カウンターの上に広げられた森の地図、そこにマジックで×印を描きながら、姉様はみんなに確認するように声を張り上げました。
みなさんは一斉に地図をのぞき込みます。
「目標のオーナー――作戦中は仮にハンターズ第1号と命名するわ。彼女は依頼人であるシシルさん――彼女は第0号ね――と共に、スタッフであるへっぽこを殺害(?)し、さらに移動を続けている様子よ。へっぽこから最後のメールが来たのは今から10分前。第1号のレベルを考えると、すでにドラゴンを三枚に下ろして洞窟へ到達してると予想されるわ。そこでっ!」
スローイングナイフが握られている拳を振り上げてから、姉様は数名のスタッフに指示を下しました。
「冷奈・フミヤ・リリーの三名は洞窟へ急行、オーナーを捕まえて。G.・菖蒲・ラグナは念の為に坑道で待機。ルーチェは私について来て。最後の砦として遺跡で待ちかまえるわ。エンデルク! 残ったスタッフと一緒に店の準備を進めておいてっ」
『はいっ!』
「いい事? 第1号の性格はみんなも知っての通りよ。しかも今回は、ダイエットの為に自ら望んでラグオルに降りているわ。それを邪魔する以上、アタシ達も相応の犠牲を覚悟しなければならない…気を引き締めていきなさいっ!」
「アーク、ちょっとオーバーすぎよ…」
呆れ顔でルーチェさんが呟きますが、姉様は聞きません。壁に立てかけてあるクラシックなアナログ時計に目を走らせると、ビシとそれを指さして、
「みんな、あれを見て。今は22:20よね? 余裕は40分あると思うかもだけど、でも店の準備なんかを考えると…」
次の瞬間、姉様の右腕が霞んだかと思うと、50分のところに深々とスローイングナイフが突き刺さっていました。
「事実上50分までが限界、タイムリミットね。それまでにどんな手段を使ってでも第1号を捕まえるわよ。そうそう――」
姉様はそこで「すぅ」と大きく息を吸うと、
「以降、一連の作戦を『熱量の天秤』と呼称するわ。オーナーの生死は問わないから引きずっておいで。さあ! ミッションスタートっ!」
…すごい言われようですね、私…。ともかく姉様の命を受けて、スタッフ全員が出口へと殺到していきます。
すると――
「待って下さい。俺も連れて行ってくださいっ」
大声を張り上げて、ドアから一人の男性が登場しました。
彼の名は。
【熱量の天秤・洞窟激震編】
そんな事が店であったなどと露知らず、私たちはメディカルセンターにいました。
何故って?
テクニックに任せて突き進んでいたら、私たちのTPがすぐに尽きちゃったんですよ。でもTP回復アイテムはどれもファンキーな味のようですし(さすがの私も青汁味の回復アイテムは食べたくありません)、仕方無く街まで戻ってきたのです。
うーん、戦い方を考えなければならないようですね。TPを吸い取る武器を使うとか、テクニックの効果がある武器を使うとか…。
サミットムーンなんかがいいのかな? あ、でもそれだとレベルの関係上、シシルさんが装備出来ませんし。彼女が使えそうな武器って持っていたかしら?
「レイヴンさ〜ん」
そんな事を考えていると、回復してもらったシシルさんが、ポテポテと私のところまで歩み寄ってきました。彼女はまだ肩で呼吸をしているものの、HPもTPも完全回復してもらったようです。
「はい。もう大丈夫ですよ。次は洞窟ですね。はい、これ、汗拭きタオルです」
「ありがとうございます。じゃあ行きましょうか」
彼女から貰ったタオルをアイテムパックに入れながら、私たちはメディカルセンターから出ました。そしてラグオルへのテレポートゲートを目指して歩き出します。
と、そこで私の視界に、見覚えのある人達の背中が飛び込んできました。
うん。間違いありません。フミヤさん、リリーさん、それに冷奈さんですね。何かあったのでしょうか? 声をかけてみようかな。
「もし…」
「しっかしオーナーさぁ」
私が口を開きかけた時、フミヤさんの声が届きました。
…私の事を話しているの?
思わず建物の影に隠れて、聞き耳を立ててしまいます。…いや、やましいことなんて無いんですけど、反射的に(汗)。
「へっぽこを病院送りにするんだから、本当にヤバイ人かもなぁ。俺、ちょっと心配になってきたよ」
私の背骨から後頭部にかけて、冷たいものが走り抜けました。何てこと…もうバレてるの?
