
 
「た、たるっ…」
 
シシルさんはショックを受けたようによろめき、倒れそうになるところを何とか堪えました。そして泣きそうな表情で、アイテムをしまいます。
 
「そうですよね。うん、私負けません。頑張るからアルバート待っていてね」
 
両手の拳を握りしめて彼女。
 
うーん、なかなか健気じゃないですか。アルバートさんとやら、あなた彼女に無理をさせてませんか? 彼女の性格は、見てくれ以上の価値があると思うのですが。
 
私はハリセンで左の手のひらをピシッと叩いてから、森の奥の方を指し示しました。夕日が傾き、そろそろ夜になる時間帯ですね。少し不気味な感じがしますけど、そこは美しさの為に我慢しましょう。
 
「行きますよっ」
 
「はいっ」
 
私たち二人は進んでいきます。私は主にハリセンで突っ込み倒し(?)、シシルさんはお腹の底から声を出してテクニックを乱発していきます。
 
ハリセンで蚊(モスマントです)をたたき落としつつ、私はちらりとシシルさんの方に視線を向けました。
 
彼女の方にも蚊が行ってしまったようですね。まあ彼女のレベルなら大丈夫でしょう。
 
声を張り上げて指示します。
 
「シシルさん、接近戦でファイトっ!」
 
「ええっ? 私フォースなんですよ」
 
「私だってフォースです。やれば何とかなるもんです。頑張って!」
 
「ひーん」
 
泣きそうになりながら、やたら滅法にポールを振り回しています。…あれじゃ当たるものだって当たりませんよ。目を瞑ってますよ彼女。
 
攻撃目標はしっかりと睨み据えること、これ鉄則です。
 
…とくに人間が相手の場合は。
 
目を中心にして攻撃可能範囲全体を見据え、最小限の動きで倒せるように急所を狙う事です。急所が狙えない場合は声と動きを潰すことを最優先とし、死体も何かの物陰に隠し、発見を遅らさせるのが基本中の基本。
 
…って? あら? 今の何でしょう。自然に出ちゃいましたけど、対人間用の訓練なんて受けた記憶なんてないのに。
 
まあいいでしょう。私は意識を、格闘戦しているシシルさんに向けました。
 
どうやら彼女、テクニックで補助をしてから接近戦をする『魔法戦士タイプ』ではないようですねー。フォニュームやフォニュエールに多い『純魔法使いタイプ』のようです。接近戦がてんでダメです。
 
「ほらっ、目を開いてしっかり見なさいな。仮にもレベル13でしょう?」
 
「え、あ、あ、はいっ。えいっ、やっっ」
 
ぺち。
 
一体の蚊が落ちました。しかしその間に、2匹の蚊がモネストから吐き出されています。これじゃあ切りがないですよ。
 
しょうがないですね。私はため息を吐くと、意識を集中してナノマシンを周囲に散布しました。髪がふわりと踊り、ナノマシンの煌めきを受けて黒く輝くのを視界に入れながら、お腹の底から声をあげます。ゆっくりと右手を高くあげ、指先をモネストに向けます。
 
「逃げてください。――我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁!」
 
「!」
 
同じテクニックユーザーならば、ナノマシンの散布状況によって、どんなテクニックが使用出来るか解ります。ましてはシシルさんは同じフォースです。その威力も規模も読み取れたらしく、顔を真っ青にして、足の裏全体を地面にくっつけるようなドタドタとした走り方で、テクニックの効果範囲から逃げていきます。
 
決壊したダムから吹き出した水流のように、ナノマシンの化学反応の勢いは留まる事を知りません。私の精神に反応して、然るべきを反応を繰り返します。
 
反応パターンは分子運動の急激な活性化です。つまりは――
 
「ラフォイエッ」
 
指定した一点から――この場合はモネストを中心にして、耳をつんざく爆音と目を灼く閃光が溢れました。肉眼で確認出来るほどの炎が発生し、ドーム場の爆発となって敵さんたちを飲み込み、想像を絶する業火で焼き尽くします。
 
一瞬遅れて熱風がこちらに襲いかかってきますが、あらかじめ予想して作って置いた障壁がそれを遮ります。なま暖かい風が私の身体を撫でて行くだけです。
 
すべてが終わった後で、私の背後に隠れていたシシルさんが、ひょっこりと顔を出しました。こちらを見上げるようにして感想を述べます。
 
「うわぁ…。これが最高レベルのラフォイエですか。さすがですね」
 
「ふぅ」
 
私は額に浮かんだ汗を手の甲で拭いました。
 
お腹の底から声を出すって、結構疲れるものですね。これなら暖房をガンガンに効かせたライブハウスで、半日ほどシャウトしていた方がいいかも知れません。この冒険で痩せなかったら、試してみようかな?
 