フミヤさんのを受けて、リリーさんがぽつりと呟きました。どこか弱気な口調で、
「っていうか今回のオーナーって本人なんでしょうか? 前みたいに幽霊っていうのはもう嫌ですよ。本気で怖かったんですから」
だから幽霊ってなんなんですか? さっぱりわからないんですけど。
「うーん。オーナーのあの性格なら、幽霊だろうと悪魔だろうと変異獣だろうと、ほとんど変わらない気がするなぁ」
と、これは冷奈さん。
あのぅ…御三方、さり気なく酷い事を言っていませんか?
私が心の中で突っ込んでいると、冷奈さんは言葉を続けました。
「でもねえ、一概にオーナーばかりが悪いとは言えないと思うよ。森の中に段ボールがあったら、普通はおかしいと思うもん。射殺はやり過ぎかも知れないけど、へっぽも悪いんじゃないかな?」
偉いっ! さすが冷奈さんは解ってらっしゃるようです。あれは私が悪いんじゃないんです。へっぽこさんも悪いんです。さすがは『誰もが知っているけれど、同情で正体は気付かない事になっているちくわ仮面』さんです。
「やっぱり隠れるって言ったら、その場に合った相応しいものを利用して隠れないとね。私がお手本を見せてあげるよ」
「冷奈さん、何をするつもりなんですか?」
「んふふ〜。木を隠すなら森の中ってね。あとのお楽しみなのよ♪」
「気になるなぁ。教えろよ、冷奈」
「秘密だってばさ。あ、先に降りるね」
物陰に隠れて見ていると、三人は次々とテレポータに乗って、その姿を消していきました。どこに行ったのでしょう? いえ、それよりも…。
「ねえ、射殺ってなんですか?」
背後にいたシシルさんが尋ねてきます。その真っ直ぐな瞳が、なんだか心に突き刺さる気分です。
たしかに赤ハンはやり過ぎたかなぁとか、ほんのちょっぴりは思わないわけじゃないけど、でもやっぱり段ボールは怪しかったわけですし、「段ボールを愛用する伝説の傭兵」という逸話もあったくらいですから、念には念を入れないと。
って、ああもう! 私は誰に言い訳しているんですかっ。
シシルさんのがっしりとした肩を叩くと、私は空を指さしました。
「あの星座が見えますか? あれに比べたら些末な問題です。さあ共に美の道を邁進しましょう!」
「あれラッピー座ですよ? そう言えばラッピー系をフォイエで倒すと、良い匂いしますよねー。あの匂いを嗅いじゃうと、焼き鳥食べたくなりません?」
この人は…。
頭を振って気を取り直すと、彼女の手を引っ張るようにして洞窟へのテレポータに入っていきました。
※
洞窟。
かつてシシルさんはここまで走り抜け、そしてダイエットに成功したそうです。私もそうなる事を希望しますが、今また同じ事を繰り返している彼女の姿を見ると、一抹の不安を覚えないでもありません。
弱気な自分をうち砕くように、私は声を張り上げました。
「ちゃっちゃっと行きましょう。まだ2階なんですから、先は長いですよ」
「はい…」
しかしシシルさんには元気がありませんでした。あちこちに視線を走らせて、その場で足踏みをしています。なんだか落ち着きがないですね。
私がじぃっと見ていると、やがてシシルさんは提案してきました。
「ねえレイヴンさん、もう洞窟は止めません?」
「は? 何故また急に? 3階まであとちょっとじゃありませんか」
「噂を知らないんですか? モンスターを操るっていうハンターが、この辺りに出没するらしいんです」
私は首を傾げました。初耳ですね。そして感想を正直に告げます。
「それは嘘でしょう。ダークファルスという大本締がいるんですから、アルタービーストはどんな手段を持ってしても制御出来ませんよ」
私に言われてシシルさんは照れたような笑みを浮かべました。自信を取り戻したようですね。彼女は自分に納得させるように頷きながら言ってきます。
「うん、そうですよね。なんか妙にリアルな噂で、ちょっと本気にしちゃいましたよ。居るわけがないんですよねー。寄生防具デ・ロルを身にまとって、モンスターを自在に使役するハンターなんて」
…………。
「待って。それ、そういう噂なんですか?」
私は思わずシシルさんを引き留めていました。彼女は笑顔のままで続けてきます。
「ええ。なんでもキリークに負けたハンターの亡霊らしいんですよ。あ、使用武器はダブルセイバーだとか。…この科学万能の時代にそんなの居ませんよね。さあレイヴンさん、行きましょうよ」
言うなり彼女は、小走りに駆けだしていきました。
…いや、まさか、ね。そう言えば彼、あのままどうなったのかしら…?
そんな私などお構いなしに、シシルさんはどんどん進んでいってしまいます。一人じゃ危ないですよ。
仕方無しに追いかけます。彼女は通路を通って先に進んでしまったらしく、ここからではもう見えません。と――
「きゃあああっっ!」
「シシルさんっ!?」
悲鳴が聞こえて私は駆け出しました。先ほど街に戻った時に引き出したヒルデブルーの杖を振りかざしつつ、目を細めて意識を集中し、リバーサーの準備をします。
洞窟の2階や3階はとにかく足場が悪いです。常に水浸しで、ロングスカートを思わせる服装の私達フォマールにとっては苦手な場所でしょう。ああもう、足が重いっ。
それでもなんとか駆けつけました。
シシルさんは部屋の真ん中にいました。恐怖で動けないのか、座り込んだまま震えています。そして彼女を囲むように――って、ええっ!
なんでクローがここにいるんですかっ? その数はおよそ、1、2、3…8体もいます。どういう事?
ともかくシシルさんのレベルじゃあ歯が立たないのは間違いないです。どうこう考える前に、まず救助しなくちゃ。
「シシルさん、伏せてっ」
詠唱も無しにラゾンデ発動させました。私を中心にして雷撃が荒れ狂います。雷の槍は間違いなくクローを貫き、高電流とそれにともなう高熱で灼き尽くしました。
しかし全滅には至らなかったようです。シシルさんに余波がいくのを恐れ、威力を押さえたのが裏目に出てしまったようですね。彼女がノーチェスタッフなら、容赦なく全力でラゾンデ使えたのに口惜しいです。
私は杖を構えると、ヒルデブルーの杖を振りかざし接近戦を挑みました。横に薙ぎ払い、上から打ち据え、最後に特殊攻撃で凍らせて粉砕します。
最後の1匹もそのようにして倒してから、私はシシルさんの元へ歩み寄りました。
「大丈夫ですか? それにしてもなんでクローが…」
「い、いえ、違うんです。あそこを見てください」
シシルさんが震える指先で、とある一点を指しました。
私たちが今いるのは、植物やらスイッチがあるところ――エルノアさんが倒れていたところ、と言えばわかるでしょうか?――です。
彼女の指先は、壁に張り付くようにして根付いている樹木を指していました。
「何が違うんですか…って、ちょっと冷奈さん、あなた何をしてるんですか?」
「冷奈ちゃんじゃないのだ。今は木なのだ。木に話しかけちゃダメでしょ」
そこには冷奈さんがいました。
樹木と一体化しているつもりなのか、小学生が劇で使うような木の着ぐるみを着ています。ちゃんと顔のところに丸い穴があり、そこから冷奈さんの顔が見えています。
…うん、いきなりこんなもの見たらそりゃ怖いですよ。シシルさんもお気の毒に。ってそうか、これが木を隠すなら森の中って事ですか? そのまんまですね。
「いや、そういうつもりなら文句はありませんけど、せめてお顔を樹木色に塗るなりしないと、本格的には見えませんよ?」
えへっと可愛く笑って冷奈さん。笑顔のままで、
「厳しいなぁ。さすが第1号だね。大道具係やらない?」
「遠慮しますわ。それよりも第1号? なんですかそれは? 人を犯罪者か未確認生命体のように…」
「うん。アークがそう呼んでいたよ。ちなみにそこの白いフォマールさんは第0号ね」
「はい?」
と、この間の抜けた声はシシルさん。彼女は腰が抜けていた状態が治ったのか、ゆっくりと立ち上がっていきます。
うーん。私的には「第0号」と呼ばれたかったかも。だって第1号は『蜘蛛男』なんですよ。格好悪いじゃありませんか。…え? 何の事だって? ノーチェやっているとなかなか見られない番組の事ですわっ(爆)
ともかく私は袂の中からファンデーションを取り出し、濃い肌色を冷奈さんの顔にパタパタとつけてやります。うん、完璧。すっかり樹木っぽい顔色(変な日本語ですけど)になった冷奈さんが、私が手に持った鏡を見ながら言ってきます。
「それでさぁオーナー。――あ、良い色になったね」
「はいな。何でしょう? あ、耳のところまでパウダーつけます?」
「そこまではいいや。どうせ顔しか出せないんだいし。――アークがねえ」
「姉様がどうかなされたんですか?」
姉様に何かあったのでしょうか? 詳しく聞こうとしたその時、別のところから私に声がかけられました。
「あ、オーナー!」
「リリーちゃん遅かったね。第1号は見事にこの『木』に捕まったのだ」
勝ち誇った顔で冷奈さん。
…あのぉ別に捕まったつもりは、髪の毛先ほどもないんですけど。
声の主であるリリーさんはこちらの方によってきて、彼女にしては珍しく、非難の色を帯びた声で迫ってきます。
「もうオーナーったら本当に大変なんで」
リリーさんが口を開いた瞬間、私に何かドン! とぶつかってきました。
「あ、すみませんっ」
声からして、おそらくシシルさんでしょう――が、この声を聞こえた瞬間すでに私は、彼女の重さに耐えきれずに倒れていました。
受け身をとらなくちゃ!