「それにしても、あの呪文は? まさか本当の魔法だとか?」
 
彼女の質問に、私は笑みを浮かべて答えました。
 
「まさか。ただのテクニックですよ。昔のゲームで使われていた呪文を拝借しているんですよ。なんだか響きが気に入っちゃって」
 
テクニックは純粋な科学の結晶ですから、呪文を詠唱する必要はありません。意思統一しやすくなるためにテクニック名を言うだけでも使用出来ます。でもこうやって呪文を詠唱すると、『魔法使い』って感じがしていいですよねー。今回のように余裕がある場合は、そうしてますし。
 
テクニックの余波でずれてしまった帽子を被り直すと、私はシシルさんの手を取って、さらなる奥へと進みます。
 
「とりあえずドラゴンさんのところに行きましょう。あそこ、熱いですからサウナ代わりになります。あ、そうだ! あそこでドラゴンさんと追い駆けっこというのもイイかも知れませんね」
 
「死んじゃいますようぅ。私、レベル低いんですから」
 
さめざめと泣きながらシシルさん。私はニッコリと笑うと、
 
「大丈夫。私がすぐに復活させますよ。というより、『生き地獄を見せてやろう。まさか死ねると思うなよ』って感じです」
 
「ひぃぃぃ、助けてアルバート!」
 
あら、何が怖かったんでしょうか? 握っていた彼女の手がブルブルと震えています。
 
仕方ないのでそのままズルズルと、引きずるようにして次の広場へ。
 
そこは森が開けたところでした。近くにパイオニア1の宇宙船の残骸があるところですね。そこで私の動きが止まりました。シシルさんの動きも止まります。
 
私たちの視線は、ある一点に釘点けとなってしまいました。
 
地面から出てきたブーマさんでも、木の上から振ってきたアル・ラッピー(!)でもなくて、それは――
 
「ねえ、オーナーさん。あれって段ボールのミカン箱ですよね?」
 
「ええ。人が一人入れるほど巨大ですが、そのようですね」
 
そう、常識はずれに巨大でしたが、それは確かに段ボール箱でした。ミカンのマークがあって『愛媛』という古代文字が書かれています。
 
あれは、何?
 
私が目を点にしていると、シシルさんの声が響き、私の正気に戻しました。
 
「レイヴンさん、敵が来ますよ」
 
「はいな」
 
私はアイテムパックから「ファミ通」を取り出すと、彼女に手渡しました。そして彼女の背後に回り込み、えいっと両手で突き飛ばしてやります。
 
ファミ通を両手で抱きかかえるようにした彼女は、ポテポテと広場の真ん中あたりまでよろめいて、そこでやっと自分に何があったか理解したようです。
 
迫り来るブーマやラッピーを交互に見つつ、私の方に叫んできます。
 
「まさか一人でっ!」
 
「はいな。そのまさかです。ファミ通は性能いいですから頑張って下さいねー。私、テクニック使ったら疲れちゃいました」
 
「無理ですよっ! 助けてくださいよ、鬼、悪魔ぁ」
 
まっ? さりげなく貶されちゃいましたね。まぁ悪魔の羽根を背負ってますから、その程度はよく言われますけど。…悔しいから宣伝マンから貰ったトラップを投げちゃえ。
 
「えい」
 
気の抜けた声と共に投げたトラップは、放物線を描いて敵さんの頭上で炸裂しました。どうやらコンフューズトラップだったようで、彼らは同士討ちを始めました。
 
ちっ。外しましたか…。
 
しかしシシルさんには、私が助けたように思えたらしく、輝く目でこちらに手を振ってきます。
 
…とりあえず手を振り返してあげましたが、彼女を狙ったのは秘密ですよ。笑顔で嘘をつけるのが、大人の女というものです。
 
しばらくして。
 
シシルさんは敵を一掃しました。貴女、やれば出来るじゃないですか。両膝に手を当て、肩で荒く呼吸を繰り返す彼女に、私は特製モノメイトを差し出しました。
 
「さあ、疲れたでしょう? これをどうぞ。頑張りましたね」
 
「は、はい!」
 
彼女は輝くような笑みを見せると、私の手から奪い取るようにモノメイトを取って、その袋を破き始めました。
 
私が使っている回復アイテムは、どれも食べる事で摂取するものです。アンドロイドや手間がかかるのを嫌う人は、直接血管に注入する注射タイプを使用しているようですね。
 
「あら? 色が違いますね」
 
シシルさんが声を上げました。破いた袋の中から出てきたのは、緑色をしたモノメイトでした。
 
「んー? 野菜が入っているんじゃないですか? ほら、実際にほうれん草などの野菜を使っているカレーとかありますし」
 
「そうですよね。味にもこだわっているとか言ってましたものね。頂きます」
 
彼女がモノメイトを食べるのを見ながら、私はパッケージの裏をよく見ました。成分などが細かく明記されています。『試作品』と書かれているようですけど、通常のモノメイトよりカロリーが少ないだけで、あんまり違いがないようです。
 