握っていた杖を手放し、衝撃を吸収するように地面に倒れてしまいました。水しぶきが顔に当たります。あぅ…冷たいし、化粧が落ちちゃいます。そして刹那の時間をおいて背中にシシルさんの体重がかかってきました。
一気に肺から空気が押し出されていきます。
く、くる、苦しいっ!
しかしそれもすぐの事で、シシルさんはすぐに立ち上がり、私に手を貸してくれました。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
と彼女は何度も頭を下げてきます。悪意があるようには見えませんから、まあ許してさしあげますわ。
シシルさんは何とか歩けるくらいに回復したものの、やっぱりよろめいてしまった――そんなところでしょう。完全に腰が抜けてしまうと、なかなか上手く歩けませんものね。
あ、そう言えば杖はどこにいったのかしら?
私は周囲を見渡しました。思わず手放しちゃったんですよね。
挙動から私の行動の意味を悟ったのか、リリーさんが笑顔で告げてきます。そういえば彼女の白衣のフォマールですね。シシルさんが痩せると、リリーさんのようになるのでしょうか?
「あ、これですよね。思わず受け取っちゃいました」
「ああ、それはどうもありがとうございます」
深々と頭を下げて、私。リリーさんは手に握った杖をこちらに渡してきます。うーん、白色の服っていうのも捨てがたいんですよね。一応、似合わないと大好評(?)ですけど天使の羽根も持ってますし。
でも、黒だとほっそりとして見えるんですよねー。だから私、いつも黒色を愛用しているんですけど…って、今のは秘密にして下さいな。
「いきなりぶつかってきたものだから驚きましたよ。ってあら? 今、気付いたんですけど、この杖って随分と重いんですね。ラビッドウォンドですか?」
「ふふ。そんな可愛いモノじゃないですよぅ。悪魔の羽根に似合わないじゃないですか」
「じゃあカメレオンとかですか」
リリーさんは笑顔を浮かべたまま、視線を上げました。
そして杖の先端についているそれを見た瞬間、その笑顔が固まります。
「ほら、ヒルデベアの頭なんですよ。可愛くないでしょう」
「え、え、え、え…」
リリーさんの顔から見る間に血の気が引いていきました。笑顔なのに真っ青です。そこに追い打ちをかけるように、ヒルデベアの頭が「にやり」と笑いを浮かべ――
「ぐげっげっげっげっげ〜」
「きゅう」
バタン!
と、リリーさんは倒れてしまいました。
ちょっとリリーさん、どうしたんですか一体。そんなに怖かったんですか? ただのヒルデブルーの杖じゃありませんか。
助けを求めるように冷奈さんの視線を送ると、彼女は同情に満ちた瞳で呟きました。
「うーん。ちょっとキツイよね、それ」
「ええっ!? 確かにウサギさんより迫力ありますけど、ヒルデブルーさんも味のある良い笑顔じゃないですか? …それより、リリーさんをどうしましょうか? 女の力じゃ運べませんよ」
「んー、ふみやんも来ているから、彼に運んでもらおうよ」
「フミヤさんも来ているんですか? 今どこに」
彼が来ているのも知っていますが、あえて初めて聞くような振りをしてやります。じゃないと、聞き耳を立てていたのがバレるじゃありませんか。すると――
「今きたよ」
別の入り口からフミヤさん。フォトンを発生させていない剣の腹で自分の肩をトントンと叩きながら、こちらに寄ってきます。
「やっと見つけたよオーナー。あ、3階の敵はみんな片づけたからな。行っても無駄足になる」
「そんな…!」
プルプルと拳を震わせて、私は彼ににじり寄りました。そしてつま先立ちになりながらも、彼の襟首を締め上げます。その状態で「キッ」と鋭く睨み付けて、
「あなたなんて事をするんですか? せっかくシシルさんがダイエットしているというのに、それを妨害するだなんてっ! シシルさんのダイエットが失敗したらどうするんですか。あなた責任取れるんですか? シシルさんのダイエットなんですよっ! 彼女が幸せになれるかどうかは、このダイエット次第なんですからね、そこのところ理解しているのですかフミヤさんっ!?」
ぜぇっ…ぜぇっ…ぜぇっ…。
これだけ「シシルさん」というところを強調すれば、よもや私もダイエットしているとは思われないでしょう。さらに「にこっ」と笑いながら後の句を続けます。
「あ。私はそれに付き合っているだけですからね。依頼ですから仕方ない事なんです。お仕事ですもの私の為ですものノーチェの為ですもの」
「あううう…レイヴンさん酷すぎます…」
背後でシシルさんが号泣している雰囲気が伝わってきますが、そんな事は無視します。
「っていうかさ、オーナー今、『私の為』って…?」
「何か不服でも? ちなみにこの間、メギドのレベルは30になりましたよ?」
ちゃきっとヒルデブルーの杖を握りしめて睨み付けると、フミヤさんは目をそらし、しどろもどろになりながら弁明してきます。
「そんなに怒らなくっても良いじゃないッスか。オーナーを連れ戻すためにやったんで…ってごめんなさい、マジ謝ります」
「わかれば宜しい。さ、シシルさん行きましょうか?」
「なんだかもう、これだけ泣けば500グラムは痩せたかも知れませんね」
何故だか絶望的な表情でシシルさん。あら? 私、何かしましたか。そんなに泣くような事なんて、何一つしていないつもりなんですけど。
一向に動こうとしないので、私は彼女の手をとってまた歩き始めます。
と、私の背中に声がかけられました。冷奈さんの声ですね。
「ねえオーナー。話の続きだけど、いい?」
「そういえば姉様がどうとか言ってましたね?」
「そうッスよ、それなんですけど」
フミヤさんも私に近寄ってきます。一体、何でしょうね。
と、唐突に。
何の前触れもなく。
地震が起きました。
震度はせいぜい1か2ぐらいでしょう。ダークファルスの影響で群発しているようですから、あんまり珍しいものではありません。普通に立っていられます。パラパラと頭上から小さな埃やら小石が落下してきますが、ここはパイオニア1の人達によって補強されているところですから、いきなり生き埋めということはないでしょう。
しかし、それはただの地震ではありませんでした。
音が、遠くから近づいてくるのです。
それは地響きというよりもむしろ、何か巨大生物が地下を蠢いているような音。例えるなら、『デ・ロル・レ』が水中ではなく地中を進んでいるような音――
「あ、あれ…?」
私の袖にしがみついていたシシルさんが、震える指――今時珍しい銀製の婚約指輪をはめてますね。くすんだ色がいい感じです――を、とある一点に向けました。
池なのか湖なのか判別しづらい水たまり、そこからポコポコと空気の泡が湧いています。
…なんでしょう?
目を凝らして見ていると、泡の数や大きさは段々と増えていきました。比例するように地響きも強くなっていきます。
「オーナー、これどういう事?」
「私に言われてもわかりませんわっ。ただ…嫌な予感がします。気を付けて」
着ぐるみを着たままの冷奈さんに叫び返しながら、私は水たまりを見つめました。
「念のため、リリーさんの事をよろしく」
「はーい」
じぃっと見ていると、仄暗い水の底から何かがせり上がってきました。すごい勢いです。そして『それ』は水面まで達すると――
「シャギャアアアアアッッッッッッ!!」
叫び声と共に水柱を吹き上げて出現しました。
吹き上げられた水が天井にくっつき、そして滴となって降ってきます。シャワー室のような感じになった部屋の中で、私は目を細め、出現した『それ』の姿を見つめます。
長い身体を持った昆虫のようでした。触手も沢山あるようですね。いかにも分厚い感じのする外骨格の表面には、なにやら意味ありげな文様が描かれています。
――ん? これってもしかして?