…って、待って。この味って。
 
「青汁味?」
 
「ブホォッッ」
 
味を読むのと同時に、シシルさんが豪快に吹き出しました。うわ、アルバートさんとやらには見せられない姿ですねー。それはともかく、喉に詰まってしまったのか、シシルさんは目を白黒させています。
 
いけない! 窒息死はリバーサーじゃ治せません。私は急いでアイテムパックからティー・ポットを取り出し、その中身をコップに注いで渡してあげました。
 
「はい、どうぞ」
 
流し込むように呑みます。そして――
 
「ブホオォォッッッ」
 
またも盛大に吹き出しました。あう、ちょっとかかっちゃいましたよぅ。
 
しかし彼女はそれで気道を確保したのか、咳をしながら抗議をしてきます。
 
「なんて物を食べさせるんですか? しかもこのお茶もすっごく変な味ですよ」
 
言われて私は、ティーポットに張り付けられている用紙を読みました。
 
『注意:当製品は試作品であり、その効能性のみを追求されているために、味の方は一切補償しません。ちなみに開発主任の趣味で、「サバの味噌煮」味となっています』
 
…サバの味噌煮って…。
 
と。
 
ごそっ。
 
音に反応してそちらの方に振り向きます。確かに今、段ボールが動いたような気がしました。先ほどの戦闘でシシルさんは、気持ち悪かったのか段ボールには近づいていませんでした。だからほとんど無傷で段ボールは佇んでいるのですが。
 
「レイヴンさん、どうします?」
 
シシルさんに尋ねられ、私は口元に手を当てて、少し考えました。
 
こんなところにある段ボールが、まともな物とはとても思えません。しかも中に何か得たいの知れないものが入っているようですし。
 
気になって開けた瞬間に発動するタイプの罠――俗にいうブービートラップだったら洒落にもなりませんよね。ラグオルでそういう類のトラップが見つかったという報告はありませんが、念には念を入れませんと。
 
…うーん。姉様ならとりあえず斬りつけるでしょうが、でも私はフォースですから斬るタイプの武器なんてありません。ソウルイーターは倉庫の中ですし。
 
「仕方ないですね。ちょっと下がってください」
 
私は彼女を守るように一歩進み出ると、赤いハンドガンに装備しました。そして両手でグリップをしっかりと握り、片目を閉じて照準をセット。そして――
 
発砲! 小さなフォトン粒子が弾丸のように段ボールを貫きます。同時、
 
「ぎゃあああああっっっっっ!!!」
 
段ボールから悲鳴が上がりました。思わぬ反応に、私もシシルさんも互いに抱き合ってしまいます。
 
一体、何? 何なの?
 
じっと見つめていると、段ボールはブルブルと震え、そして動かなくなりました。その状態からたっぷり3分ほどたってから、私はシシルさんをその場において、段ボールに接近します。
 
ううう…怖いです。でも私の方がレベル高いから、私がやらないと。
 
近くにあった棒きれを拾うと、右手で銃を構えたまま、左手に持った棒きれで段ボールを突っつきました。
 
…反応はありません。
 
思い切って開けましょう! えいっ!
 
そして私は、そこにあった――いえ、居た人物を見て、呼吸が止まりました。
 
 
 
…。
 
 
 
 
……。
 
 
 
血だらけのへっぽこさんがいました。
 
 
 
頭と右肩と腹部に弾丸が貫通した後がありました。気を失っているのか、動く気配はありません。
 
私は即座に段ボールを締めました。その上からリバーサーをかけます。
 
「何がありました?」
 
「ダメですっ!」
 
こちらにやってきて、段ボールの中を覗こうとしたシシルさんの動きを制止すると、私はゆっくりと首を左右に振りました。
 
「世の中には、見ていいものとそうじゃないものがあります。これは危険です。危険が危ない感じです。私じゃなかったら気を失っていたでしょう。というわけで」
 
そこまで告げると、ぐっと彼女の手首を握って走り出しました。言葉が妙だったのは多少、混乱しているからです。
 
「逃げますよっ。さながらラグ・ラッピーのよーにっ!!」
 
「ちょっと、レイヴンさんってば!」
 
私、何も知りませんからねっ! 恨むならそんな怪しい事していた自分を恨んでくださいな、へっぽこさんっ!
 