「デ・ロル・レじゃんっ!」
冷奈さんが叫んでいました。
その通り、出現したのは寄生生物デ・ロル・レでした。デ・ロル・レは筏上での戦闘でもそうするように、自分の身体を「ズドン」と押し倒してきます。
フォトンの刃を発生させながら、フミヤさんが一歩前に進み出ます。力強く大地を踏みしめ、×の時を描くように素振りをしながら、口の端を歪めて不敵な笑みを浮かべます。
「へっ。蓋を開けりゃあデ・ロルかよ。オーナー、それに冷奈見ておけよ。20秒で昆虫標本にしてやるからな」
随分な自信ですねフミヤさん。でもそうでしょうね。レベル100オーバーのハンターに30レベルのシフデバを使いこなすフォース(私ですよ)が揃えば、最下層の遺跡でも通用しますもの。あながち過信ではないでしょうね。
…デ・ロル・レの頭上に立っている『奴』に気付かなければ。
「ふぅぁはぁっっっはははっはっははははっっ!!」
『奴』はいきなり高笑をあげました。デ・ロル・レの頭部に仁王立ちし、腕を組んでこちらを見下ろしています。服装を見るとハンターの物のようです。
…シシルさんが言っていた噂の怪物とは、ひょっとして『奴』の事でしょうか?
ともかく『奴』はひとしきり笑い終えると――認めたくはないですが――聞き覚えのある声で告げてきました。
「やぁっっっと見つけたぞ、我が宿敵どもッッ」
「知り合いなんですか、レイヴンさん?」
涙目になったシシルさんが、半狂乱の裏声で尋ねてきます。
「あれが噂の…で、で、出ちゃったんですね…か、怪物ですよっ!」
「えーと、知り合いっていうか…」
半眼になって呻きながら、私は『奴』の装備を確かめました。ダブルセイバー。インビジブルガード。石鹸の薫り漂う寄生防具「デ・ロル」。
間違いないです。負け犬の名を持つ彼――
「今日こそ、いつぞやの怨念を晴らしたりぃぃっ!」
『奴』が叫ぶと同時に、デ・ロル・レの触覚が動きました。緩やかな孤を描くように、しかし高速で触手が襲いかかってきます。
「甘いですっ」
と横に飛び跳ねようとして、私は腕に重さを感じました。私の左腕にシシルさんが「がしっ」と、しがみついちゃってます。あぅ! それじゃ逃げられないってば! 放してくださいなっ。当たっちゃうじゃないですかっ?
そうしている間にも触手は眼前まで迫ってきて――
どごっ!
「あうちっ!!」
「ああ…シシルさん、私の盾になってくれたんですね?」
「違うっ、絶対に違う、今アンタ、彼女を盾にしやがったろっ!!」
と、これはフミヤさん。
違いますっ! 防御しようとして腕を振り回したら、腕に「たまたま」シシルさんがついていただけなんです。事故なんです。へっぽこさんに続く事故パート2なんです。
「うぉ、相変わらずの悪逆非道ッぷり。さすがよのう、女」
『奴』が冷や汗を一筋垂らしながら、私に声をかけてきます。私は言い返しました。
「誰ですかアナタ? 私の知人にアナタのよーな変人コンテスト優勝候補者なんていませんわ。人違いですからさっさと消え失せてくださいな」
「ふぐぐぐ…そうはいかぬ。お主にもたっぷりと礼をしなければな。その前に」
『奴』はぐわっと目を大きく開くと、相変わらず迫力のない視線をフミヤさんに向けました。フミヤさんは自分自身を指さし、「俺?」と疑問符を浮かべています。
「かつては貴様に破れたが、今ならば勝てる! いざ勝負!」
「冗談じゃねえ、テメエのよーな変態の相手なんか出来るかよ。じゃあなっ」
言うなりフミヤさん、振り返って猛ダッシュ。変態の相手はしないのに限ります。うん、正しい判断でしょう。
が――
「まぁぁててぇぇっ」
デ・ロル・レが空中に飛び上がり、身体を左右に揺さぶりながらこちらに飛んできました。衝撃が洞窟中を震撼させ、落石が始まります。
ちょっと、危ないって、ああっ! こっちにこないで下さいな。
顔面にダメージを受けて悶絶していたシシルさんの襟首を掴むと、私はフミヤさんと同じ方向に駆け出しました。冷奈さんはリューカーを使って、気絶したリリーさんを逃がしてから自分もそこに逃げ出します。
「頑張ってね、オーナー」
「ああっ! 手伝ってくださいな冷奈さんっ」
叫びますが、すでに彼女の姿はありません。
どこどこどこどこどこ、しゃげええっっ、じゅ!
落石が続き、叫び声と共に放たれたレーザーが宙を切り裂きます。私の目にフォトンの光が焼き付き、ぼうっとした尾を引きます。
「ひぃぃぃっ、アルバートぉっ」
「喋ると舌を噛みますよ」
「ちっくしょう、馬鹿のくせにやるじゃねえか」
「逃げながら悪態ついても様になりませんよっ」
「じゃあなんとかして下さいよオーナー。ああいうのってオーナーの分野でしょう!」
「さらりと酷い事言わないで下さいな。私は清廉潔癖な人生を送っていることに関しては、ちょっと自信あるんですよ。あんな奴の相手はゴメンですわっ」
走りながら時々振り返り、デ・ロル・レのレーザーをかわしながら走ります。
…ん? あら? ひょっとして。
走り出して2部屋を過ぎたころ、私はとある事に気付きました。
レーザーの目標って、私じゃなくてフミヤさんのようです。一度彼に倒されていますから、『奴』は根に持っているのでしょうか? じゃあもしかして。
「うふふふふ…・」
「レイヴンさん?」
私はとあるアイディアを思いつき、含み笑いを浮かべました。ぞっとしたような表情でシシルさんが尋ねてきます。彼女も必死になって走っているのか、額には玉の汗が浮かんでいます。
私は彼女にだけ聞こえるように、小声で呟きました。
「『奴』の狙いはフミヤさんだけのようですね。私には依頼人である貴女を守る義務があります。だから――フミヤさん!」
私はヒルデブルーの杖を、隣で走っているフミヤさん――その足に間に突っ込ませました。
「『奴』と『らぶらぶ』して来なさいなっ」
「のわっ?」
小さく悲鳴を上げて、フミヤさんが頭から転んでいきます。きちんと受け身をとっているようですから、まあ死にはしないでしょう。
ふふ、ルーチェさん風にいうと、そこはかとなく可愛らしくていい感じです。真似しようかしら…って本人が嫌がりますね。
「鬼ぃぃ、悪魔ぁぁっっ…」
背後から呪詛の言葉が聞こえてきますが、私は口元に手を当て、ハラハラと涙をこぼしながら、
「ああ…フミヤさん、謎の敵を引き受けるために、わざと転ぶ芝居までして…。なんて謙虚な人なのでしょう」
「あなたの血は何色ですかっ。なんで一緒に戦ってあげないんですか」
「ちっちっち。わかってませんね」
私は人差し指を左右に振りました。もうフミヤさんの声は聞こえません。奥の部屋で抗戦しているようですね。
「この世で最も単純にして最強の力は『質量』です。1トンを越えるダンプカーに轢かれたら、例えレベル200のハンターだって死んじゃいます。それと同じことです。『奴』自身はヘナチョコですけど、デ・ロル・レの質量で体当たりをされた日には、夜中の通販で扱っている怪しいミキサーなんぞ比にならない程のミンチになりますね」
「そんなのに一人で立ち向かわせたのっ」
「貴女を守るためですっ、仕方なかったんです」
再び泣き真似をしちゃいます。握っているヒルデブルーの杖が、「ぐげげっげっげ」と笑っているから、あんまり説得力がないですけど。
ともかく私たちは全力で走りました。爆弾のトラップがしかけてある通路を走り抜け、3階に繋がるゲート目指して走ります。
全力で走っていると、なかなか喋る事が出来ません。そのうちお互いに喋らなくなり、無言のマラソン状態になります。
そして走り出して数分もする頃、三角形のゲートを発見してシシルさんが喜びの声を上げました。
「やった。逃げましょう!」
「ええ」
と答えた瞬間、私の網膜に投射されている洞窟のマップに光点が映りました。
光点は縦に並んでおり、まるでデ・ロル・レを思わせるような形状です…って、まさかっ!?