   ※
 
私がその場を立ち去った後、最後に残った力を振り絞り、へっぽこさんは起きあがったそうです。そしてギルドカードから姉様を検索すると、姉様が返事するまでの間に、咳払いなんかをして声をかえちゃったりします。
 
『どうしたのへっぽこ?』
 
姉様の声がカード越しに響いてきました。誰の真似かは知りませんが、へっぽこさんは渋い顔をつくり、無理矢理低い声を出します。
 
「大佐か。大佐、実は…」
 
『誰が大佐よ? こっちは冷奈を初めとして、数名のスタッフを集めたわ。そっちの首尾はどう? オーナーは見つかったかしら』
 
「すまない大佐、取り逃してしまった。やつはシシルをつれて洞窟の方へと移動したようだ」
 
『そう。じゃあ冷奈を洞窟に送るから、戻って来なさい。出勤前の準備があるでしょ?』
 
「ふ。それは無理なようだ。身体が動かない」
 
『なぁにカッコつけてるのよ、へっぽこちゃん』
 
「ああルーチェさん…じゃなくてメイ・リンか。写真撮影したかった…な…」
 
そこまで告げると、へっぽこさんは腕が力無く垂れ下がりました。手からギルドカードがこぼれ落ちます。…一体、何の真似をしているのやら。
 
カードから姉様を始め、ノーチェスタッフの声が響いてきます。
 
『ちょっと、へっぽこ? どうしたの?』
 
『ダメよアーク。きっとオーナーにやられたんだわ』
 
と、これはルーチェさん。
 
『まさか。いや、でも彼女の事だから、悪意無しにやる可能性はあるわね。…ふふ、やるじゃないオーナー。誰を本気にさせたか教えてあげるわ。みんなお聞き、これからオーナー捕獲作戦を行うわっ! 手の空いているスタッフは協力なさい!』
 
『はーい』
 
姉様の号令に、スタッフ全員の声が返ってきました。あう姉様、悪意無しにやるって酷いですよ。あれは事故だったんです。不可避で、不幸で、そして仕方のない事故だったんですってば。
 
それはともかく、これから次々とスタッフたちがラグオルに降りてきたのですが。
 
それこそが本当の騒ぎの始まりである事は、誰一人として――そう、私ですらも予想出来なかった事でした…。
 
【熱量の天秤・森林激闘編】終
 
 
 
というわけで姉様、この間起きた事件をまとめると、こんな感じで良かったんですか?
 
「ええ。大体あってるわ。でもあの時は、本当にもう大変だったんだから」
 
ふぅん、私がシシルさんと一緒に降りてる間に、そんな事があったんですね。一言連絡してくれれば良かったのに。
 
「ドレッサーバグだったの忘れていたの、誰かしら? 」
 
…あう。ドレッサーバグって怖いですねー。危うく殺人犯になるところだったんですよ。同じ殺して捕まるくらいなら、アッシュを仕留めたいものです。
 
「そうよねぇ。奴は許せないわ。あ、へっぽこだけど、リバーサーがあと1分遅れていたら危険だったらしいわ。話を聞いたら彼、あの世で緑色の変な生物に出会ったそうよ。臨死体験はそれ自体が貴重だけど、彼の場合はさらに特殊な体験をしたようね」
 
だからアレは私が悪かったんじゃないですよ。姉様だったら、ああいう状況下だったらどうしますか? 目の前に「愛媛みかん」の段ボールがあったら。
 
「ふふ。アタシだったら中身なんか確かめないもの。悲鳴が聞こえたら尚更ね。まずはロングレンジからメギドで確かめてから、シフデバしてソウルイーターからアギトへの連続攻撃で確実にトドメを指すわ。それでも相手がまだ息をしているようなら、釘バットの出番ね。手入れが難しいから、あれ、奥の手にしてるの」
                                    
…止めをさしてどうするんですか? 
 
あ、そうか。この世の中から死体すら消滅させるつもりなんですね? 証拠が見つからなければ犯罪になりませんもの…ってごめんなさい、そんな目つきで睨まないでくださいな。
 
「わかればいいわ。この事件って、最初はこんな感じでまったりしていたんだけどねぇ。これからが酷かったわ…。まさか洞窟で『奴』に再会するとは思わなかったもの」
 
ええ。まったくです。まさに『天災は忘れた頃にやってくる』ですね。ではそろそろ話の続きといきましょうか。
 
「ええ、そうしましょうか。中編『洞窟激震編』スタートね」 


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