「ぬぅぅはははははっっ」
「きゃああああっっっ」
「もう嫌ぁっっっ」
思わず私も叫んじゃいました。ちなみに最初の悲鳴がシシルさんので、後者のが私のものです。
勝ち誇った笑いも高らかに、『奴』がこちらに迫ってきました。
部屋の出入り口で止まると、獲物を狙う蛇のように鎌首をもたげたデ・ロル・レ――その上に腕を組んで立ったまま、『奴』が仁王立ちします。
「ついに怨敵を仕留めたりぃっ。女、次はうぬの番だ」
「ううう…アルバートぉ。私、もうダメかも」
シシルさんが弱気な事を呟いていると、デ・ロル・レの尻尾の方が動いてテレポートゲートを塞いでしまいました。あうっ、逃げられないじゃないですか。
「むはぁぁっ」と口から黄色の蒸気を吐き出しながら、『奴』が告げてきました。
「悪意のない悪魔め…ついにこの日がやってきたな。あの日の屈辱、65535倍にして返させてもらおう」
誰が悪意のない悪魔ですかっ! しかもその65535倍の根拠ってどこからっ?
思わず叫び返しそうになるのを抑えて、私は左右に視線を走らせました。
右の方は壁。左の方にはシシルさん。背後にはテレポートゲートがありますが、デ・ロル・レの尻尾が邪魔して使用出来ません。
レーザーなんぞ吐かれたら回避出来ないですね。かくなる上は…。
「人間バリアーその2で防ぐしかありませんか…」
「ひぃっ!?」
真っ青になってシシルさん。一瞬にして私から距離を取ります。…イヤねぇ、冗談ですってば冗談。こういう時は――
私はアイテムポケットから特製モノメイトを取り出すと、わざと『奴』に見つかるようにシシルさんに手渡そうとします。
「シシルさん、今の内に傷を治して下さいな」
「させるかぁっ!!」
私とシシルさんの間に『奴』が突っ込んできました。ふふ、かかりましたね? 私は空中にモノメイトを投げると、シシルさんとは反対側へとジャンプします。
案の定、『奴』は空中にあるモノメイトを手に取ると、勝利の笑いを浮かべ、そして。
「回復とは小賢しい真似を。こんな物、こうしてくれるわっ」
パクッと一口に食べちゃいました。
「……」
「……」
「……」
一瞬の沈黙の後、
「ぶほおおっっっっっ!!!」
壮大に吹き出しながら『奴』が悶絶しました。何故は知りませんが一緒にデ・ロル・レものたうち回ります。テレポートゲートを塞いでいた尻尾も、派手に壁を打ち据えています。
チャンス!
私は惚けていたシシルさんの手を引っ張ると、引きずるようにしてゲートに飛び込みました…。
※
坑道。
そこに辿り着いたのを確認した私たちは、お互いより掛かり合い、半分泣きながら笑いました。妙に乾いた私たちの声が、無機質な坑道に響き渡ります。
あはははははは、は、は、は…はぁぁぁ。
ダイエットにはなったでしょうが、もう、疲れちゃいましたよ。
…しかし本当の戦いはここから始まる事を、まだ私たちは知りませんでした…。
【熱量の天秤・洞窟激震編】完
「ちょっとオーナー。アタシの出番って最初だけなの? 少ないわ…」
あう、怒らないで姉様。この辺りの顛末を聞くと、姉様達は待機していただけのようなんですもの。実際、私たちは死にそうになっていたんですよ? あーもう、酷い目に遭いましたわ。
「そう言えばね、フミヤだけど全治2秒だったそうよ」
メディカルセンターで2秒も? それは大怪我ですねー。
「アナタがやったんじゃない。しかも一歩間違えれば、シシルさんまで盾にするつもりだったでしょ? そうなったら治療費アナタ持ちよ?」
はあ。また店の売り上げに手をつけなければならないのですね。
「今、さらりと凄いこと言わなかったかしら?」
気のせいですわ。それでは後編【遺跡決着編】スタートです。
「ふふふ。ついにアタシの出番ね。気合いが入るわ。ちなみに熱量の天秤っていうのはね、カロリー(体重)と愛情の事を指して言っているのよ。どちらを取るか――難しいところよね」
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